97. 冷ややかな問いに。
出入り口の片側に寄った自分の対になるように、イリイチが立つ。
まんま哨兵のようになって慌てた。しまった、気を遣わせてしまったか。
オタついた自分を見て、イリイチは反対側からチラリと笑みを送ってよこした。
振り返ったハルトマンは、何も言わない事にしたようだ。部屋の生者達は、視線を向けただけで開け放したドアの両脇に立つ幽霊への反応は無い。
見えているっぽいけど、スルーしてくれるのか。
やっぱハルトマンが変わってるんだな。良かった。構い倒すのが標準なら、どうしようかと思ってた。
イーラが立ち上がり部屋の中央に準備されたテーブルに近付くと、ポットからティコージを外した。治療を終えた医師がハルトマンを見て何か言いたげな表情を浮かべたが、指揮官は手当てを終えた部下を労うと壁に下がるように指示を出し、カップにお茶を注ぎ始めたイーラの側に立った。流れるような動作でデカンタを持ち、グラスへ注ぐ姿は慎重で、今のタイミングで声をかけるのは憚られる。
つか、あからさまな無視だな。
医師はそっと息を吐くと、椅子に座った。小柄な男が、慰めるようにその肩を叩く。窓際に座っていた美丈夫が、イーラへと顔を向けた。
「イーラ。何故ウェジーが呼ばれる? 森への伝達は私が居れば事足りるだろう」
冷ややかな問いに、医師が答えた。
「すまん。風のに頼んで、ワシが呼んだんだ」
飄然とした声に、目の下に皺が寄った。不愉快そうな表情を隠しもしない男に、医師は気負いなく続けた。
「あの子は森人の中でも特に草木に詳しい。調剤で新しい薬種が要るンだ。その相談をしたい」
カップを乗せた盆を持ったイーラが、美丈夫にお茶を渡しつつ取り成した。
「怒らないでサム。非常事態なの。それにイーシャが食材調味料を提供すると言ったら、彼女は喜んで手伝いに来てくれるそうよ。女手が足りないから助かるし、わたくしも会って渡したい物があるの。許して頂戴」
ソーサーを両手で受け取ったサムはポカンとした後、顔を伏せて苦々し気に呟いた。
「……あいつめ。ニホンショクに釣られたか」
……。
呆けても悪態ついても様になるとか、美形って徳だな。
妙な感心をしてしまった。
って、いうか和食再現したんだ。よく麹菌を見っけたなぁ。
……物凄まじい執念だ。
「どうぞ」
ハルトマンは巌のような巨躯の男に、酒の入ったグラスをトレーごと差し出した。
「……ギル、貴方は足を折損したばかりだ。伯母上からお茶を貰って下さい」
横から伸びた手の主を、見もしないでピシャリと言う姿は容赦ない。
グラスを取った男は、ツイと呷って中身を干すとトレーに戻した。
「岳人に酒の一杯くらいは良かろうに。ハル、お前は相変わらずだな」
くつくつと男は上機嫌に笑った。
イーラからお茶を受け取りつつ朗らかに言ってのける表情は、どこまでも軽い。
……。
酒の度数がどんだけか知らないが、まさか酔ってないよな?
不安になっている間に、イーラがお茶を配り終えた。
ギルと医師は、ふうふうカップを吹いている。ボケッと見ていたら、ハルトマンがトレーを示した。
イリイチは固辞する仕草をし、自分はゆるく首を振る。
美味そうだけど、飲んでる場合じゃないんだよ。この後で仕立て物しなきゃならんのに。
窓辺の四神が、外を見た。
彼らのすぐ側に空の茶器が置いてあり、イーラがそれとなく注ぎ足す。
ドールハウスの備品サイズだからパッと見は雑貨を飾っているふうだが……、自分的にはお供え物っぽくみえて仕方ない。
とりあえず自分も窓の外に目線をやって、視界の人物にフリーズしそうになった。片手で眼鏡を外して、もう片方で眉間を揉み解す。
あれ? おかしいな。眼精疲労か? 幻が見える。
自分の仕草に気付いたイリイチが、窓の外からイーラに手を振る美女を見て呟いた。
「……エルフ?」
その声に反応したのは、医師だった。
さっと立ち上がると、イーラの側によって窓を開ける。木々の芳香と落ち葉の匂いが、冷たい夜気と共に部屋に入り込んだ。
「ハイ、久しぶりイーラ。元気そうで良かった。イーシャ、来たわよ」
美女は苦笑を浮かべて、医師にも手を振った。
二人は窓越しにその手を取った。途端にサムから殺気じみた気配が立ち昇るも、嬉しそうにハンドシェイクしている彼等は気付いていない。
「いらっしゃいウェジー。待っていたの。さあ、入って」
「ウェジー、よく来てくれた」
長い金の髪が、頭の後ろですっきりと纏められている。普通、シンメトリー顔は冷たい印象を与えるのに、神秘的なエメラルドの瞳が親しみを持たせた。
美しい人型だが、サムと同じ清廉な気配が人間とは別の種族であると解らせる。
映画で見たエルフそのものの特徴を持つ美女――ウェジーは、歓迎の空気に擽ったそうに首をすくめて笑った。
「今度の旅で採取した植物は、全部持って来ているの。どれが必要か分からないから、イーシャに見て貰った方が早いと思ってココに」
苗木が突き出た大きな荷物を見せる姿は、妙な迫力がある。ぱっと見は儚げ
で優美なのに、ひ弱な感じはちっともしない。
「……お前より強そう」
思わず、といったふうにイリイチが言った。半笑いが浮かぶ。
ほっといてくれ。