98. 玄関が大惨事。
反射で思ったが、自分は母親と同じか少し年下くらいの女性の訪いに、実はホッとした。だって浴衣を縫うのはともかく、清拭等の介助となると、いくら幽霊でも問題がある。さすがに。
見えない自分を医師が素通りしてドアを開け、部屋を出た。
ウェジーを呼ぶ声が聞こえて玄関から返事か聞こえたが、――続いた騒音に不吉な予感がして、顔が引き攣った。
これは、デカいスーツケースをどっかにぶっつけ続ける音と同じだ。金属製の収納箱が山岳馬と降って来た時の騒音と引けをとらない。
積み上げているような物音の大きさに、イリイチも眉をひそめて自分と顔を見合わせた。
幽霊二人で、恐る恐る開けっ放しのドアから顔を突き出す。
玄関が。
大惨事になっていた。
何と言うか……、大荷物が出入り口を塞ぎ始めている。
素人の引越しを思わせる置き方で、しかも次々と運び込まれる。多分アレじゃ、いくらもしないうちに二進も三進もいかなくなるだろう。
唖然とした風な表情のまま、イリイチはイーラに言った。
「イーラ、このままでは荷崩れます。この部屋に運び込んでも良いですか?」
「ええ? 待って? あの二人どんな風に置いているの??」
イーラは廊下に出て、玄関を見て、固まった。
部屋の男達はコチラを見ていただけだったが、巌のような体格の男は立ち上がってイーラの背後に立つ。自分が背後に立たれると不快になるクセから、思わず視線が厳しくなったが、幽霊をスルーする男は玄関を見て目を丸くしただけだった。そして笑った。う、ちょ。酒臭っ。
「おいおい、こりゃ凄い量だな。一部屋分か? ウェジー、今回はドコまで行っていた?」
そう言いながら、酔っ払い特有の軽いノリで袖捲くりをして廊下に出る。アッサリ手近な荷物に触れた。
「イーシャ、コレ全部を運べば良いんだな?」
他者を射竦めるほどの威厳があるのに、返事を待たずにヒョイヒョイ担ぐ姿が似合いすぎている。「お久しぶりです幻王」というウェジーの声と「陛下、すまんが談話室に運んどいてくれ」という医師の声が荷物の向こうから聞こえた。
自分はポカンとした。
王?
ええぇ? 〝王〟って扱使っていいのか? つかフットワーク軽っ。
幻王は、イーラの返事も待たずに部屋に荷物を運び込み暖炉から遠い箇所に置く。
置かれた木箱に眉を顰めたサムも立ち上がって廊下に出て、息を飲んだ。
「ウェジー……、君は樹海まで行ったのか」
大きくは無いが刺々しい声に反応したのか、荷物の向こう側からウェジーはヒョイと顔を覗かせ、サムを見て破顔した。
「サム」
喜色に満ちた声に、冷ややかだった美丈夫は目に見えてグッと詰まった。
太陽のように明るい笑顔をサムに向けたまま、ウェジーは唇を開いた。
「幻王だけでなくて、貴方も来ていたのね。予定より二ヶ月も早く会えると思ってなかったから、嬉しい。久しぶり。元気そうで良かった。聞いて欲しい話が沢山あるの。でも、とりあえず荷物を片付けてしまいたいから、手伝ってくれると助かるんだけど、良い?」
伺うような言葉にサムが唇を引き結んだ表情で頷くと、ウェジーは礼を言って荷物の向こう側へ消えた。彼女の姿が見えなくなった途端、サムは口元を手で隠し視線をあらぬ方へ向けた。耳まで真っ赤に染めた初心な反応に、半笑いが浮かぶ。
ああ、こりゃ
「尻に敷かれてるな。サム」
二往復目の荷物を運ぶ幻王の言葉に、イーラがモノも言わずに、かの人の背中を叩いた。すぱん、とイイ音がしたが淑やかなイーラらしからぬ仕草にサムが目を丸くする。
勿論、部屋の中の人間と幽霊二人、窓辺の四神も目を丸くした。
叩かれた方は、すい、と面白そうに視線をやった。視線に促されて、イーラは言った。
「陛下、こういうのは、からかってはなりません」
真剣な表情だが、ぷんぷん怒っている様子が火の神そっくりで驚く。
恋話に盛り上がる女子を嗜める年長者のようにイーラは溜め息を吐いた。
「貴方があまりに弄るからイーシャが縁談を蹴って飛び出して、後始末に借り出されたハルが残された花嫁と結婚するハメになったんです。責任を取る気が無いなら、人の恋路に口出しするのは止めてくださいませ」
……はい?