表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地獄現世支部  作者: 翠雪
本編
PR
85/88

冥土の荼毘

「青頭巾の成り損ないが」

 苛立ちをあらわにした若鳥の囀りと眼差しを合図に、異形に挟まれたままだった左膝から先が、胴体から離れた。

 痛みで簡単に失神できるほどには生易しくない断面の延長線上では、自身と分断された肉塊が、化け物のもつ岩のような牙によって不満げに咀嚼されていた。脂汗が表皮に噴き出して、必要以上に見えるようになった目が回る。たとえ死んでも矜持はやるものかと食いしばった奥歯が軋む。氷水と熱湯を交互にかけられているようなバグをきたす剥き出しの神経に、誰か、焼けた鋼をあてがってくれ。

 妹と繋いだ手を引き剥がされ、彼女とは対角線上にあたる地面へ叩きつけられれば、受け身をろくに取れない欠損のままならなさを実利からも思い知らされる。頭部を掴む黒の糸の隙間から覗いた揺らぐ景色は歪んでいて、正しい輪郭を辿れない。投げられた拍子に留め具が外れたらしい長い黒髪がいかんなく床へ散っているけれども、身を受け止めてくれるだけのクッションとしてはほとほと足りず、激しい咳に見舞われる。咳に交じった赤色で、上半身のいずれかの内臓が損傷したことを察した。

「貴方へは、加護なんかじゃ誤魔化されないよう、ちゃんとずっと痛くしているので。安心してくださいね」

 狼の呻きかと勘違いしたそれは、己の喉から鳴っていた。遊び足りないと喧しい穢れの姦しを無視して、求めるものが得られない虚しさを八つ当たりしてくる稚児を振り仰げば、未発達で大きな瞳と簡単に目が合った。

 吊り上がった目尻は、確かに、妹とよく似ている。

「他人の、悲しみを、利用するな」

 掠れる息から押し出した音は、先に同僚の五感を縛った文法よりも遥かに弱い。言葉で人を縛り、操作するすべを叩き込まれた身の上のくせをして、ここぞという場で情けないことこの上ない。情けないついでに、こんな状況ですら大人の顔を続けていることまでもが馬鹿らしくなってきて、体温と気分が二人三脚で下降していく。妹の耳を塞いだ今は、自身と彼の発言で彼女の尊厳を傷付けずに済むことだけが救いだった。

「これはボクのものだ! ボクたちのっ、ぼくだけの!」

「っはは!」

 笑いが堪えきれなかった。震えた横隔膜の余波で、足りない身体の部位が引き攣れる。痛みはだんだんと遠のいて、感覚が薄くなってきた。

「ッ、はぁ……駄々をこねて、強引に、縛ろうとして? 巡とこいつの問題に割り入って、どさくさ紛れに、自分の母親を欲しがっているだけにしか聞こえなかったぞ」

「黙れ」

「魂を抜くなりして、イザナミそのものに作り変える、つもりなんだろうがな。あの子は、お前に報いる義理はない」

「黙れって言って――」

 いよいよ、気を保っていられないか。文が半ばで聞こえなくなった理由を自分の失血に求めたところで、砂利の転がりは拾った鼓膜に違和感を覚えた。

「センセ、耳、治して」

 閉じかけていた瞼から淡く捉えた視界は、イザナギと同化する前の近眼と、ほぼ同じ景色だ。彼女の発話と聴覚の両方を制限していたのに、うち片方が勝手に解けてしまったのも、自身の衰弱からとすれば頷ける。背後から抱き込む形で子どもの動きを止めた彼女は、小さく浅いだろう少年のこめかみに、ぴたりと銃口を突きつけていた。下がる血圧のせいで、表情が霞んで見えない。

「お願い」

 末尾を震えさせるガラス玉には、水が張っているだろうか。一度こうと決めたら突き進む、妹の美徳でもある素直さのせいで、巡を、ましてや見ず知らずの神までもを、見捨てられずにいるのか。

「……単細胞だな、本当に」

 だからこそ、いつまでも守っていたかったんだ。

 音節の繋ぎに鍵を提げて、耳の塞ぎを除けてやる。手向けるところまでで気力を払い尽くしてしまって、眼を開けていられなくなった。背の冷たさは、流れ出た液体によるものだけではない。

「……オレには、納得できねえけど。アンタにとっては、どうしても必要なんだよな」

 彼女が少年に理解を求めた代わりに、同類のエゴを受け入れるための空白は、他を削ってでも作らなくてはならない。他人に求めるだけ求め、相手からの欲には応えられないのであれば、いたずらに天秤の均衡を崩しているのと何ら違いはないのだと理解できる愛し子の賢さが、今はいっとう憎かった。


「青天目、葵。これが、アンタの荼毘に付き合う女の名だ」


 遠のいていく音の最後に、銃声が響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