37.甘やかす人
いちゃいちゃ描写って必要でしょうか。
書くのは楽しいのですが、話が進みません。
必要だけどこういうことではない、というご意見もありそうな。
ほのかな朝の気配で、私は目を覚ました。アストルのいびきのせいではないと思う。
ともあれ、この気配の正体は一体何なのだろう。
私の五感は隣の男に占拠されていて、他に何も感じる余地は無いのに。特に、耳は。
彼がよく眠っている隙に、私はこっそりベッドを抜け出した。暖炉の火を熾してから、避妊のための薬草茶を飲む。
この茶は、即効性は無いけれど、続けるうちに妊娠しにくくなり、さらに続ければ、飲むのを止めてもずっと妊娠しなくなるという代物だ。正直いって、不味い。十六才から飲んでいるのに、いまだにてこずってしまう。
客を取らなくなってから飲むのを止めていたけど、アストルがガドマールを発つと聞いてから、また飲み始めた。
一体どのくらい続けると、妊娠することが無くなるのだろう。
私は七年も飲んでいたのだから、本当はもう要らないのかもしれない。それでも飲まずにいられなかった。止めさえすれば妊娠できる、そう思っていたいのだ。
一生懸命飲んでいたら、アストルのいびきが止んだ。
起こしてしまっただろうか。
薬草茶を飲み終えてから振り返ると、アストルは大人しく目を閉じている。まるで眠っているみたいに、とても静かに。
寝たふりだ。
どうしてくれようか。
何を仕掛けられるのか、ちょっと身構えながら、彼の隣に横たわる。
温かい。
でも、私が暖かくなる分、彼は寒いだろう。
見つめる先で、彼の目蓋と頬が、ひく、と震える。
ああ、可愛い。
顔を寄せ、彼の唇に指で触れる。優しく押してみる。かさつきを確かめるように、指の腹でそっとなぞる。
「……たべちゃいたい」
思わず漏れた声に驚いたのか、アストルが目を開ける。
「いただきます」
囁きながら、私は彼に覆いかぶさり、唇に吸いつく。彼の両腕が、私を抱きしめた。ひとしきり貪り合って、一息つく。
「ああー。たべられてしまった」
アストルが大げさに嘆く。
何やら変なごっこ遊びが始まってしまった。
でも、まだキスしかしてない。
「味見しかしてないわ」
「なんだ、早く食べてくれよ」
アストルは言う。
さっきの慟哭はなんだったのか。
ごっこ遊びの設定が分からない。
「食べられたいの?」
訊ねたら、裏声で返事をされた。
「言わせないで、意地悪」
何だこれ。
私たちは笑いながら、またキスをする。浅く、深く、何度も繰り返すうち、互いの上下が入れ替わった。
「さあ、食べちゃうぞ」
「どうぞ。残したらお仕置きね」
「怖いなあ」
アストルが笑い止んで、私は無事喰らいつくされた。
*
余韻に浸りながら、私たちは互いの予定を確認した。
日が昇るギリギリまでは、ベッドの中で、こうしてくっついていられそうだ。
アストルは、昼を待たずに一度自宅へ戻り、仕事に出る。一方の私は、読書だ。新劇場のこけら落としに選ばれた戯曲を、読んでおかなくてはならない。誰がどんな人物を演じるか、どの場面が一番絵になるか、考えておくのだ。
「昨夜と同じか、少し遅いくらいには戻るよ」
アストルが当然のように言う。私は思わず訊き返した。
「戻るって、ここに?」
「うん。君のところに戻るんだよ、奥さん」
その答えに、思わず感動してしまう。
我ながら単純だけど、だって、幸せすぎるではないか。
「やっと、君と暮らせるんだ」
私を抱く、彼の腕に力が籠る。
「二人きりで、誰にも邪魔されないで、ずっと君といられる」
――いやいやいや、仕事もあるし、使用人だっている。ずっと二人きりなんてありえない。
私はわざわざ野暮なことを考える。
そうしないと、泣いてしまいそうだった。
*
約束通り、私が夕食を終えた後で、アストルは帰って来た。
玄関の扉が閉じるのも待ちきれず、私たちは抱き合う。
心の片隅では、我ながら馬鹿だと思ってはいるのだが、いちいち抱き締め合ったり、キスをしたりせずにはいられない。
祝福されない恋には、愚かさが不可欠なのだ。
コーヒーを淹れ、ガドマールの土産だという、砂糖のかかった小さなタルトを摘まむ。
白砂糖に香辛料、酒に漬け込んだ果実に、ナッツのペースト。一つ一つの主張が強い。
一方のコーヒーには砂糖を入れず、代わりに牛乳を混ぜた。甘ったるい菓子には、悪くない組み合わせだ。
けれど、アストルは浮かない顔をしている。
「どうかした?」
私が訊ねた途端、彼はいきなり頭を下げた。
「サラ、すまない。この通りだ」
別れ話か。
嫌だ。
仕方ないけど。分かってるけど。
嫌だ。
さっきまで、あんなに幸せだったのに。
仕方ない。
大丈夫。
嫌だけど。
「まだ、実家を出られそうにないんだ」
「え?」
「本当にすまない。一緒に暮らせるって言ったのに」
「……とりあえず、落ち着いて話して」
別れ話ではないらしい。
気が抜けたら涙が出た。
