90.イザベルは幸せ(イザベル視点)
今回、全体的に愉快な話ではありません。
R15の範囲内の描写ですが、念のため、特に不快と思われるところに警告を出しております。
あたしね、おかしいんだって。
みんなと一緒に、ずっとお店にいたいって言ったら、頭がおかしいんじゃないかってみんなが言うの。
そうなのかな。でも、この世ではみんなが嘘をつくから、何でも話半分に聞かなくちゃ。
父ちゃんと母ちゃんが死んだって聞いたのは、もう一月以上前の話。司祭様がお手紙で知らせてきた。
父ちゃんと母ちゃんが死んで、弟や妹は、みんな奉公に出たんだって。
「だからね、あんたはもう客を取らなくて良いんだよ」
女将さんが言った。女将さんも、マイラ姐さんも、フランツも、何だか心配そうにあたしを見てた。
「あんたはよく働いてくれたからね。お金も沢山送っていたから、あんたの家族が使いきれなかった分は、司祭様が貯めておいて下さったんだ」
そうして女将さんは、村じゃあ金貨は使いどころが無いから、司祭様が銅貨や銀貨に交換してくれていたこと、あまりお金を持つとかえってみんなが働かなくなるかもしれないこと、そうして贅沢に慣れたら妹たちがあたしと同じことで稼ごうとしかねないこと、を話してくれた。
「ちょっとした商売を始めるくらいのお金はあるんだ。まだ若いんだし、誰もあんたを知らない街に行って、一からやり直すのもいいんじゃないかね」
女将さんが言うと、マイラ姐さんも頷いた。
「そうだねえ。王都で商売をしていた親が死んだから、店を畳んで移ってきたとか言ってね」
「でも、あたし、ここにいたい」
あたしが言ったら、女将さんがお説教用の怖い顔になった。
「馬鹿お言い。ここにいたって、あんたに出来ることなんか無いだろ。せっかく自由になれるんだ。読み書きも覚えて、田舎なまりも直して、堅気のお嬢さんのふりもうまくなって、簡単に騙されない悪知恵もついて、若くて綺麗な今、出て行かないでどうするのさ」
「ここが良いの。どうせ帰ったって、娼婦だったって知られてる。よそへ行ったって、きっと同じよ。ヴァイオレットみたいに、馬車を降りた途端に、親切面した奴に次の店に放り込まれるんだわ。それか、バーバラみたいに、主人にはらまされて奉公先にいられなくなって――他の暮らしなんか、あたしにはできないわよ」
あたしも店で見聞きした話をすると、女将さんはため息をついた。
「でも、ここに居残ってどうするんだい」
「お客を取るわ。帳簿も付けられないし、通訳も出来ないけど、お客は取れるもの。だからここに置いて」
お客を取るのは嫌だけど、もっとひどい目に遭うよりましって、あたしは言う。
ここにいれば、お腹いっぱいご馳走を食べられる。着てない時間が長いけど、服も下着も清潔だし、お風呂だって使える。隙間風の無い暖かい部屋。物乞いもしなくていい。
あたしね、村の暮らしに戻るくらいなら、お客を取るくらいへっちゃら。
少しずつうそを混ぜて、あたしは言う。
「いつまでも続けられる仕事じゃないんだよ」
女将さんが言ったところで、鐘が鳴った。お客さんが来たみたい。
「行かなくちゃ」
「こっちが先だよ。あんたにはもう借金も無いんだ、他の妓の客を掠めるような真似はおやめ」
女将さんが言う。
「イザベルー? あんたのお客さんよー」
新入りのビアンカがあたしを呼んでる。
「行かなくちゃ」
あたしは女将さんの部屋を出る。
*
初めて父ちゃん母ちゃんが死んだと聞いてから、あたしと女将さんは、毎日出ていくのいかないのを話している。
面倒くさいけど、このままずっとごまかしていけないかな。
今日も女将さんと同じ話をして、指名のお客さんが来て終わる。
あたしを待ってたのは、蝶々さんだった。
サラから引き継いだお客さんで、変な人。蛹から出て蝶々になったところを、箒で叩き落されるのが好きなんだって。その時に勝手にすっきりするから、あたしには指一本触れない。とっても楽なお客さん。
「……どうしたの」
後始末をしていたら、蝶々さんに訊かれた。
「今日の貴女、なんだか変よ」
「大丈夫です」
そう言ったら、蝶々さんがあたしの顔をじいっと見た。
「やだ、私をごまかせると思ってる?」
「そんなこと」
「秘密なの?」
「秘密なんか無いです」
あたしは言う。
「あらもったいない。女にとって、秘密は最高のアクセサリーなのに」
蝶々さんがウィンクする。あたしはちょっと笑った。
「でも、本当に何も無いんですもん」
「そんなこと言って。女将さんたちも心配してるわよ、きっと」
「大丈夫ですよう」
「よかった、さすがに女将さんたちは知ってるのね」
「はい。――あっ」
あたしは手で口を塞いだ。
蝶々さんは怖そうな顔に優しい表情をしてあたしを見てる。
そしたらね。言葉が出ちゃった。
「あの、田舎の親が死んだって」
なんでかな。聞いてほしくなっちゃったのかな。
「まあ」
蝶々さんが目を伏せる。
「つらいわね。親御さんが亡くなったのに、ちっとも悲しくないなんて」
「そんなこと……」
ないと言おうとしたけど、あたしは何も言えなくなった。急に涙が出てきたんだ。悲しくなんかないのに。それから出てきたのは、隠せって言われてた田舎訛りだった。
「大好きだったんだ。本当だよ。父ちゃんも母ちゃんも、優しかったんだよ。覚えてるの、あたしだけだけど」
