『試作開始』
保存食工場の一角。
鍋の中で、香辛料と肉の香りが立ちのぼっていた。
職人たちは、異世界では見慣れぬ分厚い金属鍋を囲み、ショウイチの説明に首を傾げている。
「もっと強く火を当てろ。……いや、強すぎだ! おい、それ蓋が膨らんでるぞ!」
ドンッ!
鈍い音と共に蓋が弾け飛び、工場の天井にカレーの具が張り付いた。
見学に来ていたリナが、一歩後ずさる。
「ねえ……これ、本当に安全なの?」
「慣れればな。今は……まあ、洗い直しだ」
ショウイチは頭をかきながら、吹き飛んだ蓋を拾い上げた。
二度目は圧力を弱めたが、今度は煮込みが足りず、肉が硬いまま。
三度目は香辛料の配合を間違え、辛さが兵士泣かせの域に達した。
工場中がむせ返り、護衛の一人が涙目で水をがぶ飲みする。
それでも試作は続いた。
干し肉と玉ねぎ、少しの香辛料を組み合わせ、加熱と密封の手順を何十回も繰り返す。
「これだ……!」
ショウイチが味見し、短く呟いたとき、リナは笑顔で頷いた。
並行して、まるふく商店の雑貨も売れに売れた。
侯爵家の紋章をあしらった装飾品は、地方貴族や裕福な商人が競うように買っていき、在庫は減る一方。
だが、工場の棚からは、残りわずかな本物のレトルトカレーや缶詰も消えていく。
ショウイチはその棚を見つめ、口の中でぼそりと呟いた。
「……無くなる前に、完成させねぇとな」
何十回目かの失敗の後、ショウイチは鍋の前で腕を組んだまま動かなくなった。
護衛たちは「また怒ってるのか……?」と目を合わせ、リナは小声で「考えてるだけよ」と返す。
「……炭だ」
ショウイチがぽつりと呟いた。
「え?」
「この世界の料理人は、薪か直火でしか温めねぇ。でもそれだと火力の差が激しすぎる。だったら――炭を一定の大きさに揃えて、燃え方を安定させればいい」
侯爵の紹介で集めた料理人たちは半信半疑だったが、ショウイチは実際に作業を始めた。
同じ大きさに切り揃えた木炭を金属枠に並べ、密封済みの鍋をその上に置く。
火は静かに、しかし確実に熱を伝え、過剰な圧力もなく中身をじっくり温めた。
蓋を開けた瞬間、湯気と共に肉と味噌の香りが立ちのぼる。
干し肉入りの味噌汁――試作の中でも最も香り高く、具も柔らかい。
リナは口に運び、目を丸くした。
「……これなら、旅でも戦場でも食べられる」
その日から工場では、大きさを揃えた炭が山のように積まれ、料理人たちは「炭の番人」と呼ばれるようになった。
火加減の問題が解決したことで、干し肉味噌汁と塩鮭の保存食は安定して生産可能になり、初の出荷が決まった。
まるふく商店では雑貨の売れ行きも加速し、棚は日に日にスカスカになっていく。
だが、ショウイチが本棚のように整頓していたレトルトカレーと缶詰は、もう残り片手で数えられるほど。
「……絶対、間に合わせる」
彼はその在庫を見つめながら、そう心の中で誓った。




