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張飛は最後の殿で 一

 蒸し暑い特有の青梅雨の季節のなか、蜀の軍勢がその厚さを一時的にしのぐ場所を選択したのが大いなる過ちで、その後の夷陵の戦いの命運を左右したのはその現実を物語る。

 今になれば時すでに遅しであり、それの布陣のまずさを指摘する諸葛亮の心配はなおかつ的中し、まさにその最終局面を迎えていたのである。

 数々の武将が命を落とし、蜀の面々は逃げるように夷陵をあとにすることになるのだが…。


 その夷陵には火の手が上がり蜀の軍勢は壊滅が必至と思われた。だがそんな中に懸命に敵の軍勢を食い止めようとして、獅子奮迅の働きをする老練な武将が一人存在していたのである。

 彼は心より改心して、己の生き恥を見つめた。その男は張飛、字は益徳である。

 彼の最後の戦いぶりは今まさにその佳境を迎えていた。最後の場面が彼に迫っているとは張飛も思っていなかった。


 まず追手として血気にはやる呉の軍勢が勢いを増し、蜀にとどめを刺すべく攻勢を仕掛けてくる。

 その様子を見て待ち構えている張飛はこう呟いた。

「来たか、呉のこわっぱどもよ!」

「ここで蜀は敗れたとしても」

「わたしがいる以上はこれより先は追撃はさせん」

 張飛は持っている蛇矛を振り上げ身がまえた。だが肩の傷口がきしむように痛むのを本人は一番感じていたのである。


 張飛はその顔が赤らみ、痛みをこらえるのと同時に怒りも抑えられなくなっている状況であった。

「この張飛が命がけで相手になろう」

 その時の姿はかつて魏の面々をくぎ付けにした長坂橋の時を彷彿させるような凄みであることは言うまでもない。

 この時の張飛の一騎当千ぶりは、呉の輩たちをしり込みさせた。


長坂橋のときの張飛は川に拠って橋を切り落とし、目を怒らせ蛇矛を横たえた場面でこう切り出したのである。

(張飛これにあり、死にたい奴は出て勝負しろ!)

曹操軍に向け呼ばわったところ、その威勢にひるむばかりで、誰もあえて近づこうとしなかったのである。


だが今回は血気にはやる呉の面々、ましてや張飛も傷を受けている状況である。それに張飛も老いたと見て戦いをけしかけてきたのである。


その中に大将首の張飛を探して、その場にやってきた歴戦の勇士である周泰がいた。

「見つけたぞ、くたばりぞこないの張飛!」

「再びここでまみえるとは、これも貴様を倒す好機だ!」

 そう言うと周泰は槍を振り上げ、傷を負う張飛に仕掛けてきた。

「これを受けてみろ」

 周泰の戦いぶりも見事であったが、しかし張飛は傷を負いながらもやけに冷静であった。

「何のこれしき」

 その槍を見事にかわして防いで見せた。

「肩の傷があるのにこれほど戦うことができるとは…」

 周泰は張飛の受けた傷のことを侮っていた。


 張飛は渾身の力を振り絞るとこう言った。

「わしに勝てるか」

「傷を受けたとしても、この張飛、ここでやられるわけにはいかない」

 そう言い残すと、何号か撃ちあったが、やがて周泰の体に一撃を与え、それに深手を負わせて彼を退けたのである。

「ぐわっ、鬼神とはこのことよ」

 周泰はたまらず、味方に保護され後退する始末である。ふるえて怯んだのは、それを見ている呉の面々の兵卒であった。


 それから周りを見渡すと、逃げ遅れた関興と張苞の二人が張飛同様、決死の戦いをしているのが目に入るのであった。

「わが味方が危うい!」

 それから張飛は呉の軍団に切りこんで、伝家の宝刀である蛇矛を振り回し、呉の兵卒らを切り倒していく。その後、関興と張苞を無事救い出すことに成功すると、両名と束の間の会話をする。

「父上ご無事で何よりです」

 逃げ遅れていた張苞は、父の姿に凄みを感じていた。

(生きていれば父もお喜びだろう)

 関興が父の形見である青龍偃月刀を見て、亡き関羽の姿を思い浮かべている。

 まさにこのとき張飛の働きぶりがなければ、蜀のほかの面々である関興や張苞らも危うかったのである。


それから張飛は呉の将軍の徐盛と相まみえる。その徐盛は早々に馬を夷陵の激戦地に寄せると、味方の弓矢の援護を受けて、敵の将の首を数名撃ちとっていた。

「張飛の首、もらいうけた」

そう言うと切りかかってくる。同時に援護の矢も降りしきる。

張飛は黄忠が命絶えたことが脳裏に浮かんでいた。

「この作戦、一度はやられた傷、下手に追い打ちは無用」

冷静に張飛は徐盛の攻撃をかわしてその戦地をあとにする。

「逃げるのか、張飛!」

徐盛が悔しがるが、張飛の姿はその場所より離れて行った。


 その頃、夷陵を落ち延びた劉備は白帝城の付近、今の中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する場所の直前までさしかかっていた。

「ああ、大軍で関羽の仇を討つことのみを考え、わたしは大いなる敗戦をしてしまった」

 劉備が天を見上げてつぶやく。


 劉備に従い、夷陵を落ち延びた蜀の軍勢はわずかな数ばかりが生き延びた。

 出陣するときは七十五万の大軍であったが、この白帝城に落ち延びてこられたのは劉備を含め、伝令役を務めた向寵である。

彼は夷陵の戦いで大敗したおりに乱れる軍勢を冷静に集めて、その後にその軍勢を無傷で帰還させてきたのである。


 この白帝城の付近には、狭い間道がある。その間道を抜けると白帝城がそびえて見える。

 この間道の前にさしかかる頃、諸葛亮が軍勢を率い、劉備を含める蜀の敗残兵を迎えに来ていた。

その中には超雲子龍も見える。


 その間道の右の脇は切り立った崖がそびえ断つ。また左側には伏兵を忍ばせる森林が茂っている。

諸葛亮は超雲に伏兵を命じると帰還した玄徳に顔を合わせる。

「何はともあれ、殿のご無事」

「まことに今回の敗戦は…」

 その次の言葉は諸葛亮は言うことができなかった。

玄徳は諸葛亮を見て涙ぐんだ。

「とにかく、疲れた」

「わしは、その焦りのために多くの将兵を死なせてしまった」

 そう言い残すとため息をつく。

 劉備は白帝城に見える景色を見渡している。この場所まで来れば諸葛亮もいるので安心したのだろうか、冷静に周囲を見渡す劉備がつぶやいた。

「わしの運命、この敗戦でどうなることか」

 意気消沈する劉備の背中には、戦いで敗れた心残りと関羽への思いがよぎっていた。


 諸葛亮は呉の陸孫が追撃してこちらに来ると読んでいた。その読みは的中することになる。

 殿を務める張飛も蜀の軍勢を集めて白帝城のほうに向かっていた。


つづく。

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