名無しの動物が 1.
ナナシノが忘れていること。
動物の行動描写があります。苦手な方はスルーをお願いします。
残念な描写があります。「あイタ」という方もスルーをお願いします。
防疫上の観点から、関係者以外の方は家畜小屋に入るのはご遠慮下さい。
また、作中の養鶏描写について、キチンと衛生管理されている養鶏家及び養鶏場とは違うと区別していただけると幸いです。
あと他人ン家の鶏に手出しをしては、いけません。
オレは雄鶏。
今ちょっと小屋の隅っこで転がっている。
コッコの頭をやっているんだが、おい、そこの幼雛共。
母鳥の羽から頭だけ出して不思議そうな目でオレを見るな。
そこの大雛共。
止まり木に並んで同時に首を傾げるんじゃない。
若鳥衆お前ら笑うな。
「似合わない」って、飼い主が〝コッコ〟と呼ぶんだ! オレが命名したんじゃない! しか、仕方ないだろう!
オレにどうしろっていうんだ!
「逆ギレってサイテー」って、うわあ。なんだろうこの理不尽なモヤッと感。あああもう、さっさと寝ろよ。夜目が利かねーからオレもお前らも今日はもう何も出来ないだろ? オレは朝までここに転がっとくから気にせず寝ろ寝ろ。
ん? ……なんだよ? 何か気になる事でもあるのか?
さっきあった羊の番いと馬と人間の大騒ぎの後に、何でオレが転がっているのか全っ然わかんないってーーえええ? 今ソレ訊くのか。
……お前ら全員パニクってたからなぁ。
正気に返ったらオレが転がっていたから驚いた、って? え? 心配してンの? それにしちゃ容赦ねー労りとやさしさだな!?
……はぁ。
まあ、いいや。どーせ神経高ぶって眠れないんだろ?
いーよ。オレだってこんなカッコじゃ寝らンねーし初生雛にも解る様に、最初っから説明すっから。
* * *
そもそもの話。
オレらコッコは、イーラが本邸と呼ぶ、壁に囲まれた広い屋敷の裏庭で飼われていた。壁の外は平らな石が敷き詰められた土地で、どこにも森は無かったが穏やかな生活だったよ。
当時は別の頭が居て、野鳥なんかの動きをよく見張っていたし牽制も巧かった。まれに獣が入り込んできても、頭がすぐさま警戒音を出して屋敷の人間に知らせていたから、襲われることも無かったし。
ところが、オレが中雛から大雛になろうかという頃に森どころか周囲は山しかないこの土地に引っ越しして来た。
驚いたぜ。この界隈は、それまで見たことの無い獣が沢山棲んでいたから。
そんで、フツーにオレらを食べに侵入してくる。
頭は奮闘したけれど、人間の数が少なくてやられてしまった。
イーラがカタキをとったが、番いの雌鳥は飯を食わなくなって後を追うように死んでしまったな。
何でこんな山ばっかりな場所に来たのか分らなかったけれど、どうやらイーラはココに住まなきゃならないらしい。
ハッキリ言って、オレらは不安になった。
獣に襲われたからじゃない。
どう言って良いか……イーラは本邸に住んでいた時から、何だか食い物を得るのが下手そうな飼い主で、オレらはイヤな予感に仲間同士で顔を見合わせたのを今でも覚えている。
そしてその予感は、オレが成鶏になって新しく頭になった時に的中した。
* * *
その日、巣で卵を抱いているはずの番いが大慌てで小屋を飛び出し、庭を横切って来たのが始まりだった。空を飛べないオレらが、翼をバタつかせて走るのは余程の事だが。
襲撃、……では無いな。
オレは冷静に判断した。
イーラは小屋の掃除をする時、扉を開けっ放しにする。
抱卵中の雌鳥以外は庭に出て、砂浴びをしたり水を飲んだり食い物を探したり忙しい。吹き溜まりの落ち葉をかき回してた他のコッコ達は、落ち着き払ったオレをチラと見ただけで作業の続きに戻った。地面を引っ掻いて食い物を得るこの行動は、コッコの本能だ。
それに、足の弱い鳥でも其れなりに食えるこの庭は肥沃だ。雛を引き連れている母鳥も当たり前にいる。勿論その分だけ危険度が増すが、少しでも異常があれば警戒音を出す事にしているから何かあったら直ぐに伝播する点、本邸の裏庭と同じくらいには安全だ。
ってあ痛っ!
