最終話・二人の結末
フレデリクが言っていた通り、あれから割とすぐにルドルフの即位を祝うパーティーの開催が公となった。
初めて貴族達の前に出なければならないセラフィーネは、ドレスを誂えたり、アクセサリーを選んだりと忙しい日々を送っている。
その合間に王女としての振るまいを遠縁である公爵夫人から教えられていたが、前の侍女やエレノアの教育もあって、特に酷く注意をされることはなかった。
ただ、口調のことに関しては公爵夫人から口うるさく注意されていた。
「いくらルドルフ陛下やフレデリク殿下がセラフィーネ様にはお話しさせないと仰っておいででも、声をかけられる貴族はおりますでしょうに」
「大丈夫よ。側にフレデリクお兄様がいるし、私の代わりに答えてくれる手筈になっているもの」
「"いらっしゃる"です」
「……ええ、そうだったわね。気を付けるわ」
言葉って難しい、とセラフィーネは項垂れる。
長年使い慣れた話し方をいきなり変えろと言われても、短期間で身につくはずがない。
幸い、パーティーでは喋らずに兄達の側で笑っていればいいとは言われているが、公爵夫人の言うように喋らなければならない場面もあるかもしれなかった。
「短期間ですから中々難しいとは思いますが、今度のパーティーはセラフィーネ様のお披露目の意味もございます。セラフィーネ様のご結婚のことを考えれば、第一印象が最も重要です。何か良いお手本はないものでしょうか?」
話を聞きながら、セラフィーネは頬をひくつかせる。
公爵夫人は彼女が本当に病弱で世間知らずな王女だと信じ切っている。
まさか、もう決まった相手がいて他の相手の結婚相手と見なされないようにしているなどとは思いもしていない。
事情を全て話すわけにもいかないので、どうしたものかと彼女が視線を彷徨わせていると、心配そうにセラフィーネを見ているエレノアと目が合った。
瞬時に彼女は、これならいけるのでは? と目を輝かせる。
「お手本というなら、エレノアの口調を真似するというのはどうかしら? そうすれば、丁寧な言葉遣いができるはずだもの」
「……確かにエレノアでしたらいい手本となるかもしれません。セラフィーネ様も親しくしている方のことは、よくご存じでしょうから身につくのも早いかと思いますし」
解決策を見つけたセラフィーネは、なんとか公爵夫人を納得させることができて胸をなで下ろす。
だが、ホッとしたのも束の間、彼女は公爵夫人からエレノアになりきって喋ってみろと無茶振りを受けてしまう。
彼女は記憶を呼び起こして必死に丁寧に喋ろうとしていたが、やはり所々でボロがでる。
公爵夫人に言葉を正されながら、地獄の特訓は長時間続いたのだった。
そうして口調に若干の不安を残す中、あっという間に兄ルドルフの即位を祝うパーティーの日を迎える。
贅沢に刺繍が施された淡いパープルのドレスに身を包んだセラフィーネは会場の扉の前で紹介されるのを緊張しながら待っていた。
側にはジェラルドもいたが、彼は怖じ気づくこともなく飄々とした様子である。
きっと人事だからだろうと思った彼女は口を尖らせた。
「……緊張していないのかしら?」
「してますよ。口から心臓が飛び出しそうです」
「嘘」
訝しむような視線をジェラルドに向けると、彼は「本当ですよ」と口にしながら、即座に全く関係のないことを話し始める。
「それにしても赤毛のカツラが良く似合っていますね。見慣れていないので別人ではないかと何度も見てしまいますが」
「仕方ないでしょう? カツラを被らないと貴族達が動揺するのだもの」
ジェラルドの言葉の通り、セラフィーネのシルバーブロンドは赤毛のカツラの下にしまわれている。
いくら顔が似ていたとしても、いきなり髪色の違う彼女が姿を現したら先王の隠し子か本物と入れ替わった別人かを疑われてしまう。
毎日顔を合わせる王宮の使用人なら彼女の態度や振る舞いを見て理解してくれるが、頻繁に顔を合わせない貴族はそうもいかない。
それを避けるためにカツラを被って欲しい、と兄達に言われていたのだ。
ノホホンと深く考えなかった彼女は、それもそうかと受け入れた、というわけである。
ちなみに会場には彼女の両親と祖父母の肖像画が飾られており、先入観なしで祖母と似ていると思わせる思惑があった。
カツラをかぶるのは最初だけで、貴族達が彼女を正当な王女と認めたら取ってもいいことになっている。
「日頃からカツラはかぶり慣れていますもんね。見事なものですよ。けれど、上手く納得してもらえるでしょうか」
