99. 意に沿わない。
イーラに浴衣を贈った話を聞いていた自分は意味が解らなくてイリイチを見た。
ゴツイ美人も眉を顰めている。
同じく意味が解らなかったらしい。「縁談蹴って飛び出した」とか、どう聞いても穏やかな話では無いが、そもそも医師はイーラに気がある。意に沿わない結婚を勧められて外堀埋められる前に逃げ出した、というのが真相だろう。
だが、それで血縁でも何でもないハルトマンが花嫁を貰い受けるとかワケがわからない。……ひょっとして医師の後見人を引き受けていたとか?
自分は部屋を振り返った。
私事を暴露されたハルトマンは無表情になっていた。暖炉の側で突っ立ったまま、何だか虚ろな目になっているように見える。
ふと気が付くと、キリっとしていた部下三人が生温かい目になって上司を見ていた。
え? コレ有名なハナシ? つか、職場にまで事情が広まってるとか……
うあ、と呻き声が漏れた。
自分だったら絶対イヤだ。むちゃくちゃ仕事しにくい。
盛大に引き攣った自分に一瞥をくれたハルトマンは溜め息を吐いた。
「……伯母上、とりあえず荷物を運んでしまいましょう。悪いがサム、どのように積み置けば良いのか指示して欲しい」
あっさり言って、複雑に手を動かす。隅に立っていた部下は、等間隔に並ぶとリレー方式で荷物の搬入を始めた。間にイリイチが入る。幽霊が混ざっていても違和感が仕事しない。
自分も間に入ってみた。
リズミカルに作業する部下には気付かれなかったが、宙に浮いた木箱を見てギルが目を剥いた。自分は気にしないことにする。あー、図書移動も人数かけたらラクなんだけどなぁ。
次々と運び込まれる木箱を、とりあえず荷札が見えるように腰の高さに積み上げたハルトマンにサムは言った。
「ハル。そこの、人? 達の手を借りたいが、大丈夫だろうか?」
は? 今ちょっと幽霊やってるだけで一応は人間ですが何か?
イリイチはキョトンとしたが自分はムッとしたのが分った。
ハルトマンが目顔で側に来るように促し、イリイチはサッと動いたが、自分はしぶしぶ近付いた。ゴツイ美人は利き手を差し出して笑った。
「はじめまして。オレはピョートル・イリイチと名乗っている。イリイチと呼んでくれ。こっちはナナシノ。ドクター……イーシャと同じ日本人だ。どうぞよろしく」
「……こちらこそ。私は森人のサミュエルという。ハルと同じようにサムと呼んで欲しい」
サムは差し出された手を一瞬だけ見詰めたがスッと握った。
ハンドシェイクが終わると自分に視線を向ける。が、こっちは黙礼を返すだけに留めた。
迂闊に近寄らない。
なんてったって自分は接触に弱い。慣れてないんだよ握手や抱擁に。前に一度、訪日したばかりの仲間にハグされた瞬間、空港ロビーで悲鳴をあげて注目されたのが強烈な思い出になっている。べしゃりと崩れ落ちた後で生まれたての子馬みたいにプルプル震えながら、駆けつけた警備に事情を説明したり呆気に取られた仲間のフォローをしたり散々だった。
二度目の超常現象の最中に同じ轍を踏みたくない。
というか、神殿の外で一回、台所で一回。たった数時間で二回も恥を晒しているんだ。
三回目とか冗談じゃない。
攣り過ぎて筋肉痛になる。