表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蝶の鍵と黒霧の王女  作者: 髙橋彼方
第三章『アグニの民』
22/22

アグニの民4

輪の音が、遠ざかっていく。

——カチン。

——カチン。

白い外套の列が渓谷の入口へ消えても、金属だけが石段に残ったみたいに鳴り続けた。

最後の音が風に溶けて、ようやく“朝”が戻る。

戻ったのに、熱だけが残る。

カイオの背骨剣の赤が、ゆっくり消える。

それと同時に、カイオの膝がわずかに揺れた。

集中が切れかける。

火傷が、広がる。

ユカの瞳が紅く光りかけて、必死に押さえ込む。

さっき見たものは、もう十分だ。

それでも見えてしまう。

カイオの腕の火傷痕が、赤い線になって走り始めている。

熱が、皮膚の下で暴れている。

ユカが掠れた声で言った。

「……広がる……」

フィビーが迷いなく前へ出た。

「カイオ……こっち」

カイオは一瞬だけ、驚いた顔をした。

すぐに無口な顔へ戻る。けれど足は逆らわなかった。

広場の端。炉のそば。

灰の入った浅い器が二つ置かれ、誰かが黙って水を注ぐ。

湯気は立たない。

だが空気が少しだけ柔らかくなる。冷やす準備だ。

長が短く言う。

「冷灰布を」

年嵩の女が布を持ってきた。

白くない。灰色だ。

灰が繊維に染み込み、火の痛みを吸うための布。

カイオが座る。背中は真っ直ぐ。

だが肩が硬い。痛みを誤魔化している。

布が手の甲に触れた瞬間、カイオの喉が僅かに鳴った。

「……っ」

声を出すな、と自分に言い聞かせるみたいに口を閉じる。

フィビーが覗き込み、首を傾げた。

「いたい?」

カイオは目を逸らした。

「……別に」

明らかに痛い声だった。

フィビーは返事をしない。

代わりに小さな牙を噛みしめる。体内で薬を作る時の癖だ。

ほんの少しフィビーの頬が赤くなり、呼吸が整う。

カイオの火傷の赤が、じわりと引いた。

暴れていた熱が、鎮まる。

カイオが、ぼそっと言う。

「……助かった」

その一言が、炉の熱より温かかった。

ユカはその光景を見て、胸の奥が痛くなった。

——檻の中では、痛いと言えば叩かれた。

助かったと言えば、笑われた。

ここでは違う。

痛みは、火で抑える。

言葉は、奪わない。

ユカの指が首元の痕へ触れそうになって止まる。

代わりに胸に手を当てた。

(……ユカ)

自分の名前を、心の中で呼ぶ。

確かめるみたいに。

次の瞬間、遅れて実感が来た。

(戻れた)

その一言が、胸の奥に落ちて、視界が滲む。

フィビーがユカの袖を引く。

「ユカ、ないてる?」

「……ちがう」

ユカは笑おうとして、失敗した。

喉が詰まる。

オルガナは少し離れた場所で、渓谷の出口を見ていた。

羽剣に手を置いたまま。抜かない。

フーが肩を竦める。

「いやぁ、朝からショーが派手で助かるわ」

軽口。

でも瞳は笑っていない。

「……次はもっとデカいのが来るね」

オルガナは頷いた。

「来る」

短く言って、息を吐く。

長が火録石を布で包み直し、オルガナに渡した。

「これが次の火種だ」

オルガナは受け取り、重さを確かめる。

石の重さじゃない。ここで生きている人たちの重さだ。

女が灰蜜茶を差し出した。

湯気の少ない甘い香りがする。

「飲め。熱が落ち着く」

カイオは受け取り、一口だけ飲む。

眉が僅かに動いた。

「……甘い」

フィビーが嬉しそうに笑う。

「おいしい?」

カイオは一拍置いて、ぼそっと言った。

「……まぁ」

その返事が、どこか負けを認めたみたいで、周囲の空気が少しだけ緩んだ。

ユカはその緩みの中で、初めて深く息を吸った。

肺の底まで空気が入る。

(生きてる)

それだけで泣きそうになる。

長が言う。

「鉄の国は次は本気で来る。条約の顔でな」

オルガナは頷いた。羽剣に手を置く。

「なら——先に行く」

皆がオルガナを見る。

オルガナは火録石を握り、言った。

「鉄の国へ行く」

アンドロイド兵が一歩前へ出て、蒼い瞳で頷く。

ユカも頷く。

フィビーも頷く。

フーは肩を竦めて、笑う。

「よし。次の会場は鉄の国ってわけだ」

カイオは無口のまま立ち上がり、背骨剣を背に戻した。

赤は消えた。だが熱は残っている。

彼は短く言う。

「……元を断つ」

その声は焦りを孕んでいた。

けれど、その焦りの正体は——まだ誰にも解けない。

渓谷の朝は静かに動き出す。

火は隠し、熱だけを抱いたまま。

次の山を越えるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