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蝶の鍵と黒霧の王女  作者: 髙橋彼方
第三章『アグニの民』
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アグニの民3

ユカの紅い瞳が、ゆっくりと元の色に戻っていく。その代わり、瞬きをした目元が熱に濡れた。

「ユカ、つらい?」

不安そうに見上げるフィービーに、ユカは小さく首を振った。辛いのは目じゃない。見えてしまう未来が痛いのだ。

その時だった。渓谷の入口から、整然とした足音が響き始めた。ザッ、ザッ、ザッ。一糸乱れぬ歩幅による、徹底的に訓練された軍の歩行だ。朝の光の中、白い外套の列がゆっくりと浮かび上がり、裾が揺れるたびに無機質な黒鉄の甲冑が覗いた。装飾は一切なく、無骨なリベットの継ぎ目が不気味に輝いている。

彼らの腰にあるのは剣ではなく、金属の輪——『捕縛輪』と細い鎖索(ささく)。相手を殺すためではない、生け捕りにするための冷徹な猟具だ。

「我々は『対アフィニシー防衛同盟』の使者である」

先頭を歩く男が、やけに丁寧な声で口を開いた。完璧な笑顔と、正しい言葉遣い。男は懐から金属製の小さな探知機を取り出すと、その盤面を指先で軽く叩く。中央の針がユカを真っ直ぐに指し、細かく震えていた。

「今朝方、我が国の防壁を覗き込む、不躾な霊力波長がありましてね。辿ってみれば……なるほど。未回収の逃亡兵器が、こんな山奥で見通す眼(マーティア)を光らせていたとは」

その言葉に、ユカの血の気が一気に引いた。自分が視てしまったから。あのアスピダスの防壁を覗き込んでしまったせいで、“火を見せない街”の場所を鉄の国に教えてしまったのだ。

絶望と罪悪感で呼吸が浅くなるユカに向かって、使者が歩みを進める。腰の捕縛輪がカチンと死刑宣告のように冷たい音を立て、ユカの肩が大きく跳ねた。使者は続けた。

「貴殿らを保護しよう。迫害の歴史を終わらせ、その眼も我々の正当な管理下へ。鉄の国が提供する強固なバリア機構と、アスピダスの供給網も——」

“守り”を語りながら、男は無意識に捕縛輪を揺らしている。長がユカを庇うように静かに一歩前へ出た。

「帰れ」

「誤解だ。我々は敵ではない。条約のもと——」

「条約は、鎖にもなる」

笑顔を保ったまま首を傾げる使者の言葉を、長の地を這うような低い声が遮った。使者の笑顔がわずかに消え、視線だけがユカへと向けられる。顎でしゃくるような合図を受け、甲冑兵の一人が無言のままユカへ近づいた。

カチン、と再び無機質な音が響き、ユカがヒッと短い息を呑む。兵はユカの首元を覗き込み、機械のように無機質な声で「回収痕……一致」と報告した。

その瞬間。広場を見下ろす崖の影で、カカカカァ……と巨大な骨の節が擦れる異様な音が鳴った。同時に空気が陽炎のように歪み、焦げた匂いが鼻を突く。

崖の上から、カイオが音もなく飛び降りた。速い。そして静かなのに、その場にいる全員が息を詰まらせるほどの重い「圧」があった。彼は口を開かず、ただユカと甲冑兵の間にそびえ立つ壁のように割って入る。

「条約に基づく保護だ。退け」

甲冑兵が眉をひそめる中、カイオがここで初めて低く、短い声を出した。

「……保護?」

その一語には、ドロドロに煮えたぎった怒りが混じっている。

「抵抗するのか。ならば——保護の手続きを変更する」

使者が再び歪な笑顔を貼り付けると、一斉にカチ、カチと捕縛輪が構えられた。

カイオの背にある大剣——巨大な骨の節々に、火種のような赤がチリチリと灯り始める。勝手に点いているのではない。彼の怒りの感情が内なる火を呼んでいるのだ。露出した腕にある無数の古い火傷痕が、じわりと生々しい赤色に滲み、熱が皮膚の下を這い回る。集中しなければ、燃えるのは敵ではなく自分自身だ。

カイオは深く息を吸い込み、限界まで熱を押さえ込んだ。一瞬だけ、世界の音が消える。

「……鉄の国は、俺が潰す。お前ら」

カイオの焦燥に満ちた視線が、甲冑兵の列に突き刺さる。その言葉にオルガナの胸がひやりと冷えた。ユカの瞳がまた痛ましく紅く揺れ、彼女の眼には、カイオの背後で巨大な『炎猿の王』が嘲笑うように牙を剥くのが見えていた。

