第十六話雲海の迷宮、巨木の呼吸
台湾祓清愛哀歌:第十六話「雲海の迷宮、巨木の呼吸」
1.雲を抜ける「赤い列車」
2000年代初頭、台湾中央部の険しい山道を、佐藤蓮の駆るカローラがエンジンを唸らせて登っていました。標高2,000メートルを超えると、窓の外には見渡す限りの雲海が広がり、伝説の「阿里山森林鉄道」の赤い車両が、霧の中から生き物のように現れては消えていきます。
「……さすがにこの高度、空気が薄いですね。iMacのファンも心なしかいつもより激しく回ってる気がします」
美鈴が厚手のパーカーを着込みながら、画面に流れる磁気データを凝視しています。
今回の依頼は、阿里山の象徴である「神木」の周辺で、原因不明の電子機器の故障と、ハイカーたちの「集団失踪(神隠し)」が相次いでいるというもの。林さんの調査によれば、枢栄会がこの地に「霊的リピーター(中継器)」を設置し、山全体を巨大なアンテナに変えようとしている形跡がありました。
2.霧に消えた「古の回路」
阿里山の中心部、樹齢数千年を超える巨木が立ち並ぶエリアで、陳巡査部長と林さんが待機していました。
「佐藤さん、よく来てくれた。この先は無線も通じない。林さんが持ってきた特殊な受信機によれば、神木の根元から、この世のものとは思えない『ノイズ』が発信されているようだ」
陳巡査部長が、深い霧の奥にある巨大な神木を指さしました。
美鈴がスキャンを開始すると、絶句しました。
「……酷い。神木の生命力(気)を強引に吸い上げて、デジタル変換するための『電子の苔』が樹皮を覆っています。枢栄会は、この山の神聖な呼吸を、自分たちの通信網の電源にしようとしているんだわ!」
霧の中から、電子音を纏った「霧の兵士たち」が姿を現しました。それは山で命を落とした過去の住人たちの記憶を、志豪がプログラムで再構築した擬似霊体でした。
3.太極の光、神木を包む
蓮は静かに帰真剣を抜き、指先で剣身をなぞりました。今回は拳ではなく、純粋な道教の法力で挑みます。
「天地に広がる神聖なる気よ、我が剣に集え。……道法自然、五行相生!」
蓮が剣を大きく振ると、周囲の霧が渦を巻き、彼の足元に巨大な太極図が浮かび上がりました。彼は剣先から数枚の「鎮霊符」を放ち、それらを空中で五角形の陣に配置します。
「急々如律令! 穢れを清め、本来の律動を呼び戻せ!」
蓮が呪文を唱えると、剣から放たれた柔らかな黄金の光が、神木に纏わりついていた「電子の苔」をじわじわと焼き払っていきました。擬似霊体たちは電子のノイズを上げながら、蓮の放つ清浄な気の波に呑まれ、穏やかな霧へと還っていきます。
美鈴もまた、シャドウを影の回路に潜り込ませ、枢栄会のサーバーを内部からオーバーロードさせました。
「シャドウ、ラストスパートよ! 歪な接続を全部断ち切って!」
最期の火花が散り、山の静寂を乱していた電子音は完全に消失しました。神木が大きく「呼吸」したかのように、周囲の霧が一気に晴れ、満天の星空が姿を現しました。
4.エピローグ:高山茶の静寂と、山葵の刺激
事件が解決し、四人は山のロッジのテラスで、ようやく一息つきました。
「……ふぅ。やっぱり、山の上で淹れる『阿里山高山茶』は格別ですね。香りが鼻に抜けて、魂まで洗われるみたい」
美鈴が小さな茶杯を手に、琥珀色のお茶を楽しみます。
「ああ。これだけの霊峰を汚そうとするとは、枢栄会の野望も底が見えんな」
蓮はそう言いながら、地元で採れた新鮮な山葵をたっぷり使った**「山葵肉片(豚肉のわさび炒め)」**を口に運びました。
「うおっ……! ツーンとくるな。だが、この刺激が戦いの後の神経にちょうどいい」
「あはは、先輩、鼻を真っ赤にしてますよ。……でも、この山葵の辛さも、この山の豊かな自然があるからこそ、ですね」
四人の笑い声が、静かな阿里山の夜に響きます。
山の神様も、彼らのささやかな宴を静かに見守っているようでした。
【今回のグルメ備忘録】
阿里山高山茶: 標高の高い場所で育った最高級の烏龍茶。蘭のような高貴な香りが特徴。
阿里山山葵: 阿里山の冷涼な気候で育った本わさび。鼻に抜ける爽やかな辛味と甘みが絶品。
次回、第17話。