ちょ! おい! 何で行成り体当たりするんだ!
危な――はぁ? 急いでイーラの所へ行けって、何言ってン……おい! 蹴るな! 喚くな! 痛っ! ガチで突くなよ!?
わか、分かったって! 行きゃイイんだろ、行きゃ!!
ヒステリーを起した番いに追い立てられたオレは翼をバタつかせて駆けた。
* * *
鳥小屋の掃除を終えたイーラが、牧柵の内側にいる牛の親子の前に立っていた。
いつもどうりの光景に、オレは翼を畳む。トットットと走りながらホッとすると同時に腹が立ってきた。キレッキレの番いに急き立てられて来たけど、手に赤い果実を持ったイーラは全然フツーじゃないか。
何だったンだ一体。
ところで、柵が邪魔をして微妙に届かないのに母牛はイーラの赤い果実へ思いっきり首を伸ばして舌まで出しているな。この間生まれた仔牛まで一緒になって。もう親の真似を始めているのは感心するが、お前に果実はまだ早いって。っていうか何だか必死そうだな。
イーラは果実の香りを嗅いで、……ん? この独特の臭いは……毒の種が入っているヤツじゃねーか?
え?
イーラ何で前掛けの裏っ側で毒果実キュッキュ磨いてんの?
おい?
おい!?
まさかソレ食う気か!?
おい仔牛! いつもイーラの食い物を管理しているオリーはドコ行った!?
は!? いない!?
ちょ! 待て待て待て待て待て待て! 食うな! イーラ!!
ソレとってもヤバいから!!
オレは無我夢中で突進した。
力を振り絞って大音声で鳴く。
いつにない激しい羽音と警告音に、驚いたらしいイーラがビクリと肩を震わせてオレを見た。その拍子に毒果実が落ちて柵の内側に転がる。
イーラは拾おうと手を伸ばしたが、仔牛は「えい☆」と毒果実を踏み潰した。
ぃ良し!
よくやった!
イーラは目を見開いて眉を下げ残念そうな声を出したが、夜にオリーの食い物を食ったら忘れんだろ! 大丈夫だ!
仔牛は人間には判らないドヤ顔で「むふー」と鼻から息を吐き、母牛は伸ばされたままのイーラの手を大きな舌でベロンベロン舐めた。
おおお!
慰める仕種に託けて、やるな! お前の舌はザリザリしてイーラはちょっと痛がっているが、毒はこれで大丈夫だ!
手を洗うだろうしな! お前には毒じゃないしな!
今度、甘くて美味い草のトコロまで案内してやる!
それにしても、はー。
全力疾走したから熱ぃ。水飲みてー。
じゃあ母牛。オレ取り合えず戻るわ。知らせてくれた番いに話さなきゃならんし、今のコレをコッコだけじゃなく羊の若夫婦にも伝えなきゃいかんし。
え? 何て言うのかって?
