暁
掌を開く。黒に塗りつぶされた星のない天井に、弾丸から生まれた亀裂の四肢が、緩やかに伸びていく。破片が岩の隙間に落ちる音を遅れて拾い、聴覚に課せられていた呪縛が外されたのだと察せた。直に肌同士で触れていない相手の心音まで捉えられる耳だからこそ、瞼を閉じて横たわる兄の心臓が、少しずつ、確実に動きを鈍くしていく様子が、手にとるように分かってしまう。傍へと逸る足を床に張り付け、腕の中の少年を潰さないように抱きしめる。飢えを、存在を無かったことにされてしまう、彼にとっては七回目の明日を迎えるその前に、寂しさを拗らせてしまった魂を、少しでも癒してやりたい。
「……言って、貴女がどうなるか。分かっているんですか」
子どもの体温は高いそうだが、手袋越しであるがために鮮明には伝わない。柔らかい猫っ毛。表面に纏う鉄の臭いの奥には、石鹸の匂いがかすかにある。今や総理大臣にまで上り詰めた養母の愛情が染み付いた、心地よい香りだ。その配慮は、当然、カグツチに対しては向けられていない。
「アンタ、もう少しで消えちまうんだろ。なら、それまで全部貸してやる」
「そんな約束、何を根拠に言えるんです」
「信じるよ」
隣人以上に近しい相手と定めた巡が、義理の親族だからという理由だけで割り切ってきたのだろう善意を、カグツチは、どんな気持ちで見ていたのだろうか。彼を観測できる人間は一握りで、きっとその中でも大多数には認識すらされないまま、不確かな幻想に焦がれ続ける。西洋神話におけるイカロスの翼よりも脆い希望に囚われた結果、標的を誘う先として、太陽から一番遠い、地下という場所に篭ったのは自然な成り行きのように思われた。
「信じなきゃ、始まらないって話。……オレとは比較にならないだろうけどさ、寂しい気持ちは、分かってるつもりだよ」
自分は、近くにいたからこそお互いを傷つけていたから、異なる種類の欠落ではあるけれど。敷きっぱなしの薄い布団にくるまって夜が明けるのを待った幼少期のアルバムを回想して、胸の奥に風通しのいい小さな隙間ができた。
「悲しかったから、同じような境遇の巡と繋がったんだろう。例えば、オレが巡を、……愛情をもって、育てられていたら。カグツチは、ここに居場所を作らなかったと思ってる」
もしもの話をしても仕方がないけどな、と笑ってみても、返ってくる言葉はない。
「だから、いいよ。勝手に信じてるだけだから、約束を破られたって恨むもんか」
信頼は未完成だ。まだ、それに足る行いを示されていないから。けれども、信じたい気持ちは本物で、多少なりとも善い行いを選んで、彼に差し出してやりたい。かつて傷を負った自分自身が、そうされたいと願い、実際に乾から慈しんでもらえたがために、日常の些細な事柄で笑える程度には癒された自覚はある。産声を上げる前に黄泉へ降った赤子が、己にしか叶えられないことを求めたならば、能う限り許してやりたい。
天から落ちる瓦礫が、次第に大きく育っていく。殻の外側から手向けられた光が、閉じた瞼の内側へ、ちらちらと朱色を射した。
なばため、あおい。
ボーイソプラノで一粒ずつ並べられていく文字によって、身体の主導権が順調に剥がされる。代わりに顔を出した底の人格が、脳に手を這わせてくる。精神の全てを望むイザナミに、抗うことなく力を抜けば、春の午睡に近しい眠りが指の先まで満ちていった。




