4.沈黙の証明
佐々木に案内され、仮の自室として割り当てられた白い区画へ向かう。
足音は一つずつ、ゆっくりと確実に前へ進んでいるはずなのに、歩いている自覚が薄い。
目的地だけが、脳を支配していた。
「こちらです」
佐々木が立ち止まり、指で示した扉が静かにスライドする。
――その瞬間、世界の電源が落ちた。
部屋は小さかった。
縦に置かれた冷却台。その上に、白布で覆われた一人分の輪郭。
照明は弱く、余計な影のない構造。
ただ“死”を正しく確認するための配置。
歩いている感覚が希薄で、足だけが勝手に前へ進んでいく。
そして視線がそこへ吸い寄せられた。
白布が胸の部分でわずかに沈んでいる。
その形で、誰かが息をしていないことを理解してしまう。
佐々木が布に手をかけ、ためらうように一度こちらを見る。
「……開けます」
俺は返事をしなかった。
できなかった。
布が静かに持ち上がる。
黒く焦げた跡。
焼損した胸部。
骨が露出した部分。
だが、顔は――辛うじて形を留めていた。
ナミだった。
膝が、勝手に折れた。
身体のどこにも指令を出していないのに、地面が近づいてくる。
指先が震え、喉が勝手に熱をこぼす。
制御不能な液体が、目から落ちた。
滴るというより、崩れ落ちるように、止まらない。
声にはならない。
呼吸の乱れだけが、泣いている証明になっていた。
佐々木の視線が、一度だけこちらに向いた。
だが、何も言わなかった。
そして、扉が閉まる音が、わずかに反響して消え、人工空調の音だけが残る。
俺は床に座り込んだまま、動けない。
世界が一点に収束し、五つの層が同時に起動する。
【観察者】
事実:ナミは死んでいる。
形状、温度、損傷。
それを確認している自分がいる。
しかし“受容”の反応は無い。
観測のみ。ナミ。ナミ。ナミ。
【演算者】
死=不可逆。
死体=保存された状態。
生還の可能性=ゼロ。
結論:ナミは戻らない。
しかし感情処理ルーチンが停止している。
計算結果は出るのに、納得が出ない。
ナミ。ナミ。ナミ。
【実行者】
触れたい。確かめたい。
抱きしめたい。
しかし身体が動かない。
喉が塞がり、息が詰まる。
行動不能。動作拒絶。
ナミ。ナミ。
【破壊者】
TARAK-Xを起点に、関連する構造物・因果を全て排除しろ。
奪ったもの全てを破砕しろ。
焼けた剣。血。構造体。
TARAK-Xを全て消し去れば、世界は――
いや違う。それでもナミは戻らない。
破壊衝動だけが、行き場なく燃えている。
【叫び】
声にならない。
喉の奥で、名前だけが割れ続ける。
ナミ。
ナミ。
ナミ。
ナミ――。
息が戻ったのは、どれほど経った後か、もう判断できなかった。
涙は乾かず、ただ重力に従って落ち続ける。
額と額を合わせてそっと呟く。
「誰よりもお前を愛しているよ」
そして布をそっと戻し、ようやく顔を上げた。
決意という言葉は軽すぎる。
今のこれは、ただの“必然”だった。
――TARAK-Xを殺す。
――ナミを弔う。
その二つだけが、これからの世界を歩く理由になっていた。
俺は立ち上がる。
迷いも、言葉もなく。
白布に覆われた形に一礼し、静かに目を閉じた。
守れなかった世界は、もう壊す以外の用途はない。