大好きだったのは嘘じゃない。嘘じゃないよ。
一番上の弟のルイがまだ小っちゃかった頃は、父ちゃんも母ちゃんも優しかったんだ。父ちゃんは毎日畑仕事をしてた。母ちゃんは弟を背負って、畑仕事したり、家のことをしたりしてた。
毎日豆と野菜くずのスープばっかり食べてた。父ちゃんがよその畑を手伝って、分けてもらってくるパンが、大ごちそうだったっけ。
貧乏だったけど、あたしもルイも、そんなの気づいてなかったんだ。父ちゃんも母ちゃんも、いつも笑ってて、あたしやルイにいっぱいキスしてくれた。
でも、二人は急におかしくなった。
笑わなくなった。父ちゃんはよその手伝いに出なくなった。母ちゃんは父ちゃんのいないところで泣いてた。
それから、母ちゃんのお腹が大きくなって、それから、妹のクロエが生まれた。そうして、父ちゃんと母ちゃんはちょっとずつだけど、もっともっとおかしくなっていった。
「……何があったのかは、聞いたの?」
「うん。村の人が、教えてくれた。頼んでないのに」
クロエは父ちゃんの子じゃないんだって。
その頃は、あたしにはまだ何のことか分からなかった。
父ちゃんと母ちゃんは、もっと何もかも分からなくなってたと思う。
父ちゃんに分かるのは、母ちゃんのことだけ。母ちゃんに分かるのは父ちゃんのことだけ。
でも、二人の間でも話は通じてない。
真っ暗闇の中に一人ぼっちで、相手の名前をずっと呼んでるみたいだった。あれをしている時さえ、父ちゃんも母ちゃんも一人ぼっちだった。
*
************* 胸糞開始 ************
** 多分読まなくても大丈夫です。 **
あたしたちは親無し子みたいになってた。
村の人たちは、あたしたちを気の毒がったり馬鹿にしたりしながら、気にかけてくれてた。だから、あたしもちびたちも、生きていられた。
教わったことの意味があたしに分かるようになった頃には、父ちゃんと母ちゃんはまともに話ができなくなってた。仕事もしないで、子供ばかり作ってた。母ちゃんは時々畑に出てたけど、やってることはでたらめだった。畑もちびたちも、あたしや年上のちびたちが世話してた。村の人たちには、避けられるようになってた。でも、遠慮なんかしていられなかったからね、どうしようもない時には、一軒ずつ村の家を回って、食べ物を恵んでもらった。野菜くずに、パンのかけらでもあれば御の字だった。
本当に、どうして誰も飢え死にしなかったんだろうね。日照りと流行り病で、年寄りや子供がたくさん死んだときも、うちじゃあ誰も死ななかった。
物乞いに行った先のおばさんが、ドアの前に立ったあたしとちびを見て、「どうしてうちの子が」って言った。「お前たちが、死ねばよかったのに」って言われた気がした。
それを聞いて、あたしも同じことを思った。
うちの誰かが死んでいたらよかったのにって。誰か死んでいたら、食べ物を手に入れるのも少しは楽になったのにって。
あたし、びっくりした。すごく悪いことを考えていたって、初めて気が付いたんだよ。
その後のことはよく分からない。
食べ物はもらえたのかな。ちびを連れて、家に帰ったんだよね、きっと。
でも、あたしはもう家に帰っちゃ駄目だった。
弟や妹のこと、死ねばいいと思ってたんだもん。
あたしは悪い奴だ。
あたしが悪い奴だから、神様が怒ったんだ。
だから、父ちゃんが変になって、母ちゃんも変になって、みんないつもお腹を空かせてさ。
分かっちゃったから、もう、駄目だった。
走って引き返したら、嫌な奴らに会った。
鼻つまみっていうのかな、村の人たちからも嫌われてた奴らだよ。あたしも奴らのことは嫌いだった。でも、奴らは客だったからね。臭いとか汚いとか言われたけど、やることしてやれば、食べ物をくれた。時々ただでされちまうこともあったけどさ。
ええと、あいつらに会って、どうしたんだっけ。
次に思い出せるのは、あの村より大きな町で、体を売ってるとこ。
骨と皮ばっかりでお客がつかないって、無駄飯喰らいって、よく店の人に小突かれてたけど、でも村にいる頃よりずっといい暮らしだった。
あの店にはどのくらいいたんだろう。
フランツが来て、あたしはこの《フィオナの家》に連れてこられた。
それからは、あたしはずっと幸せだったよ。
だからずっとここにいたい。どこにも行かないで、ずっとずっとここにいたい。
************* 胸糞終了 ************
*
「貴女、好い人はいないの?」
あたしが話し終わった途端に、蝶々さんが言った。
「確か、ベナルジテ通信の記者さんが、貴女に夢中だったわよね。あの坊やなら、田舎の親からお金を引き出して、貴女一人くらい何とでもできたと思うのだけど」
「リカルドを知ってるんですか」
あたしがきいたら、蝶々さんはウィンクした。
「ええ、私は何でも知ってるのよ」
そう言われたら、なんだか、そんな気もする。
「……請け出したいって言われたことは、何度かあるんです。でも、あたし、ちゃんとした奥さんになんかなれない」
あたしはどうかしてるから。娼婦でいるのが一等幸せだから。
誰かを本当に好きになったら変わるのかな。
そんな人、会えるのかな。
誰か思い出しそうな気がしたけど、分からなかった。
お読みくださりありがとうございます。




