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ヒトと獣の境で  作者: 武中 卵
between human and beast
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Chapter 02 「Boy's side」


 野人衛悟が電話を受け取ったのは、仕事からの帰り、電車を駅のホームで待っている時だった。

 ポケットの中の振動に気付いて携帯電話を取り出し、衛悟は「九神 臣(くがみ しん)」の文字を認める。仕事が終わり、その報告も既に終わった今、自分の所属団体の団長から電話がかかってくる理由に心当たりがなかった衛悟であるが、だからこそ何とは無しに、嫌な予感が湧いて出た。

「……出なきゃ駄目だよなぁ」

 いくら古い付き合いとはいえ、仕事上の関係がある以上は、下手に私情を挟むわけにはいかない。

 仕事は上手くこなしたため、お叱りの電話ではないことが察せられる。その考え自体がある種の願望ではないかと衛悟は感づいていたが、そう思っていないと電話の応答が躊躇われるため、深く考えないことにした。

「もしもし?」

「あ、もしもし? 俺だ」

「誰かくらい分かってんだよ。要件は?」

「ああ。急ぎの用だ」

 臣の声色が重くなったことに、衛悟は気付いた。

「言っておくが、さっきまでの仕事とは関係ないことだぞ」

 心中を読まれたかのような言葉に衛悟は驚いたが、特に何かを言うことはなかった。


「やってほしいのは人助けだ。今、衛悟の近くに追われてる親子がいる。その親子を、無事に本部の方まで連れてきてほしいんだ」

「親子、ね」

「姓は金桐(かなきり)。母親の名前は葵(あおい)。娘の名前は茜(あかね)。母と娘の二人だ」

「ふぅん――」

 父親の不在を疑問には思ったが、衛悟は何も尋ねなかった。言うほど珍しいものでもないし、聞けば深入りするようで気が引ける。

「なんで追われてるのかってのは、聞かない方がいいか?」

「んー……そうだな。一応は彼女らの個人情報だ。お前に教えるにしても、本人たちの了承がなきゃな」

「分かった」

 そのことに関しても、衛悟は深く聞こうとはしなかった。仕事の詳細が分からないことは、多くはないがあることだ。先の見通しがないことに不安もあるが、大体のことには対処できるという自信もまたある。

 電話をしながらも、早速探し始めようと衛悟は駅の外へと向かう。広くもない町であり、仕事で数日間滞在していたため、町の大体は把握している。捜索対象だって動き回ってはいるだろうが、見つけ出すのにそう時間はかからないだろうと予想した。

「特徴は?」

「ああ。まず、母親の方は――」

 二人の外見的特徴を聞き、脳内で仮の人物像を作り上げる。

 あまり詳しく覚えている必要はない。要するに追われているらしい人物を探せばいいのである。切迫している人物であれば、周りより浮くだろう。浮かべたイメージは、それと目的のものが大きく違わないことを確かめるためのものである。

「こんなもんだな」

「そうか」

「できるだけ急いでくれ。見つかりそうか?」

「そうだな……。しばらく住んでたって言っても、道に関して詳しいとは言えないし。けどまあ、聞き込みでもしながら探せば――」

 図ったかのようなタイミングで、

 タァン――と、遠い音がした。

「――嘘だろ……」

「どうした?」

 ため息と共に出た言葉を、臣が気にした。

 驚愕というより、ある種の落胆だった。その音から推測される正体そのものは、衛悟も知っているし何度も見てきた。ため息は、事態はそれ(・・)が街中で使われる程度に厄介であると察した故のものである。