決まってンだろ。イーラは食い物を得るのが下手どころか無自覚にヤバい。って。フツーはお前みたいに親が教えるんだけどな。食ったら中る物とか。オレらが教えてもいいけど、コトバ通じねーし。
ううわ。オレすっげー毛羽立ってるわ。伝達の後で砂浴びすっか。
ああ、あああ。
オレが走って来た後、めちゃくちゃ羽根が落ちてるよ。生え変わったばっかだったのに。コレなんかツヤっツヤじゃねーか。オレの番いは巣箱の中に落ち葉や乾草を運び込んだが「ふわふわ感が足りない」っつって自分の羽毛まで毟って巣作りしたってのに。
……。
……落っこちたオレの羽毛も巣材の足しになるかな? 使って貰えるか分わかんねーけど、ちょっと拾いながら戻るか。
* * *
イーラは強いから、本来なら心配しなくて良いハズなのに、何か抜けてる飼い主をオレらはどうにか守ってきた。
そして、あの時の卵が成鶏になった頃、ギルとイーシャが居つき始めてオレらの負担がグッと減った。
なにせギルは岳人だ。山の毒を良く知っているし、大概の不調はイーシャが診療すれば一発だ。しかも近所に人間が増えて日中は引っ切りなしに出入りがある。獣が山奥に逃げて、襲われる回数も減った。
ただ、静かな生活が一変し、賑やかになってイーラやオリーの家族は喜んでいたが、オレらコッコにはキツかった。
考えても見ろ。
いくら大人しい性格の山岳馬っつっても、牝牛ほどじゃない。
大体、歩くだけでパカパカ音がするって何だ。壁の向こうから聞こえていた騒音の主が馬だったなんて初めて知った。
ちなみに牝牛や羊、オレらコッコは、あんな派手な足音を立てない。敵に見つかったら喰われるからな。
それにしても、鍛冶ができるギルは蹄鉄を打ち始めると煩いし、普段は牝牛より静かなイーシャは喋ると声がよく通る。
負担は減ったが、この騒がしさは本邸と同じかそれ以上だ。
ココで孵化した若鳥達は初めて経験する音の奔流にグッタリしていたが、こればかりは慣れるしかない。
いつもはランキング争いしていても流石に同情した。だから二人と二頭が「次の昼に戻る」と言って出掛けて、オレら年長衆は油断していた。
* * *
まぁ、な。
獣が減ったっつっても危険いっぱいなこの土地で油断する方がマヌケなんだがな。
でもな
ギルにイーシャに山岳馬共!
お前ら鳥でもないのに、何で空から落っこちて来たんだ!?
そもそも夜中に帰って来るとか予想も想像もしてねーよ! 屋根が打ち壊された隣の羊共は、御蔭様でパニックだ! メーメー絶叫しているよ! 初めて聞いたが、お前ら叫べるんだな! 知らんかった!
羊の叫び声と馬の嘶きと悲鳴じみた怒号に物がぶっ壊れる音。
肝を潰した若いコッコは、大混乱だ。
元々、種族的にオレらは騒音に弱い。
夜で目が利かないのもタイミングが悪かった。闇夜の騒乱に、連鎖で若鳥達が騒ぎ出し翼をバタつかせて喚き散らす。おまけに換羽期だから、余計に羽毛が飛び散る。
う、ちょ、邪魔だ! 退け! おい! 雛を踏み付けンな!
パニクって中雛にぶつかりそうになった副頭を、オレは地べたに押さえつけた。コイツは若いぶん力があるが〝頭〟の実践経験が足りねぇ。
ちっ! 落ち着けって!
蹴爪で傷付けないようにすんのもコツが要ンだよ! 力を貸せ!
このままじゃ雛を護る母鳥が怪我すっぞ!
それにしても、あああああ! クッソ! メーメー声デけえ! オレの声が届かねぇんだよ! 土埃と羽毛と夜陰で庭の様子が見えねーし聞こえねぇ!
今、外はどうなってる!?
混乱とオレの苛立ちが限界に達する寸前。
ソイツは出し抜けにあらわれた。
* * *
ぬ、
っと。
亡霊が壁を透り抜けて来た。
昼夜を分かたず仄暗く浮かび上がるのがヤツらの特徴だが、そのうちどっかに行っちまうワケのわからない連中でもある。本邸にいた頃はたまにしか遭遇しなかったが、ここでは頻繁に見かける為オレらコッコだけでなく山の獣達ですらスルーするのが当たり前になっていた。
落ち着いた副頭から脚を退け、パニクって暴れて手に負えない別の若鳥を押さえ付ける最中の事だったから無視するつもりで一瞥した瞬間。
逃げ惑う群をチラリと見た亡霊が、ひそやかに牙を剥いたのをオレは見た。
コイツ山の連中と同じだ!
