08、男の娘は美少年へと変身を遂げる
翌日、俺は銅貨を握りしめて家を出た。向かう先は毎朝通っていた教会ではなく、村一番の腕前だと評判の理髪店だ。
「いらっしゃいませぇ」
品を作った不思議な発声で迎えてくれたのは、父ちゃんと同じくらい背の高い男――ではなくオネエさん。立派な肩幅を隠すために選んだデザインなのか、ワンピースの肩フリルがかえって逆効果となって、ガタイの良さを強調している。
「あらぁアナタ、ジュキちゃんじゃないのぉ。昨日の歌、アタシ感動しちゃったぁ」
彼――いや、彼女も俺のことは知っているらしい。白竜様から受け継いだっていう異様に白い肌は、残念ながら目立つので仕方がない。
「髪、短くして欲しいんです」
鏡の前に座った俺は、端的に告げた。口から出たのは想像以上に硬い声で、自分が緊張していることに気付かされた。
「いいわよぉ、どれくらい切るぅ?」
彼女は、指先まで神経の行き届いた優雅な手つきで、俺の髪に触れた。波打つ銀髪は揺れるたびに光をまとい、俺の背中に広がった。
「ばっさり肩下くらいまで行っちゃう?」
「いえ、もっと短くして下さい」
「えーっとぉ、ちょうど肩くらい?」
「そうじゃなくて」
俺は首を振った。
「ちゃんと男らしい髪型にしてほしいんです」
「それは――」
理髪師のオネエさんは、意味を悟って笑みを消した。
「ご両親に許可、もらった?」
「まさか。訊いたら二人は絶対ダメって言うでしょ」
「そりゃ、そうよ」
彼女は眉尻を下げ、鏡越しに俺と目を合わせた。
「アナタが女の子の格好をしているのは、悪い精霊の目をあざむくためなんでしょう?」
母さんは俺が女装している理由を、村中の人に話していた。俺が変な目で見られないように、守ってくれていたのだ。
「オネエさん、昨日教会に来てたなら知ってるでしょ? 悪ガキたちが俺をどうやってからかったか」
目を大きく見開いて言葉を失った彼女に、俺はたたみかける。
「俺はこの一年、熱を出して寝込んだりしてないんだよ。そりゃ冬場に風邪くらいひくけど、そんなのほかの子供たちと変わらないじゃん」
鏡に映った彼女の瞳から透明な雫が流れ落ちて、俺はぎょっとした。
「よく、分かったわ」
涙声で答えた彼女は胸筋の間から白いハンカチを取り出し、目元を押さえた。
「アタシも同じ経験をしてきたから」
えぇっ、オネエさんも体が弱かったの!?
「子供の頃からロングヘアに憧れてたのに、いつも刈り上げられて」
それは同じ経験じゃなくてむしろ逆なんじゃあ……
「恥ずかしかったわ。鏡に映る自分が嫌いだった」
小さく鼻をすすって、彼女はハンカチを胸筋の間にねじ込んだ。
「心のままの姿で生きたかった。ジュキちゃんも同じよね」
彼女は鏡越しに、優しい瞳で俺を見た。
「自分らしく生きたいのに、その長い髪が邪魔しているのね」
「――うん」
「それなら切ってしまいましょう」
にっこりとほほ笑んだ彼女は、全然美人じゃないのに魅力的だった。
「どんなに美しい髪でも、アナタを幸せにしないのなら意味がないわ」
うしろのテーブルにずらりと並べられた刃物から、一つを手に取ると、
「領都で人気のショートウルフカットにしてあげる」
なんちゃらカットってなんだろう? 田舎のダサいガキだと思われたくなくて、質問できない。
オネエさんはウインク一つ、水魔法で俺の髪を湿らせると、プロの手さばきでカットし始めた。刃が蝶のごとく舞うたびに、白銀の糸が細い雨みたいに降りそそぐ。
村一番の腕前で最新の流行を取り入れてる理髪師って噂は、やっぱり本当だったな。
カットが終わると水魔法のシャワーで流してもらい、それから風魔法で乾かされた。
「完成よっ」
オネエさんが大きな手を俺の両肩に置いた。
目の前の磨かれた鏡に映った自分を、恐る恐るのぞき見た。子猫のようなつり目に、血色を感じさせない白い頬はいつも通り。
あー、俺って目つきも顔色も悪いな。
鏡から目をそらしたとき、
「う~ん、いいオトコ! アタシ惚れそうよ」
オネエさんが俺の頬にキスしようと唇を突き出してきた。
「うわっ」
慌ててのけぞる俺。オネエさんは俺の願いを聞き遂げてくれた優しい大人だけど、キスは本当に愛した女性としたい。いつかそんなひとと出会えるといいな。
「ウフフ、冗談よ。さわやかな少年になったじゃない」
「うん、でも――」
俺は自分の癖っ毛を引っ張った。
石の床には役目を終えた銀糸の束が、今もあえかな光を放ちながら俺を見上げている。
「長いときはこんなピョンピョンはねなかったのに」
「髪の重みで美しいウェーブが出ていたのね」
「五歳の頃は短かったけど、こんなじゃなかったよ」
聖堂の壁画に描かれた幼い天使のように、愛らしく巻いていたはずだ。
「ちっちゃい子の髪はやわらかいからね。成長するにつれて、髪質は変わるものよ」
それは知らなかった。
「水魔法と土魔法を応用してセットしてあげるわ」
オネエさんは呪文を唱えると、俺の髪をうっすら輝く両手で整えてくれた。
「あ。かっこいい!」
満足した俺はオネエさんに礼を言って、お代を払って店を出た。
「ひゃっ、冷たい」
木枯らしに撫でられた耳を反射的に押さえてしまう。
「首もスースーする」
冬に髪切ったのは失敗だったかもしれない――などと思いながら坂道を登っていると、十代前半の男女とすれ違った。
「え、今の男の子だれ?」
うしろで彼らが立ち止まった気配がする。
「私も思った。すごい美少年だったよね」
「うちの村にあんな綺麗な子いた?」
正体がバレるのが怖くなって、俺は走り出した。俺の背中を追いかけるように、
「あの真っ白い顔、あいつだろ――」
赤髪の少年イーヴォが話し始めたが、皆まで聞かぬうちに石畳を駆け登る。のっそりと道へ出てきた白猫が、ビクッと肩を震わせたのも構わず足を動かした。
走って帰ってきたものの、家の玄関を目にすると急に恐怖心が鎌首をもたげる。
父さんと母さんになんて言い訳しよう?
胃がキリキリと痛み出したとき、ふいに玄関扉が開いて母さんが顔を出した。
髪を切ったジュキを見たお母さんの反応は?