第一話 放課後百合デート?
夜の海から吹き上げる風を受けながら、少女は空を飛んでいた。
白い羽衣が月明かりを反射する。
街の灯が遥か下に見えた。
少女は前を見据えたまま飛び続ける。
「飛鳥……」
呟いた声は風に消える。
「私……絶対に見つけるから」
飛鳥の顔を思い浮かべた。
通り過ぎる風の音が一瞬「みな」と呼んでくれた気がした。
少女の体を風が包み込む。
そして、その姿は彗星の様に尾を引いて、闇の向こうへ消えていった。
六時限目が終わり、高原みなは教科書、ノート、筆記用具、来週の三者面談の案内プリント──そんなものを鞄に押し込みながら、今夜の夕食を考えていた。
「ねえ、急で悪いけど、今日の帰りなんだけどさ……」隣の出席の五藤飛鳥が話しかけてきた。
「ん?」
「藤沢駅の近くににかわいいカフェ見つけちゃって、これから行ってみない?」
「いいよ。遅くまではダメだけど」
「ホント! 良かったあ」
今日は夕食当番だけれど、藤沢駅周辺のカフェなら、すぐ電車で帰れる。ご飯を作る時間も確保できる。
みなと飛鳥は、中学で出会って以来ずっと一緒にいる。
「高校も同じところ行こうよ」と二人で決めて、揃って猛勉強して入ったのが県立海南高等学校だ。
「海南、駅から徒歩二十分はきつくない?」と最初は文句も言ったけれど、結果的に二人とも受かってしまった。
一年も二年も同じクラス。勉強もプライベートも、ほとんど共有してきた。二年生に進級したら、なんと席が隣になってしまった。
「忖度されてるってヤツ?」飛鳥は笑った。
住んでいるエリアは離れているから休みの日は別行動が多いけれど、むしろその距離感がちょうど良かった。
藤沢駅から徒歩五分ほどのところに、その店はあった。
雑貨屋なのかカフェなのかよくわからない、という意味では飛鳥の趣味に合っている。
棚にはアロマキャンドルや輸入雑貨が並び、席と席の間隔がゆったりしていて、長居しやすい。
みなは紅茶を、飛鳥はカフェラテを頼んだ。
「良く見つけたね」
「タイムラインで流れて来たんだ。でも思ってたより気に入っちゃったな」
話題はゲームに移り、深夜アニメに移り、最近みなが沼にはまりかけている魔法少女ものの話に移った。
【カードマスターソリティア】という、ゲームのアニメ化作品について、少し熱く手解きをしてみた。
「魔法少女ってことはやっぱり、変身するの?」
「するする。ティアハートって名前で。しかも変身シーンが毎回微妙に違くて──」
みなは画像を見せた。
「ははあ、好きそうだね」
「そうなんだよー。空も飛ぶんだけど、作画が良くって、クルクル回って加速したりとかするのがかっこいい。あんな風に飛べたら気持ちいいだろうなあ」
「もしさ、本当に魔法少女になれたらどうする?」
「絶対なる」
教室でもしゃべっているのに、トークが尽きなかった。気づいたら一時間以上経っていた。
「今日はこれから蕎麦を作ります。お父さんがいつも軽いのがいいって言うから」
「夕食当番かあ」
飛鳥は椅子にもたれて、遠くを見つめる様な目つきになった。
「うち、お父さんと五年くらい会ってないから、羨ましいわ」
飛鳥のご両親が離婚したのは以前聞いていた。今はお母さんと二人で過ごしている。
みなは、飛鳥の前で家族に関わる話はなるべく出さないようにしてきた。だから、飛鳥がお父さんに言及したので多少驚いたが、それだけ飛鳥が自分を信頼してくれているのが分かった気がして、嬉しくなった。
「ねえ、せっかくだから写真撮ろうよ」
飛鳥はすでに気分を切り替えてスマートフォンを構えていた。カフェラテのカップとみなを一緒に収めようとして、アングルをあれこれ調整している。
みなは苦笑いしながら飛鳥の隣に寄った。シャッターが鳴った。
「いい感じ。ふたりとも可愛い」
「自分で言う」
「事実だし」
「あはは。後で送っておいて」
「ねえ。こういうの大学生になっても社会人になっても付き合ってよ」
そんな風に言ってくれる飛鳥はやはり可愛い。
「もちろん」
飛鳥が「そうだった。本屋さんに寄らないといけないんだった」と立ち上がったのは、西の空がうっすらオレンジに染まり始めた頃だった。
「んじゃ、駅までいこう」
会計をすませて、普段通らない道を歩いた。
「それじゃ、気をつけてね」
「みな」
「ん?」
「……ううん。何でもないや。また明日ね」
二人は改札の前で、手を振って別れた。
書店は、藤沢駅から少し外れた裏通りにあった。
飛鳥はみなへLINEを送り、SNSをチェックしながら、書店へ向かった。
裏通りに入ったところだった。
黒いワゴン車が、ゆっくりと路肩に止まった。
特に気に留めなかった。でも次の瞬間、スライドドアが開いた。
中は暗くて見えない。そして男が二人、音もなく降りてきた。
飛鳥は足を止めた。
男たちは黒いスーツを着ていた。ネクタイも黒。
サングラスはしていないけれど、顔に表情がない。
映画で見るような、という形容がそのまま当てはまる二人組だった。
一歩、後退った。
男たちはゆっくり近づいてくる。
急がない。焦っていない。それがかえって怖かった。
周りを見ると、通行人が何人かいた。でも誰も止まらない。
声をあげようとした。その時。
「飛鳥」
車の中から、声がした。
飛鳥は動けなくなった。
知っている声だった。忘れるはずがない。
「お父さん……?」
「ああ。乗りなさい」
飛鳥はゆっくり、車に近づいた。薄暗い車内に、確かに父がいた。
五年ぶり、しかも車内で暗いということもある。記憶の中の父より少し老けて見えた。でもお父さんだ。
「どうして、ここに」
「乗ったら話す」
その瞬間だった。
背中に、二つの手が触れた。
押された。有無を言わさず、体ごと車内に押し込まれた。
さっきの男たちだ。
「え」
と声が出た時にはもうドアが閉まっていた。
「お父さん、ちょっと──」
車が走り出した。
路地の端で立ち止まっていた中年の男女が、走り去るワゴン車を見送りながら顔を見合わせた。
「……今の、誘拐かと思ったよ」
「いや」と連れの女が言った。
「あれは誘拐にしか見えないよ」そう言いながら、彼女はバッグから携帯電話を取り出した。