「あ、これは、違うわよ? 別れ話かと思ったら、違ったから、安心しただけ」
先手を打って、言っておいた。それを聞いたアストルが、絶対別れないとか、何とか、言い募るのをどうにかなだめて、説明してもらう。
「養子を放っておけない」
また分かりにくい説明だ。
「貴方の跡取りとして、大公家に入ってもらう方よね?」
「うん」
ともあれ、どうにか聞き出したのは、こういうことになる。
養子になるのは、側妃腹の第二王子で、十二才。諸事情により、この春に迎え入れることになるそうだ。
十二才といえば、アストルが父を亡くして大公位を継いだ年だそうだ。加えて、当人は賢く大人びた子で、自分の立場を十分に理解している。だから、さほど手はかかるまい、むしろうるさがられるのではないか、アストルはそう考えていた。
ところが、彼は両親から十分な愛情を与えられていなかった。養子先でも放任されては、どうなってしまうか分からない。
「僕は仲良くしていたつもりだったんだけど、あの子が上辺を取り繕っているのに気が付いていなかった」
寂しいのは察していたのにと、アストルはため息をつく。
浅はかさを猛省しているらしい。
「僕や母が望んでの養子縁組と知って、ようやく、探り探りに甘えてきた感じなんだ」
実の両親より、なさぬ仲の王妃の方が、第二王子に親身なのだという。そんな生い立ちでは、甘え方さえ知るまい。
「つまり、その子を放っておけないから、妾宅に入り浸るわけにはいかない、と、そういうことね」
「妾宅と呼ばれるのは気に入らないけど、そう」
何度目かのため息をつきながら、アストルは頷く。
「放っておけないって言う貴方で良かったわ。むしろ惚れ直したわよ」
嘘ではない。「でも寂しい」を言わないだけで。
「ありがとう、サラ。……君がそう言ってくれるなら、僕はもう一つ白状する」
アストルは、息をついだ。
「僕があの子を放っておけないのは、優しいからじゃあない。アルベルトは、多分、だけど、僕の弟だ」
なんてことだ。
王の叔父と側妃が不貞をしていたなんて。
前大公はもう亡くなっているけど、これが公になったらアストルもただでは済まないのではないだろうか。
「あ、勘違いしないでくれよ。父上は変な真似はしていない。いや、したけど、不倫とかそういうことじゃないんだ」
アストルが慌てた様子で付け加えた。
「その。僕には、弟がいるはずだったんだ。男の子ならアルベルトと名付けることになっていた。けど、死産で……父は、その子を助けようとしたんだと思う」
アストルは、少し長くなると言って、またため息をついた。
「死者を蘇らせるなんて、外法だ。無茶にも限度ってものがある。でも、父にとっては、自分の子だ。助けられるなら、無茶でも何でもした。そういうことだろう。父の書斎の、僕が見たことの無い魔法陣の中で、父は亡くなっていた。そうして、それから十か月足らず後に、側妃殿下から産まれたのが、アルベルト殿下だ」
これはこれで、とんでもない話だ。
私は黙ってアストルを見つめる。
「アルベルトは、僕の母に似ている。髪も目も同じ色だ。そりゃあ、うちと王家は、建国からずっと、何代にもわたって血を交えてきた。僕と陛下だって、何となく顔立ちは似ている。同じように血を交えてきた他の上位貴族にも、何だか似ている人はいる。同じ目の色をした人もいる。側妃殿下も、アルベルトと同じ、珍しくもない濃い茶色の髪だ。偶然と言われたら、それを覆す証拠なんか無い」
息をついで、アストルは苦く笑う。
「でもね。アルベルトの魂は僕の弟のものだと思いますと言ったら、きっと、側妃殿下だけは納得してくださると思う。あの方は、自分の産んだ王子を愛せなかった」
それはそれで、とても苦しいだろう。
そうやって拒まれた子供も、とても苦しいだろうけど。
「大公家は、二代かけて、やっと弟さんを取り戻したのね」
「そういうことになるね」
アルベルト王子も、やっと自分の家族を取り戻すのか。
「私に遠慮しなくても大丈夫よ。十二才の子が親離れするまで、何年でもないもの」
十二才なら、成人まで六年。
私にとっても、身売りをしていた七年より短い。時々でもアストルに抱きしめてもらえるなら、六年なんて、きっと一瞬で過ぎてしまう。
本当は一緒に親を目指せれば良かったのだけど、娼婦上がりの女を王子の養母にはできない。
「いきなり十二才の子のお父さんになるのは大変だろうけど、貴方のことは私がいっぱい甘やかしてあげる」
精一杯、明るい声を出した。
途端に、アストルが口を開ける。
「どうしたの?」
訊ねると、アストルはタルトを指差す。食べさせて、ということらしい。
早速甘えるのか。望むところだ。
私はタルトを摘まんで、彼の口に寄せる。彼が私の手首を掴み、指ごとタルトにむしゃぶりついた。
「お行儀が悪いわよ」
叱るふりをしているのに、甘ったるい声が出てしまった。
甘えているのは、どうやら私の方らしい。
読んでいただいてありがとうございます。