「家族や使用人達のお墨付きもあるから、すぐに納得するわよ。……それよりも、似合っているのはカツラだけなのかしら?」
今日の装いに対して褒め言葉がないことが不満なセラフィーネはジェラルドを見上げた。
何を望んでいるのかすぐに分かった彼は、優しく微笑みながらその場に跪く。
「そのカツラの色にもドレスは似合っていますが、シルバーブロンドの髪は更にドレスを引き立たせることでしょう」
「あとは?」
「できることなら他の者に見せたくはありません。今日のセラ様は、いつもよりも輝いて見えて、まるで別人のようです」
そう言って、セラフィーネに向かって手を差し出した。
満足のいく答えにニンマリと笑った彼女は、誘われるままジェラルドの手に自身の手を重ねる。
実はこのとき、フレデリクによって扉が少しだけ開けられていたのだが、完全に二人の世界に入ってしまっていたので気が付いていない。
思い掛けず妹がいちゃついている現場に居合わせてしまったフレデリクはどん引きしていたが、目に入っていないジェラルドは言葉を続けた。
「セラフィーネ様の手に唇で触れる許可をいただけますか?」
ゆっくりと噛みしめるような口調と態度は、いつぞやの言いくるめるような許可を求めるものではなかった。
今度は意味をきちんと理解しているセラフィーネに断る理由はない。
「もちろん許可するわ」
「……光栄です」
これまでない以上に目尻を下げたジェラルドは、唇をセラフィーネの指先に近づける。
あと少しで触れるかというところで、二人の耳に第三者の咳払いが聞こえてきた。
「人目がないところで何をしている」
二人の親しすぎる場面を見ていられなかったフレデリクは呆れ顔であったが、額には青筋が立っていた。
突然の第三者の登場に誰よりも驚いたのはセラフィーネである。
「お、お兄様!?」
家族に見られた気まずさから、セラフィーネは慌てて手を引っ込める。
顔を真っ赤にさせて恥ずかしがる彼女とは違い、ジェラルドは邪魔されたことに不満を持ったが、相手は王子なのでグッと堪えていた。
爽やかな笑顔で立ち上がると、一歩後ろに下がる。
だが、一部始終を見ていたフレデリクは腕を組んで人差し指をトントンと動かしている。
「大事な大事な、だいっじな! 兄上の即位を祝うパーティーの場なんだが。しかも、セラフィーネのお披露目も兼ねてる重要なものなんだ。それなのに、まさか恋人と戯れているとはね」
「ごめんなさい。つい盛り上がってしまって」
「盛り上がる前に緊張感を持って欲しいところだ」
「盛り上がる前は持っていたのよ」
「持続させてもらえるだろうか!?」
フレデリクが苦言を呈したくなるのも仕方がない。
ルドルフの国王としての初仕事に加えてセラフィーネのお披露目もあって、彼が神経を尖らせていたときにコレだ。
セラフィーネが逆の立場だったらもっと責め立てていたかもしれない。
さすがに申し訳なくなった彼女はションボリとしている。
だが、ジェラルドは空気を読まない。
「ところで、殿下がいらしたということはセラフィーネ様の出番なのでは? 皆様をお待たせしては大変です」
「僕は君のそういうところが気に入らない」
「常に冷静な者がいた方が良いかと思いますが」
「君は当事者だろう! って……続けてる場合じゃないな。確かにバークスの言う通り、準備が終わったからセラフィーネを呼びに来たんだ。緊張していないか不安だったけれど、その様子だと平気そうだな」
苦笑しながらも、フレデリクはこれなら貴族達の前に出られるだろうと内心でホッとした。
けれど、セラフィーネはこれからの大仕事がすぐそこまで迫っていることに表情を引き締める。
「さっきまでのリラックスした君はどこにいったんだい?」
「そうは言っても……ああ、違うわ。……そうは仰っても、貴族達に王女だと認められなければならないのでしょう? お祖母様と似ているとはいえ、皆が若い頃を御存じなわけではないわ」
セラフィーネの口調の変化にフレデリクは気付いていたが、それを指摘して変に体を堅くされても困る。
なので、それには触れずに彼は平常通りに口を開いた。
「大丈夫だ。そのために隠居した元当主達も招待しているんだから。彼らなら、お祖母様のことを昔から知っているからな」
「……そう。なら問題はないわね。不安もあるけれど、お兄様達がいらっしゃることだし、安心して向かえるわ」
「もちろん、何か問題があれば君を助けよう。なんたって僕は君の兄なんだから」
朗らかに笑ったフレデリクにセラフィーネの肩から力が抜けていく。
それを確認した彼は、そっと手を背中に回した。
「じゃあ、行こうか。皆、君の登場を待ち侘びてる」
