09、黒巫女ラピースラと瑠璃石の伝承
「まあ、ジュキちゃん」
買い物かごを手にした母さんは目を丸くした。だが一呼吸おいて、ほほ笑んでくれた。
「とっても似合ってるわ」
石畳の道まで降りてくると、俺をぎゅっと抱きしめて、
「ごめんね、いつまでも女の子の格好させて」
母さんの声が心なしか震えて聞こえるのは、気のせいかな。
「もう九歳だもんね。嫌だったよね」
なんだか涙声みたいだ。母さん、泣いてるの?
「気付けなかった母さんを許してね」
怒られると思っていたのに謝られて戸惑う俺に、母さんは眉尻を下げて笑いかけた。
「一緒に市場の古着屋さん見にいこっか」
「うん」
俺は今日も、歌う用事があるわけでもないのに聖歌隊服を着ていた。俺が持っている服の中で唯一、女性用ではなかったから。
くすぐったいような気持ちで、母と手をつないで坂道を下りた。常設市が開かれている広場には、色とりどりの布がはためいている。俺は三年ぶりに男の服を買ってもらった。
夕方帰ってきた父さんも、俺を叱らなかった。ただ一言、
「体調管理には気をつけろよ。歌えなくなるぞ」
真剣な声で忠告してくれた。姉だけが、
「ジュキちゃん、もったいないわよ! 最近せっかく美人になってきたのに!」
と騒いでいたが、放っておいた。
俺には髪を切る以外にもう一つ、計画があった。
翌朝は、いつものように教会へ行った。神父様は眉ひとつ動かさず、
「さっぱりしたね。その髪型、似合っていますよ」
落ち着いた様子で褒めてくれた。スカートからズボンに変わったことについては、何も言わなかった。分数と音律の授業を受けたあとで、俺は彼にお願いした。
「ねえ、書庫に入っていい? 楽譜見たいんだ」
「もちろん」
神父様は執務室から鍵を取ってくると、
「見終わったら祭壇裏に隠しておいてくれればいいよ」
俺に手渡して、自分は仕事に戻って行った。
教会には聖堂以外にも聖具室や書庫、厨房や仮眠室が備わっている。六歳から三年間ほぼ毎日、手習い師匠代わりに教会へ通い続けた俺は、神父様から信頼を得ていた。それは俺が髪を切って、男子の服を着るようになっても変わらなかった。
狭くて急な階段を登って二階へ上がる。預かった鍵で重い扉を開けると、古い書物の匂いが迎えてくれた。一つきりの窓からは冬のやわらかい陽射しが差し込み、光の帯の中で埃がキラキラと舞っている。
「よし、魔法関連の本を探すぞ!」
四方の壁を天井まで埋め尽くす本棚を、俺はにらむように見上げた。父さんも母さんも、博識な神父様でさえ、俺がなぜ魔法を使えないのか分からないと言う。
「それなら自分で理由を探してやる!」
幸い俺は、神父様から文字の読み書きを教わっていたし、古い聖歌を学ぶ中で古代語も理解できるようになっていた。
「この部屋にあるのは楽譜だけじゃないんだよな」
授業の際、神父様はこの部屋から時々、古い本や地図を持ってくるのだ。
使われてない大きな執務机に登って、俺は片っ端からあらゆる本を調べ始めた。
それは途方もなく時間のかかる作業だった。
大体、俺は毎日暇しているわけじゃない。ほかの子供たちが手習い師匠のところで学ぶことを神父様から習い、歌の練習をして、パイプオルガンで趣味の作曲をして――とにかくやることはたくさんあるのだ。
「これ、魔力について基本的な説明が書いてある本だ」
一月ほど経ったある日、俺は一冊の本に釘付けになっていた。
「生きとし生ける全ての存在は、魔力を有している――」
俺は執務机に座って足をぶらぶらさせながら、ゆっくりと音読した。
「竜人、獣人、人族、獣、魔物、植物でさえ、程度の差こそあれ魔力を帯びている。ただし死と共に魔力は失われることから、魔力とは生命力の一種であると考えられる」
じゃ、俺にも魔力はあるってことだよな?
