7 依頼
おれが事務所兼リビングにもどると、ユウキはテレビを眺めていた。
43インチの液晶には、何の変哲もないCMが流れている。あなたの明日をすこやかに。おなじみ、四つ葉製薬のフレーズ。
ユウキの顔色はいつもと変わらない。すでに、調子は取りもどしているようだった。
ずっしり重くなったコーヒーサーバーとマグカップをふたつ、おれはテーブルにおいた。革がすり切れた安物のソファに腰をおろして、コーヒーを注ぐ。
ユウキは、「ありがとう」とマグカップを手にとり、コーヒーをひとくち飲んでから、申し訳なさそうに口をひらいた。
「晴磨、ぼくの一存で依頼を請けちゃったんだけど……」
「ん? 何を今さら」
よくあることだった。お互いさまだ。気にするようなことではない。
おれはマグカップに口をつけた。今日の豆はマンデリン。豆がちがうと味もちがうのはよくわかる。じゃあ、どうちがうのかと問われれば、うまくは答えられないけれど。
「で、例によって浮気調査か?」
これもよくあることで、実のところ、探偵の仕事の半分以上は浮気調査だったりする。世の中から浮気がなくなったら、探偵という職業は消えてしまうんじゃないか。そう思うと、ちょっと複雑な気分になる。
「いや、今回の依頼は霊能関係だよ」
「へぇ。そりゃ珍しい」
あべ探偵事務所は、あべ霊能探偵事務所ではない。
なぜ霊能の二文字がないのか、というと理由は簡単、意味がないから。
霊能力者への依頼というのは、そもそも絶対数が少ない。そのほとんどはまず大手、もしくは山手探題のような公的機関に持ちこまれる。山手探題経由で、おれたちみたいなフリーに仕事が割りふられることもあるにはあるけど、そんなことはめったにない。だから自営でやってる霊能力者の仕事は、個人の伝手からまわってくるものが基本になる。
つまり、看板に霊能という文字をいれたところで、依頼は増えないのだった。むしろ怪しさだけが増して、探偵業の邪魔になるのがオチってこと。
それと個人的にもうひとつ。あべ霊能探偵事務所だと、ひらがなが漢字に負けて、隅に追いやられているようなしっくりこない感じがする。なんとなくそんな気がしてしょうがない。
「依頼人の名前は白居龍之介」
ユウキはメガネのブリッジを中指で押し上げてから、中性的な声をささやくように低める。
「依頼内容は……四つ葉製薬の行っている、非道な人体実験をあばくこと」
危うくコーヒーを吹き出すところだった。おれの反応は大げさすぎか? いやいや、そんなことはないはずだ。
四つ葉製薬といえば由緒正しい老舗企業だ。日本で何番手かの大手製薬会社。さきほど流れていた四つ葉製薬のCMのフレーズも、子供の頃から耳に馴染んだものだった。
あなたの明日をすこやかに。
そんな企業で非道な人体実験が行われている。そう聞けば、大抵の人は驚きもするだろう。
おれはテレビに目をやった。
CMはとっくに終わり、昼の顔になってる女子アナが真っ赤なトマトを片手に、リコピンの美容効果を力説していた。タレントがいつものように大げさに驚いてみせると、そこにどよめきの声が重ねられる。液晶パネルの中では、実にすこやかそうな、お約束の掛け合いが展開されている。
番組は普段と何も変わらない。けれど、変わり映えのしない番組が、いつにも増して嘘くさく見えてしまう。すこやかとはほど遠い、おれの気持ちがそう見せているにちがいなかった。