「抵抗者は拘束せよ!」

使者の短い命令で甲冑兵が一斉に動く。訓練され洗練された阿吽の呼吸。手首のスナップだけで、捕縛輪が一斉に空を切って飛んだ。

カイオは飛んでくる捕縛輪をじっと見据え、背中の大剣のグリップを握り込む。横に大きく振り上げた大剣から凄まじい業火が放たれ、宙を舞う捕縛輪を一瞬にして塵に変えた。

「なっ……」

使者がその圧倒的な破壊力に目を見開く中、一人の甲冑兵がタイミングをずらして捕縛輪を投げた。狙いはユカの足首。閉じれば関節を固められ、鎖で巻き取られて再び“檻”へと引きずり込まれる。

だが、輪が閉じる寸前。カチンとロックが鳴るその直前に、カイオの指先一点に針のような霊力が集束した。怒り狂う熱の中、その一撃だけは恐ろしいほど冷静だった。

カイオの指が、飛んできた捕縛輪の中心を軽く弾く。パキッと乾いた音を立てて砕けたのは輪そのものではなく、中心の小さなロック機構だけだ。勢いを失った捕縛輪はただの鉄くずとなって、砂利の上をカラカラと転がった。

だがその代償として、カイオの手の甲にある古い火傷痕がじわりと広がる。集中を切らさないよう、彼は浅く呼吸を繰り返した。

「……制圧しろ」

使者の笑顔が完全に消え去った。兵たちの手元でカチカチと捕縛輪が組み替えられ、鎖索の先が鋭いナイフのような四本指のアーム形へと変わる。

「あの男を正義の鎖爪(アリシダス)で制圧しろ」

ここで、オルガナとフーが一歩前へ出た。オルガナは腰の羽剣に手を当てる。その後方では、オルガナたちと行動を共にする蒼い瞳のアンドロイド兵たちも、主たちを援護するように無言で身構え、微かな駆動音を響かせていた。

(守る。絶対に奪わせない。)

二人が前傾姿勢になった瞬間、鎖索が蛇のように地を這った。一本がオルガナの足元へ、もう一本がフィービーの膝の高さへ、さらに一本がフーの背後へと回り込む。

オルガナは地面を軽く蹴って跳び退くと、流れるような動作で羽剣を抜いた。彼女の眼は、鎖の先にある『巻き取り器』を見据えている。

閃光(イランプス)

一瞬で甲冑兵の懐に潜り込んだオルガナは、巻き取り機を真っ二つに切断した。火花を散らして機構が壊れると、ピンと張っていた鎖索がだらりとたるむ。ただの重い鉄の鎖に成り下がった。

兵が驚愕に息を呑んだコンマ一秒の隙を突き、オルガナは地面を滑るように踏み込む。義手の硬質な掌で兵の腹部に重い一撃を入れ、胸当てを掴んで地面へ転がすように組み伏せた。

「寝てろ」

淡々とした声。殺意はないものの、有無を言わさぬ制圧に周囲の兵がたじろぐ。

「っ……!」

背後で、フィービーが小さく咳き込んだ。オルガナが振り返ると、同盟兵が放った別の鎖が、フィービーの胸を絞め上げる角度で絡みついていた。それでも彼女は、ユカを庇うように手を伸ばしている。

オルガナは瞬時に間合いを詰め、その巻き取り器も叩き割った。拘束が解け、大きく息を吸い込むフィービーの小さな背中を支える。

「大丈夫か?」

フィービーが小さく頷いたのを見て、今度はフーが空から降るような軽い声と共に前へ出た。

「ふーん。子供にも容赦なしか」

耳が伏せられ、瞳孔が獣のように細く寄っている。口元は笑っているのに、声の奥が氷のように冷たい。キツネの耳がピクリと動いた瞬間、広場の空気が一段と重く沈んだ。

「お前ら、無事に帰れると思うなよ?」

その迫力に、兵たちの足が無意識に半歩だけ後ずさる。

「誤解している。保護とは——」

「保護なら、まず縛るのをやめろ」

再び歪な笑顔を作り直そうとする使者を、オルガナが誰よりも静かな言葉で遮った。声を荒げないからこそ、その怒りの底の深さが伝わる。

兵たちが“本気”の配置へと展開した。ユカの瞳が紅く揺れる。このままだと、村の子供たちが巻き込まれる。

「……いい加減にしろよ。お前ら」

カイオが低く唸ると、甲冑兵が嗤い、二つの鎖爪を同時に放った。閉じるタイミングをずらした、いやらしい軌道。オルガナが間に入ろうとした瞬間、カイオが大きく踏み込んだ。