警戒音を上げたオレに、正気付いた何羽かの鳥達が応えた。雄も雌も雛を隠してブワリと羽根を逆立て、臨戦体勢を取る。
その間にオレは亡霊に飛び掛かっていた。
突き抜けた爪に、ヒヤリとする。
ダメージが与えられないのなら、追い払うのは難しい。一旦、止まり木に着地して亡霊の顔を目掛けてジャンプした。空は飛べないが翼をバタつかせるだけで、滞空時間はグッと延びる。
視界を遮る様に羽ばたいたオレは、亡霊が腕や手で頭を庇っているのに気付いた。すぐさま鉤爪や嘴で、目玉を狙う。何度も攻撃を躱されたが顔の眼鏡に爪が当たる直前、亡霊がカッと目を見開いた。
途端に横からの衝撃がオレを襲う。
ハッと気付いた時には亡霊に捕まった後だった。逃げようともがいてブチブチと羽毛が引っ張られる。あっという間に翼を互い違いに組まれ、目の高さに持ち上げられた。
イーシャに似た黒い瞳が、苛立ったようにオレを見た。
クッ、この、亡霊のクセにムカつく! 足届かねー!
睨み合うオレと亡霊をよそに、壁に激突する若鶏が出始めた。
殆ど同時に同じ方向を見る。
亡霊は徐にオレを壁際に転がすと慎重に屈み気配を鎮めた。
よし。今のうちに何とか翼をーーうえ。ぺっぺ。ハズレねぇばかりか砂が変なトコに入り込んで気色悪ぃ!
オレがジタバタしている内に、亡霊はフッと消えていなくなる前の希薄な状態になった。めちゃめちゃ透けてるのに存在してるって何だコイツ。
薄気味悪くてジッと見ていたら亡霊の唇から空気が出た。
空気は少しずつ音になり、それが鳴き声になった瞬間、ザッと血の気が引いた。
オレらコッコの言葉で「敵は居なくなった」って。
はあああ!?
ちょっと待てや! まだお前がいるだろーが!? ウソつくなテメー!!
仲間に警戒を促そうにも、ふんふん動いた後だったから嘴が地面に埋まって咄嗟の声が出ない。
ふんガッと首の力だけで頭を持ち上げた時には、雌鳥達は落ち着いて若鳥衆も止まり木に整列しだした。亡霊はオレをジトリと見た後、来たときと同じように壁を透り抜けて行った。
クッソ何だアイツ!?
もし次に会ったら決着を付けてやる!
飛び散った羽毛がフワフワ漂うばかりになった小屋の中で悪態をついた後、ふと我に返った。
オレ……朝までこのまんまじゃね?
* * *
さて。
隅っこで転がってる原因がその亡霊なんだが、お前らは礼を言っとけよ?
何はともあれ隣の羊小屋が静かになったのもアイツが何かしたからだろうから。
はー。
それにしても、水飲みてー。
補足1
ナナシノは鳥達の香ばしい色合いに微笑みを浮かべました。歯を見せたので、戦闘開始となりました。
補足2
動物にとって「舐める」というのは親愛の証です。仲良くなりたいのなら避けてはいけませんが、病原菌や過剰な甘噛み等には注意が必要です。
ちなみに、まだ幼い乳飲み仔牛の舌はスベスベしてて舐められても「くすぐったいキャッキャうふふ」で済みますが、成牛の舌はザリザリな上に、大きな頭を支える頸筋力の強さと、好意を寄せる分だけ距離が縮まる相乗効果で、舐められるというより「おろし金で撫でられる」に近いです。
と、いうことで
イーラはちょっと痛がっている → かなり痛い
仲良く暮らしているので、彼女は避けませんでした。けど痛い。アルプスの少女みたいに頬っぺた舐められると、鼻紋スランプに伴う涎ベタベタに加え角質削れて赤くなります。