「もっとも魔力量が少ない人族の幼児でさえ、光を生み出す呪文を唱えれば、その手のひらがぼんやりと光るものだ」
ほんとかよ? 次のページにはその呪文が記されていた。
「なんだって? 特定の印っていうのを結んで、呪文を唱えるのか」
俺は図解通りに指を絡めてみる。
「聖なる光よ、煌めきたまえ。光明」
穴のあくほど手のひらを見つめても――
「光らないじゃん」
予想はしていたが、がっかりだ。
帰宅後こっそりアンジェねえちゃんに訊いてみたら、俺が見つけた本は魔術師匠のところで使う教科書だった。ねえちゃんも同じもので勉強したという。俺は一切魔法が使えないから魔術師匠の家になんか近寄りもしなかったので、知らなかったのだ。
「光明」
ねえちゃんが呪文を唱えると手のひらの上に、ロウソクより明るい光の玉が出現した。
十歳になった俺は、魔法を使えない理由を探すより、古代の英雄譚を綴った叙事詩に心を奪われていた。どれも史実の体で記されていたが、多分に創作の匂いがする。大抵は竜人族の若者が魔物を倒す物語だ。
俺のお気に入りは二作あった。
一作は、心優しくも魔力の弱い青年が、古代神殿の奥で眠っていた白き竜から精霊力を授かって、魔神アビーゾを倒す話だ。主人公の青年の設定が魔法を使えない自分と重なって、夢中になった。
もう一作はもう少し込み入った筋書きで、魔神アビーゾに魅入られた黒巫女ラピースラを倒そうとする竜人族の若者を描いた英雄譚だ。最後は黒巫女を倒すわけではなく、彼女の魂を瑠璃石に封印するだけ。迫力はないが、現実味を感じられる結末がかっこいい。
「瑠璃石ってどんな石なんだろうな」
俺は服のボタンを外して、自分の胸に嵌まった石をまじまじと見下ろした。胸に石が嵌まっているなんて気持ち悪いから、いつもは敢えて見ないようにしてきたのだが。
「これ、瑠璃色だよな」
鉤爪の先でコツコツと叩くと、胸に軽い振動を感じた。子供の頃は馬鹿でかいものがくっついていて不気味だったが、俺の体が成長したせいか、今は小さく見えた。
「黒巫女ラピースラか」
どこかで聞いたことのある名前だが、思い出せない。
本を閉じて膝に乗せ、疲れた目でぼんやりと遠くを見る。何気なく羊皮紙の表紙をなでていた手が止まった。
「聖ラピースラ王国――」
俺の目は、本棚の側面に貼られた世界地図に吸い寄せられていた。真ん中の大陸には「水の大陸」と記され、その大部分を占める大きな国に「レジェンダリア帝国」の文字が重なっている。その南東の海辺に広がるのが、俺たちの暮らす多種族連合自治領だ。そのすぐ左に「聖ラピースラ王国」の文字が見えた。
「思い出した。神父様が地理の授業で話してたんだ。隣の国じゃんか!」
俺は世界地図に駆け寄って、西の隣国を凝視していた。
「神父様はなんて言ってたっけ――」
あくびをかみ殺しながら聞いていた授業の記憶を、今になって必死でたぐり寄せる。
「代々、聖女が聖堂で祈りを捧げている宗教国家――」
過去には竜人族との間に戦も起きたそうだ。だが百年以上前に同じ帝国内の地域となってからは、平和が続いているらしい。
「もしかしたらあの叙事詩は、反目し合っていた時代に作られたのかも」
頭の中で、三つの事柄がぐるぐると回る。
俺に加護を与え、瑠璃色の石を埋め込んだ人族の聖女。聖女の国だという聖ラピースラ王国。黒巫女ラピースラを瑠璃石に封印した伝承。
「無関係とは思えない――」
次回「冒険の旅に出る決意」
冒険者になろうと決意を固めるジュキエーレだけど、この子、戦えるのか!?