大剣に業火を宿らせ、大きく振り下ろす。鼓膜を劈く轟音と共に放たれた業火は、鎖爪を投げた甲冑兵を跡形もなく塵に変えた。その圧倒的な破壊力に、甲冑兵たちは一斉に動きを止める。

「兵が殺されたぞ! 村人全員殺せ!」

兵が叫ぶと、ユカはビジョンで見た通りに事が進んでいくことに震えが止まらなくなった。このままだと、戦争が起こる。

カイオは攻撃の反動で腕の火傷痕が赤黒く滲み、強烈な熱が走った。ユカの霊視がその内側を捉える。カイオの背後で炎猿の王が牙を剥き、火傷の線が今にも肩へと燃え広がろうとしていた。

「このままだと、カイオが燃えちゃう!」

ユカの悲痛な声に、カイオの集中が一瞬揺れた。熱が内側で跳ね返り、手の甲に新しい火傷の痕がジュッと音を立てて刻まれる。

「……っ」

カイオはギリッと歯を食いしばり、地の底から響くような声で言った。

「——汚れた者たちを、俺が火で清める」

それは宣言ではなく、祈りに近い響きだった。

ギシッ、と巨大な背骨が鳴る。カイオが大剣を天高く突き上げると、節々が激しく擦れ合い、真っ赤な炎が刃の隙間から噴き出した。凄まじい熱が空気を歪ませる。火が剣に宿っているのではない。握るカイオ自身が、その暴走する火を全力で受け止めているのだ。

「待て!」と叫ぶオルガナにも答えず、カイオは血走った眼で使者を睨みつける。

「……元を断つ」

一斉に放たれた鎖爪がカイオを包み込もうとするが、振り下ろされた大剣から放たれた業火によって、宙に浮いた鎖爪は熱でドロドロに溶け落ちた。カイオは大きく息を吸い込み、これ以上自分の身体に火傷が広がらないよう極限まで集中し、地を蹴る。

狙いは使者だ。その瞬間、甲冑兵の一人が使者を押し除けて庇った。巨大な刃が重力と共に振り下ろされ、ズンと短く重すぎる一撃が沈む。

悲鳴を上げる間もなかった。甲冑の隙間から業火が噴き出し、兵の身体は一瞬にして灰へと変わって崩れ落ちた。

オルガナの喉が詰まる。それは正義の戦い方ではない。だが、奪われた尊厳を“灰にして返す”という、アグニの民なりの凄惨な弔いの形がそこにあった。

「……機械が、盾になるのか」

甲冑兵の一人が呆然と呟いた。見れば、先ほどまで後方に控えていた蒼い瞳のアンドロイド兵たちがユカの前に立ち塞がり、その前腕を掲げていた。命令されたからではない。自らの意思で、盾として並び立ったのだ。

カイオは使者の首元に向かって大剣を向ける。使者はギリッと歯を食いしばり、顔の引きつりを無理やり笑顔の形に直した。

「……よい。今日のところ撤収するぞ。上に報告だ」

「逃さんぞ!」と睨みつけるカイオだったが、長が鋭く命令を下した。

「止まれカイオ! これ以上、好き勝手に動く事は許さん!」

長の声にカイオは硬直するように止まった。使者の手には通信機が握られており、これ以上戦えばすぐに街へ軍が押し寄せるからだと察したのだ。

「貴様ら、さっさと去れ! 殺されんうちにな」

長の冷え切った石のように硬い声に、使者は目を細める。

「条約を破ったツケは必ず払ってもらう。」

「この谷で、民は一人も連れて行かせはしない。それに、条約を破ったのはそっちだ。許可なくこの山への侵入は国連で禁止された筈だ」

長も一歩も引かない。チッ、と舌打ちをした使者は、一瞬だけカイオの手にある剣を見た。骨の節から漏れる赤い熱。そして、足元に散った兵士だった灰。その瞳に明確な恐れが浮かんだ。

「……撤退」

短い命令と共に、甲冑兵たちが一斉に引く。捕縛輪がカチンと鳴り、鎖索が巻き戻っていく。

最後に使者が振り返り、ねっとりとした視線でユカの首元を見た。

「回収は、終わらない」

その不吉な言葉を広場に残し、白い外套の列は、朝靄の残る渓谷の入口へと消えていった。

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