2.漂白の取引
時の流れが存在するのかどうかすら曖昧な空間の中で、不意にスピーカーから声が響いた。
『……少し長く話すが、聞いてくれるかい』
抑揚のある、妙に軽い声だった。
冷たくもなく、優しくもない。
けれど、どういうわけか“慣れている”感じがした。
人と話し慣れている、そういう種類の声。
『前提として、これは脅迫だと思ってくれていい。』
軽く笑うような呼気が混ざった。
冗談めかして言っているのに、どこかで本気だ。
『君が意識を失ってから、三日が経過した。そのあいだに“我々”は多くの情報を得た。』
『まず、TARAK-Xについて。
あれは体内に人間を取り込み、大気圏外に存在すると推定されている母艦へ運ぶ機構を持っている。』
一呼吸おいて古川は続ける。
『そして回収した第二群体の中身を調べてみた。内部に取り込まれていた人間は、皆“死んでいた”。
――正確には医学的な意味での脳死に近い。少なくとも、意識活動は検出されていない。
ナミ君の状態も、第二群体内部で確認された脳死例と一致している。君が剣を入れる前から、意識活動はなかったんだ。
今の彼女は、要するに、保存されている状態だ。』
“死んでいた”。
“保存”。
その言葉が、氷のように頭に沈んでいく。
理解はできる。だが、受容はできない。
小さな唸り声が、自分の喉の奥から漏れた。
少し間をおいて古川は続けた。
『つまりさ、君が殺したんじゃない。
君の妹――相澤ナミを殺したのは、TARAK-Xだ。
少なくとも、君にそう判断させるだけの材料は揃っている』
音が遠のく。
脳が一瞬だけ“無音”に落ちた。
『信じるかどうかは任せる。
僕は研究職ではなく現場上がりの政治屋みたいなもんだ。
ここで嘘をついて君を懐柔したところで、外に出て他の真実を知れば、君はすぐに自らを手にかけるだろう。
誓えるよ、嘘は言っていない。』
声の調子をわずかに落として発せられたその言葉は、奇妙な誠実さを持っていた。
だが、そこにあるのは誠実さだけでもない。
ただ、“合理”があるだけだった。
『さて、本題に入ろう。』
少し明るい調子に戻る。
空気の変化がわかるほど、声のトーンが切り替わった。
『ナミ君の遺体は、今、僕の権限下で管理している。
このまま解剖に回すこともできる。
もしくは、君に渡す……返すことも。』
その言葉で、心拍が一拍跳ねた。
ナミ、という音だけで、全ての神経が焼ける。
『つまり取引だ。
僕が君に頼みたいのはひとつだけ――“TARAK-X”を殲滅してほしい。
その代わり、ナミ君の遺体を返す。
簡単だろ? 君ならやれる。なにせ“トリックスター”は、君を選んだんだ。』
声が軽く笑った。
だが、その笑いが、どこまでも現実的だった。
慰めでも、希望でもない。
ただの“提案”。
――交換条件。
――脅迫。
――取引。
どんな言葉で飾っても、同じ意味だ。
彼はナミを、“返す”と言った。
なら、答えは最初から決まっている。
俺は、ナミを取り戻す。
どんな形であっても。




