一
なぜこのような処に。という疑問は後々沸いてきたのだが、今はとにかく外界へとコンタクトを取る手段、もっと言えば人と接触したかった。
叩いた扉の向こうから返答はない。だが人の気配はあった。
山奥にそびえ立つ館は木造二階建てで構築されているようで、その二階の窓ガラスからぼんやり橙の灯りが見えていたのだ。
少なくとも人はいる。
佐古下は再度扉を叩いたが、一向に返事がなかった。明治中期頃に建設されたかのような和洋入り混じった目の前の建物には呼び鈴が見当たらない。
外観は東京駅や旧岩崎邸を思わせる。
コロニアル様式と見えた。玄関にはポーチによる雨を遮る軒があるのだが、薔薇の装飾が施されており、荘厳なイメージである。
表札は見当たらないし、電子的な呼び鈴もない。あるのは扉中央に設置された蹄鉄をモチーフにしているのであろうドアノッカーだけだった。扉にも幾何学な模様が走っていた。
仕方ない。佐古下は思い切って扉のノブを引くと、鍵はかかっていないようで、ゆっくりと開く。
覗いた隙間から中を見ると大きな空間が広がっていた。その玄関ホール両端には二階へと続く階段が左右対称で設置されており、正面には大きな窓が並んでいた。階段の奥はそれぞれ廊下になっているようで、各階の高さはそれぞれ五メートルはある。
そこはホテルのロビーのような空間だった。窓の向こうには庭園のようなものがぼんやりと確認できた。
「あの!どなたかいませんか?」
佐古下は声を張ったが暫く待っても返答はなかった。
両端の階段の下にも廊下が並列に奥へと向かっていた。天井や廊下には燭台を模した電灯が灯っており、橙の薄暗い灯りだった。
昼光色の灯りに慣れている佐古下からしたら、それは不気味にさえ感じた。
だが、歴史のある建物には良く用いられていた。以前は蛍光灯ではなく白熱電灯が一般的だったからだ。フィラメントが通電することで発光する白熱電灯からは、この橙の明りが発せられる。
床は板張りになっており、随分黒ずんで傷んでいるようにも見えた。しかしワックスがけをしたような艶も垣間見える為、誰かが定期的に清掃や建築物保全活動を行っているのかもしれない。
気が付かなかったが、ここは何かしら重要文化財や美術館のような施設なのだろうか。
佐古下は体全体を扉に滑り込ませて、玄関ホール中央まで歩いた。
窓から見える中庭には紫陽花が数え切れないほど咲き誇っていた。十メートルは先まで広がっているようで、そこまで紫陽花が酸性の土壌による淡い青い色を発しているように見えた。建物内から漏れる橙の灯りを受けて、なので本当にそうかは判然としない。でも赤い色には見えなかった。
庭の中央には人工的な池や小川のような水面が覗けて、そこにこじんまりとした橋が架かっていた。
こうやって窓から中庭を覗くと、建物内から灯りを受け、一階と二階の廊下の様子が確認できる。
佐古下はそこから人の気配がないか視線を走らせていた。




