名無しの幽霊が 6.
神殿 崩壊直前。
残酷な描写があります。苦手な方はスルーをお願いします。
その揺れを感じたのは、偶然だった。
ゆっくり蠢く部位と呼ばれる幽霊を、粗方階下へ蹴り飛ばし「さて、どうやって親子を神殿の外に連れ出すか」と考え込んでいた所為かも知れない。
動きを止めて黙考するのが、オレのクセだ。
ほんの一瞬。
足元がユラリと動いて、オレは瞬いた。波の上に立ったような錯覚に陥る。
揺れは微かだったが気味が悪い。床を見たが特に変わった様子はなかった。
何だ? 幽霊になると、バランスがおかしくなるのか?
首を捻ったとき。
唐突に肌が粟立った。間を置かず禍々しい気配が地下から立ち昇る。
さっと視線を走らせて周りの人間を見るが、気付いていない。オレは頭を抱えた。
あああ、マジか!? クソ! 気付けよ!
これは。
この気配は、ヤバイ。
初対面でオレを見て怯えた双子に話しかけるのは気が引けるが、非常事態だ。
回り込んで裸足の子の前に立つと、母親と手を繋いだ子と二人でオレを見上げた。紺碧の瞳が二対。真っ直ぐな目を向けられた。そこに恐怖の色は無い。良かった。
しゃがんで、目線を合わせる。
怖がらせないように心掛けた。慎重に唇を開く。ナナシノは幽霊だから言葉が通じたが、生きている人間に話しかけるのは初めてだ。
「君達は、……オレのコトバが解るか?」
双子は顔を見合わせると、小さく頷いた。オレは心底ホッとした。
「早くここから逃げるんだ。今すぐ君達のママに伝えてもらえるかい?」
「……おかあさん、あのね」
すぐさま手を繋いだ方の子が、母親に話しかけた。見ず知らずの幽霊の話を聞いてくれるとは思わなかった。助かったと思ったが、側に立っていた男が「許可を貰ってくる」と言って歩き出されてオレは目を剥いた。
早く行けよ!?
キレそうになった次の瞬間、地下の部隊が階段を駆け上がってきた。フロア全員が注目する。そしてサッと振られた信号に、オレはホッとした。
―― 総 員 退 避 ――
願ってもない状況に唇が綻ぶ。
が。
自分で双子を連れて行くと言い出した母親に、オレは怒りで眩暈がした。
この、クソ女! アンタ一人で双子を抱えて走れんのか!? 抱き上げたから知っているが、二人で七十パウンドはあるぞ!?
そうこうしているうちに、膨れ上がった気配が差し迫る。神殿の外へと先導する者に、親子はついて行こうとするが、裸足の子と母親の足元が覚束ない。膝がガクガクしている。
よく見ると、母親の指先は震えていた。
品の良さそうな老女が、見かねた様に母親に手を差し伸べた。子供達が心配を通り越して泣きそうな顔で見ている。
あああ不安がっているだろう! 気付けよ、もう!
ヤキモキしたオレは双子に話かけた。
「君、自分で歩けるならママの手を引いてあげるんだ。それで君は、そっちの女の人に手助けして貰いなさい。君達のママはその人を信用しているみたいだから、……そう言ってみてごらん」
双子は、そっと母親の外套を引っ張った。
「……おかあさん」
声に引かれて、母親がハッとした表情で顔を下向けた。直ぐにしゃがんで子供と目線を合わせる。何かを言おうと唇を開きかけて、地下から駆け上がって来た男が裸足の子を掻っ攫うように抱き上げた。
驚いて立ち上がった母親に、男――コマンダーが怒鳴った。
「――出ろ! 急げ!」
「ハル、一体なんなの」
慌てたように割って入った老女を無視して、コマンダーは子供を片腕で抱えなおし空いた手で部隊に指示を出す。
たちまち女二人と双子の片割れがメンバーに囲まれる。嵐のような勢いに押されて連れ出される彼女達を見届けるとオレは地下へと顔を向けた。
ナナシノが上がってこない。
地下へ踏み出そうとしたオレに、声が掛かった。
「そこの! お前もだ!」
振り返ると大扉の真ん中で、コマンダーが立っていた。
顎で外を示す。湖水の瞳がイラついていた。
「出ろ! アイツに投げ飛ばされるぞ!」
……アイツ? ナナシノの事か? え? あのホッソイ腕で投げたのか?
よく見るとコマンダーの襟はグシャグシャになっていた。
オレは前に映像で見た柔道の投げ技を思い出した。スポーツ振興の一環だろうが、小柄な女性が大男を投げ飛ばしたパフォーマンスは圧巻だった。
だがそれは、有段者が職業軍人に必ず勝てるというものではない。
オレは頭がイタくなってきた。
物の見事にヒョロさに騙されて油断したな。ヤツの手を見たら何かやってるのは判るだろうに。
あとナナシノ。お前、ゴーストなのに地下で何やってんだ。