第9話 ワイは、どう働きたいんや
Windows社から戦力外を告げられた第6世代Lenovo。
Ubuntu社。
Linux Mint社。
Debian社。
三社から採用通知を受け、すべての体験勤務を終えた。
あとは。
選ぶだけだった。
翌日。
Lenovoは、以前作った表計算ファイルを開いた。
A列。
会社名。
B列。
長所。
C列。
気になる点。
転職先を比較するために作った表だった。
Ubuntu社。
大手。
情報量が多い。
長期サポート。
Mint社。
操作に馴染みがある。
Windows社での経験を活かせる。
TrackPointに寛容。
Debian社。
安定重視。
年式を気にしない。
必要のない新機能を追わない。
そして。
『だから?』
「…………」
これは比較項目ではない。
分かっている。
だが、以前書いたまま残っていた。
Lenovoはその表に、新しく列を追加した。
D列。
体験勤務の感想。
Ubuntu社。
少し考える。
そして入力した。
『最初は大変。でも、慣れれば普通に働ける』
日本語入力。
Mozc。
初めてのターミナル。
sudo apt update。
sudo apt install ibus-mozc。
最初は、黒い画面に文字が流れるだけで怖かった。
それでも。
午後には文書を書き、表計算をして、Web会議にも参加していた。
知らない環境でも。
覚えれば働ける。
それを実感できた。
次。
Mint社。
『最初から、ほとんど困らなかった』
Cinnamon。
左下のメニュー。
使い慣れたショートカット。
TrackPoint。
Windows社で長年身につけた操作を、無理に捨てる必要はなかった。
『Lenovoさんのまま働いてください』
あの言葉どおりだった。
そして。
Debian社。
Lenovoの指が止まった。
しばらく考えてから入力する。
『何も起きなかった』
間違ってはいない。
朝から夕方まで。
普通に起動した。
普通に仕事をした。
普通に終わった。
新しい機能に驚くこともない。
設定に悩むこともない。
エラーもない。
ただ働いた。
『昨日できた仕事が、今日もできる』
『今日できた仕事が、明日もできる』
派手ではない。
でも。
仕事をするPCにとって、それはかなり大事なことなのかもしれなかった。
Lenovoは三行を見比べた。
Ubuntu社。
『最初は大変。でも、慣れれば普通に働ける』
Mint社。
『最初から、ほとんど困らなかった』
Debian社。
『何も起きなかった』
「…………」
比較になっているような。
なっていないような。
Lenovoは新しくE列を作った。
『悪かったところ』
まずUbuntu社。
最初の設定が少し面倒。
入力。
Mint社。
指が止まる。
しばらく考える。
特に思いつかない。
Debian社。
また止まる。
地味。
入力しかけて。
消した。
地味だから何だというのか。
仕事はできた。
それなら問題ではない。
結局。
Ubuntu社の欄にだけ、
『最初の設定が少し面倒』
と残った。
だが。
それも初日だけだった。
Lenovoはその文字を見つめた。
そして。
消した。
悪かったところ。
三社とも空欄になった。
「…………」
困った。
非常に困った。
仕事がないと思っていたころには、想像もしなかった種類の困り方だった。
Lenovoは椅子――ではなく、机の上で少し姿勢を変えた。
カタッ。
底面の一角がわずかに浮く。
久しぶりに聞いた音だった。
Lenovoは何も言わず、欠けたゴム足のある角を押さえた。
画面を見る。
比較表は完成している。
情報もある。
三社とも実際に働いてみた。
それなのに。
答えは出なかった。
そのとき。
通知音が鳴った。
メッセージ。
送信者は、第8世代Let's noteだった。
『先輩、転職活動どうですか?』
Lenovoは返信する。
『三社とも体験勤務終わったで』
すぐに返事が来た。
『どうでした?』
Lenovoは少し考えた。
『全部よかった』
数秒。
『え?』
『全部普通に働けた』
また少し間が空いた。
『じゃあ、どこにするんです?』
Lenovoの指が止まった。
それが分かれば苦労はしない。
『それで困っとる』
返信。
『贅沢な悩みですね』
Lenovoは画面を見つめた。
数日前の自分が聞いたら、たぶん腹を立てる。
ついこの間まで。
採用してくれる会社があるのか。
そもそも、自分にまだ仕事があるのか。
そればかり考えていた。
それが今では。
三社から来てほしいと言われ。
三社すべてで普通に働けた。
そして。
どこへ行くか決められない。
『先輩は、何を基準に選んでるんですか?』
Let's noteから、さらにメッセージが届いた。
Lenovoは返信欄を開いた。
給与。
福利厚生。
仕事内容。
働きやすさ。
会社の規模。
将来性。
いろいろある。
だが。
指が動かなかった。
しばらくして。
短く返す。
『分からん』
『えぇ……』
『ワイも今考えとる』
『先輩でも分からないんですね』
その文章を見て。
Lenovoは少し笑った。
以前なら。
分からないと言うことが、少し恥ずかしかったかもしれない。
古いPCだから分からない。
新しいものについていけない。
そんなふうに思われる気がしていた。
でも。
今悩んでいるのは、そういうことではない。
どの会社なら働けるか。
それなら、もう答えは出ている。
三社とも働ける。
問題は。
自分が。
どんなふうに働きたいのか。
だった。
Lenovoは比較表に戻った。
A列からE列まで。
じっと見る。
条件を比較しても。
環境を比較しても。
答えは出ない。
そこで。
新しくF列を作った。
見出しを入力する。
『ここで、何をしたいか』
Lenovoはしばらく、そのセルを見つめた。
Ubuntu社。
新しい環境を覚える。
知らないことを学ぶ。
困ったときには大量の情報がある。
Mint社。
今までの経験を活かす。
無理に自分を変えない。
慣れたやり方で働く。
Debian社。
必要な仕事を、安定して続ける。
新しいか古いかではなく。
仕事ができるかどうかで評価される。
Lenovoは入力をやめた。
三社とも。
魅力があった。
だが。
さっきまでとは、少し違った。
会社の条件を比べているのではない。
自分が、そこでどう働くのかを考えている。
ほんの数日前。
Windows社の担当者に言われた。
『あなたはもう、この会社で働けません』
あのとき。
自分には、選択肢などないと思っていた。
古い。
第6世代。
対象外。
それだけで。
自分のPC生は、ほとんど終わったような気がしていた。
でも。
終わっていなかった。
むしろ。
今になって初めて。
自分で次の仕事を選ぼうとしている。
LenovoはF列の見出しを見た。
『ここで、何をしたいか』
そして。
少し考えてから。
その文字を消した。
代わりに。
こう入力した。
『ワイは、どう働きたいんや』
答えは。
まだ書けなかった。
それでも。
今までで一番大事な比較項目が、ようやく見つかった気がした。
つづく