「ええ。エスコートをよろしくね」
気丈に笑ったセラフィーネはフレデリクに背中を押されるまま、会場内へと足を踏み入れたのである。
会場内は楽団の奏でる音楽と色んな人の話し声が聞こえ、非常に賑わっている様子が伝わってくる。
この中に入っていかなければならないのかとセラフィーネは知らず内に手をギュッと握った。
彼女の緊張感が伝わったのか、フレデリクは何度も背中を優しく叩いている。
不安がないといえば嘘になるが、彼女が王女に戻ることで助けられる人はより多くなることを理解していた。
その思いが彼女を奮い立たせる。
「大丈夫よ。私は私の仕事を全うするわ」
それだけ言うと、セラフィーネは人でごった返す会場の壇上に姿を見せた。
背筋は真っ直ぐに伸び、目はただ一点を見つめている。
堂々とした彼女の登場に、会場にいた貴族達は静まり返った。
貴族の相手をしていたルドルフは、壇上にいる彼女の側に近寄ると優しく微笑みかけた。
だが、それは一瞬だけで真顔に戻った彼は唖然としている貴族達を見据える。
「皆に紹介しましょう。長らく病床に就いていた我が妹のセラフィーネです。ようやく回復し、こうして皆の前に姿を見せられるほど回復しました。離宮での生活しか知らず、少し世間を知らないところがありますが、これからは公務にも出ることもあると思うので、力を貸してもらいたい」
極力喋るなと言われていたセラフィーネは、その場で貴族達に向かって優雅に微笑んで見せた。
年輩の貴族達は、その顔が兄達や彼女の祖母と似通っていたことから、紛う事なき正当な王女だと認めて恭しく頭を下げる。
それを見ていた中年や若い貴族達も、会場に飾られた彼女の祖母の肖像画と見比べて納得したのか揃って後に続いた。
方々から「王太后様によく似ていらっしゃる」とかいう声が聞こえてきたので、兄達の作戦は成功したということだ。
こうして、無事に彼女は正当な王女だと貴族達に認められたのである。
ルドルフから目配せされたこともあり、もう大丈夫だろうと彼女は赤毛のカツラを徐々に取っていく。
貴族達はカツラの下から現れた彼女のシルバーブロンドに言葉を失ったが、一度は認めたこと。文句をいう貴族は誰もいなかった。
「見ての通り妹は私達と髪色が違います。皆にあらぬ誤解をさせたくない故、妹にはカツラをかぶってもらっていたのです。ですが、顔立ちは王太合である祖母と似通っていますし、皆も彼女を正当な王女と認めたことでしょう。……しかしながら、回復したとはいえ妹は元から体が弱い。今日も少し無理をしてこの場に立っています。しばらくは皆の招待に応じられませんが、了承してもらいたい」
続けて言われた言葉に会場にいた貴族達は髪色の違うセラフィーネに戸惑いながらも満面の笑みで頷いた。
貼り付けた笑みの彼らを見て、セラフィーネに利用価値がないと判断したと思ったが、正当な王女だと認められた今になってはどうでもいい。
自信に満ちた表情を浮かべた彼女は貴族達を見回している。
その傍らには勲章を付けた近衛騎士のジェラルドの姿もあった。
彼を見て、警備をしていた一部の騎士達は苦い顔をしている。
特に重要でもない病弱な王女の近衛騎士となったことで消えてくれたと思っていた彼が、勲章を付けていたのも気にくわないのだろう。
セラフィーネは内心で苛つきながら、そういった騎士達の顔を目に焼き付けていた。
「あの者達を見返してやりたいわね」
貴族や騎士達の意識がルドルフに逸れているのを確認した彼女は、笑顔のままそう告げた。
「今でも十分見返していますよ」
ジェラルドにとっては、妬みなどどうでもいいことである。
ただ、恋した人の側にいられる立場が得られただけで十分なのだから。
「欲のない男ね」
「そうですかね。俺ほど欲深い男はいないと思いますが。なんせ、一国の王女と結婚しようと考えているのですから」
冗談めいたジェラルドの言葉に、セラフィーネは下を向いて笑い声を上げるのを耐えた。
(本当に私は彼の発言ひとつで感情を揺さぶられるわ)
でも、それが不快だとは思わない。
惚れた弱みといえばそれまでだが、セラフィーネは心からジェラルドを信頼している。
軽口が叩ける今の関係を良かったと思えるくらいに満足していた。
そんな彼女を本当に本心から王女が公式の場に出てきたことを喜んでいる一部の貴族達が取り囲む。
即座に現れたフレデリクによって助けが入ったが、姿を見せなかった十四年間のことについて根掘り葉掘りと聞かれるのには参ってしまう。
それに関しては、寝込んでいたのでとしか言いようがない。
