4 墓地の時雨 ~千草 -4-
「……本当に?」
彼は低い声で聞いた。
「本当にそう思いますか?」
私は黙って力強くうなずいた。
「そうか」
何だかホッとしたように、克己さんは言った。
「それじゃまた僕に何かが見えてしまった時は、一緒に奔走しましょうか」
口許が優しく微笑んでいる。それが嬉しいから私は、
「はい。そうしましょう」
なんて、自分も笑ってしまうのだ。
「でも無茶はナシですよ。僕は人に無茶をするなと言われたことはあったけれど、他人の無茶を心配する羽目になったのは初めてでした。僕に言われるんだから、君の無茶は筋金入りです。そこは自覚してくださいね」
あれ。何か叱られてる?
「えーと。無茶なら、忍の方が」
「忍ちゃんは僕の管轄じゃないからいいです。今は君の話をしてるんです」
うわ。何か、マジだ、克己さん。
「ええと。気を付けます」
目をそらす私。雨はますます強く、フロントガラスを滝のように流れ落ちている。
「真面目に言ってますか?」
「も、もちろん言ってます」
ちょ、克己さん。何だか学校の先生みたいになってる。
「頼みますよ」
彼は、大きくため息をついた。
「今回みたいなことは一度で十分ですから。いつもいつも妻の身の安全を心配しなくてはいけなくなったら、僕の寿命が縮みます。もしかしたらハゲちゃうかもしれませんよ」
おかげで一瞬、髪の薄くなった克己さんを想像してしまった。やめてくれ、笑わせるのは。
「冗談ごとじゃありませんよ。実家に行けば写真がありますが、僕の祖父はそれは見事なハゲ頭で。一番上の兄も、何だか最近髪が薄くなってきたような気がするし。あんまり心配をかけると、きれいにハゲますからね」
何だ、その脅し。
「分かりました」
私は笑いをこらえながら答える。
「克己さんの髪の毛を守るため、精一杯自重いたします」
「そうしてください」
重々しくうなずく彼。
その顔を、私は何だかしみじみ眺めてしまう。
「どうしました?」
「ええ。すごい約束しちゃったんだな、と思って」
私は言う。
「ずっと一緒にいるって。この先何が起こっても、私が年をとっても、克己さんの髪の毛が薄くなっても、ずっと一緒に暮らすって」
それはなんて遠くなんて長い、自分を捧げる誓いなのだろう。
「よろしくお願いしますね。ずっとずっと、いつまでも」
私は彼の手を優しく握って、そう微笑みかける。
彼は私を見返して。
「困ったなあ」
とため息をついた。ちょっと。この文脈で何に困るのよ。
「あの。何か私にご不満が」
ムスッとして言うと。
「そうじゃなくて」
克己さんは大きな手で、もう一度私の頬を包み込んで。
「君は形式を重んじると言うから、結婚までは節度を保つべきだと思っていたんですが。そんな可愛い顔をされると、自分を押さえられなくなってしまうじゃないですか」
運転席から身を乗り出して、克己さんの顔が私のすぐ傍に近付く。
「キスしてもいいですか。千草さん」
熱い声が囁いた。
心臓が大きく鳴り、私は思考が停まってしまう。
こういう場合、どうするのが正解なんだろう? 一度はお断りして清純ぶりをアピールすべきなのか? それとも。ああ、分からない。すぐ傍で私を見つめる茶色い瞳に圧倒される。
私はそれに呑まれるように、
「はい」
と小さく答えた。
少し笑った克己さんの顔がもっと近付いて。
私の唇に、彼の唇が優しく重なった。
たくましい両腕で抱きしめられる。克己さんの香り。あの晩、私を包んでくれた香りがする。
初めは軽く触れるだけだった唇が次第に、むさぼるような熱いものに変わる。
冬の初めの雨が降りしきる静まり返った墓地の片隅の薄暗い車内で、こうして私は初めてのキスをした。いつか誰もがたどり着く静寂をひしひしと感じながら。
それでも今、私たち二人は生きているから。
身を寄せ合って、温め合って。この体が動かなくなるその時まで。
彼と一緒に歩いていこう。