「何か問題でもあったか?」

 電話の向こう側にいる臣には聞こえなかったのだろう。説明して少しばかり問い詰めたくもなったが、それは後にすることにした。

「いや……なんでもない。とりあえずアテが見つかった」

「は?」

 疑問する臣に構わず、衛悟は電話を切った。

 幸い、周りを歩く人たちは、先ほどの音の正体に気付いていないようだった。聞きなれない音である以前に、それが銃声であるという発想に至ることが難しいのだろう。

 まさか銃声であるはずがない。工事か何かの音だろう。

 それが普通の発想だ。

 意図しないまま非現実から目を逸らし、何食わぬ顔で現実へ戻り、すぐに忘れて帰宅後を考える。銃声程度では、人は非日常へ移ることができないのだ。

「なんにせよ、急いだ方がいいな」

 騒ぎが起こらないのは何よりだが、音があった以上、銃が使われたと考えるのが自然である。それで怪我でもしていれば、と考えるとゆっくりとはしていられない。


 ◇ ◇ ◇


 音のあった方へ向かい、道端の人から話を聞きながら走り、衛悟はやがて異変を見つける。

 ビルとビルの間。室外機の熱と音がこもる裏路地に、三人の男女がいた。

 男が二人、衛悟を背にして去るように歩き――一人の男の手には、少女の髪が掴まれていた。

 歩み寄りながら、少女の風貌を確かめる。もしそれが外れであるとしても、おそらくやることに変わりはない。なにせ、誰が見ても暴行の現場である。間違って阻んだところで悪いことではあるまい。


「おい」

 自分に気付いていない様子の、少女の髪を掴んでいる方の男の肩を叩き、その振り返りざまに衛悟は脚を叩き込んだ。

「――ッテエ! 何しやが――」

 喚き立てる男に追撃を加える。壁に頭を叩きつけられた男は、それ以上動くことはなかった。

 地に落ちた少女は、小さく声を上げる。右肩に怪我をしているようだったが、動き出したところを見て、衛悟は後回しにしてもよいと判断した。

「活性(ハイ)」

 銃声と共に紡ぐ命令(コード)。射程(スコープ)が左方に展開され、弾丸は消滅する。

 続く二発の弾道を予測して刹那で躱し肉薄。

 銃を捨て、素手で応ずる男との数打撃を交わし、数瞬の後に男を沈める。

 一呼吸――

 五感を研ぎ澄まし、他に人の気がないことを感じて、

 衛悟は少女に近づいた。


「金桐茜だな?」

 一言で言うなら、ひどい状態だった。

 顔や服は泥土で汚れ、綺麗だと聞いた黒い長髪は暴れ乱れている。右肩の傷は存外に深いようで、流れる血は止まりそうにない。呆気にとられた表情であるが、潤んだ瞳は泣き出しそうであることを表していた。

「ギアの野人 衛悟だ。お前と……母親を助けて来いって言われたんだが、どこだ?」

「……え? ――あ、……」

 茜は舌が回らないようだった。

 辺りを少し見回すが、それらしき人物は見当たらなかった。別行動をとったか、先に捕まってしまったか、どちらにせよ仕事は長引くことを覚悟する。

「あ…………ああ――」

「とにかく、誰か迎えに来てもらって、お前だけでも送ってもらおう。母親の居場所はこいつらにでも聞くか」

 少しの苛立ちを込めて、倒れた男の頭部を蹴る。

 母親も見つけなければならないが、優先するべきは今ここにいる娘の安全だろう。わざわざ危険を冒してまで母親の探索に同行させる理由はどこにもない。

「あ、あのっ――!」

「ん?」

 連絡のために携帯電話を取り出そうとした衛悟を、茜の声が制する。

「助けて――ください……」

 一瞬、衛悟は戸惑った。しかしすぐに、パニックに陥っての言葉であると察した。

 何が何だか分からないまま襲われて、痛い目に遭い、母とはぐれて独りきり。めまぐるしいまでに追い詰められ、助けを自称する男は見も知らない。

 それでも、縋らなければ耐えられない。奥底から湧き出る訳の分からない感情に押し潰されそうで、辛いのだろう。

「大丈夫だ。今から迎えを呼ぶ」

 衛悟のその言葉に、しかし茜は首を横に振った。

「お母さんを――」

 にじり寄った茜は、衛悟の腰にしがみついた。

 あまりにも、弱い。力の入っていない両腕は限界を発しているのに、体の震えは衛悟にも伝わっていると知らずに、茜は負けじと、ただ強くあろうと見せている。

「お母さんを、助けてください――!」

 そして、衛悟は理解した。

 感情は恐怖や臆病ではない。それを押しつぶして、悔恨が茜を動かしているのだ。

 痛々しく、とても好きになれず、

 苛立った衛悟は、その苛立ちの正体には気付けずにいた。

 悔しさの理由は知らない。それを知らぬままに全て終わらせるつもりだったし、その意向は今も変わらない。

 ただどうしてか、少女に泣かれることがひどく心苦しい。その悔しさを、直感で理解できてしまう。

 だが自分に何ができるわけでもない。慰めることで、下手に関わるつもりもなかった。

 だから――その頭においた手は、無意識の内だったのだ。

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