けれど、大勢の人に取り囲まれるのは慣れないし疲れるものだ。
しばらくすると、彼女は至るところから飛んでくる質問に疲れ果てていた。
もはや、早く王宮の自身の部屋に帰りたいと思うくらいには質問攻めにされていたのである。
いい加減、辟易としていた彼女に、フォローに入っていたフレデリクの天の声が聞こえてきた。
「申し訳ないけれど、妹は初めて見る大勢の人に疲れているようだ。これからも時間はあるので、ここら辺で彼女を下がらせてあげたい」
フレデリクの言葉に、群がっていた貴族達は納得したように途端にセラフィーネの体調の心配をし始める。
病弱という設定が役に立ったと思いながら、彼女は具合が悪い振りをしながら会場から外に出ることに成功したのだった。
会場から外に出たセラフィーネは群がる貴族達の質問攻めが終わって解放感でいっぱいだった。
「彼らの相手をし続けているお兄様達には悪いけれど、ようやく大仕事が終わったわ」
「お疲れ様でした。ですが、これからですよ?」
「分かっているわ。王女という身分を得たのだから、これまで以上に努力するわよ。だから、これからもジェラルドは私の側にいてくれる?」
答えなど聞かなくても分かっていたが、それでもセラフィーネは確認したかった。
彼女の不安を打ち消すかのように、ジェラルドは真剣な顔で頷いた。
「セラフィーネ様の身を守るのが俺の仕事ですからね。もちろん、お守りするために付き従いますよ」
「あら、仕事だけなの?」
「もちろん、公私ともにです。俺は貴女の……貴方だけの騎士なのですから。やりたいことに突き進むセラフィーネ様をいつまでも見守りますよ」
ジェラルドの返答に気をよくしたセラフィーネは頬を染めながら上機嫌になる。
「ありがとう。私のやることでジェラルドに迷惑をかけるかもしれないけれど、よろしくお願いするわ。この見た目のせいで出遅れたけれど、王女として生まれたからには国のために、民のために働くのは義務だもの」
もはや公に出た王女に怖いものなど何もない。
自信満々に言い放つセラフィーネに、ジェラルドは堪えきれずに噴き出してしまった。
それに怒った彼女は頬を膨らませる。
「何よ。そんなに意外だったというの?」
「いえ、逆です。立場が変わっても、セラフィーネ様の目的は変わらないのだなと思ったら妙に安心してしまって。セラフィーネ様はどんなときでも真っ直ぐで、忘れかけていた大事なものを思い出させてくれる方だなぁと」
「自分では分からないけれど、ジェラルドからそう言われると舞い上がってしまいそうになるわ」
「では、舞い上がったついでに、先ほどの続きをしても良いでしょうか?」
疑問系で聞きながらも、セラフィーネが断るとは思っていないのか、ジェラルドはその場に跪いて手を差し伸ばしてくる。
その行動で、彼が会場に入る前にやろうとしていたことの続きをしようとしているのに気が付く。
意外と根に持つのだなと思いつつ、差し伸ばされた彼の手にセラフィーネは手を乗せる。
「先ほどはフレデリク殿下に邪魔をされてしまいましたので。どうか、今一度許可を」
「もちろん許可するわ」
セラフィーネが言い終わる前に、指先にジェラルドの柔らかい唇が触れる。
せっかちな行動を見ると、余程邪魔をされたくなかったようだ。
年上なのにこういう子供っぽいところがあると知った彼女は微笑ましく思った。
すると、顔を上げた彼が表情を引き締めてジッと見つめてくる。
「俺は、絶対にセラフィーネ様を生涯かけてお守りすると誓います。決して貴女を不安にさせたりしません」
「……なら、例えどこに行っても、必ず私の元に返ってくると約束してちょうだい」
「お安いご用です。俺の帰る場所はセラフィーネ様のところなんですから」
甘い雰囲気が漂う中、二人は言葉を交わすことなく見つめ合う。
一目で恋人同士だと分かるくらいに互いの目には相手に対する愛おしさが込められている。
どんな試練があろうとも二人で乗り越えてみせる……! という強い意志が感じられた。
誰もいない場所で互いに微笑み合いながら、二人だけの時間は過ぎていったのである。
こうして、見た目のせいで離宮に捨て置かれた王女と冷遇されても飄々と生きてきた騎士の物語は幕を閉じることとなった。
余談であるが、そんな二人の恋物語は色々と脚色されて数百年後まで語り継がれていくことになる。
そして、王国内のとある侯爵家には夫婦となった二人の姿が描かれた絵が飾られていたのであった。
これにて完結となります。
読んで下さった皆様、ありがとうございました!




