Chapter 00 「Restarts」
アツい所にいた。
目が霞んで頭が重くて、だけれど、体は反して冷たかった。
赤い所にいた。
青い空もなくて、茶色の土もない。そこは赤黒ばかりの異世界だった。
悲しい所にいた。
何がなんて分からない。その光景は未だ、網膜を焦がしていなかったから。
それが、よく出来た夢だと知っていた。
ただ痛みがあって、体が冷たくて、大切な何かがこぼれていて――
あまりに惨憺なその現実を、夢と解した……。
・・・
・
◆ ◆ ◆
――アツい
目が覚める瞬間、真っ先に頭へ浮かんだのはそれだった。
「――」
しばらくの間、何をすることも、考えることもできなかった。
意識自体がふわふわと揺らいでいて、まだ夢の中にいるのかと錯覚するほどだった。
「――暑い」
初めて体を動かしたものは、やはりその衝動だった。汗を吸った肌着が体に張り付き、なんとも言えない不快感を感じる。羽毛布団を足でどかして、外の空気を取り入れた。
少し肌寒くも感じたが、火照った頭にはむしろ都合が良かった。徐々に意識が思考を取り戻し、だんだんと考える余裕も生まれてきた。
「……」
たしか、夢を見ていたはずだった。それを忘れてはいけない、思い出さなくてはいけない気がした。
覚醒時のひどい発汗からして、おそらくは悪夢の類。そんなものを好き好んで思い出したい気持ちが自分でも理解できなかったが、――不思議と、疑問は持たなかった。
「なんだっけ……」
体を横に向けて、窓の方を望んでみる。
カーテンの向こうに時々見える外の景色は、空の青でよく映えていた。
吹き抜ける風は部屋全体の空気を清め、差し込む光は部屋の明かりを演出する。
とても穏やかで、とても和やかで、
「……?」
そして、気付いた。
体を起こす。内側のどこかが軋んだ気がしたが、気にならない。
周りを見渡す。歩いて、部屋の中を物色する。窓から体を乗り出し、外を見てみる。
そのどれもに、覚えがない。そこは僕の知らない場所だった。
「なん……で……」
しかし、それも些細であると気付く。
なによりも僕を戸惑わせたのは、記憶の大半が欠落していたことだった。
「あ――はっ?」
不気味で、体が震える。
怖い。自分が見つからないとこんなにも怖いなんて、知らなかった。
――ここはどこだ?
――僕は誰だ?
――なんでここに?
自問を続けて手に入れたのは、言い様のない寒気だけだった。
五分ほど経っただろうか。
部屋の扉が、ゆっくりと開いた。
「お邪魔しま――」
突然の来訪に驚く。
しかし、そんな僕より驚いた様子で、その人は僕に駆け寄ってきた。
「起きたのか!」
「え――ぁ――」
「体の具合は? 痛いところはないか? そうだ、腹減ってないか? 飯ならすぐに用意できるぞ」
「……」
僕と歳が変わらないような風貌だった。成年、というよりは少年。はしゃいでいる姿も、どこか相応だった。
困っている僕の様子に気付いたのか、その人は少し下がって声を落ち着けた。
「ごめんごめん。訳が分からないよな」
「――」
首を縦に振る。
「九神臣だ。ここの創設者なんだ」
「創設……?」
「ああ。――つっても、まだ立ち上がりきってない状態だから、あまり偉そうなことも言えないけどな」
よく分からなかったが、九神さんとやらは楽しそうだった。
言葉とは違って、どこか誇らしそうにするその顔は、無邪気という表現がよく似合った。
「……なんで?」
けど、九神さんには悪いけど、そんなことはどうでもよかった。
「うん?」
「僕は……なんで僕がここにいるの?」
「…………え?」
要領を得ない僕の話を、九神さんは真摯に聞いてくれた。
とは言え、何も覚えていない僕の話は多くない。
ただ、何も覚えていないこと。それだけを話した。
「俺は、ここの前で倒れてたお前を拾った。怪我もしてたから、ついでに治しておいた。それだけだ」
九神さんはそう言った。
嘘をついている様子はない。そもそも嘘をつかれる理由なんて思いつかないし、それを見抜ける気もしない。
なんにせよ、手がかりが得られると期待していたばかりに、僕は少し落胆した。
「……記憶が戻るまでは、ここにいるといい。どうせ怪我だって治し途中なんだ」
「――ほんと?」
「ああ」
状況が進展したわけではない。記憶が戻ったわけじゃないし、その目処が立ったわけでもない。
しかし――心底では安心したらしく、全身の疲れが途端に押し寄せた。
「よか……た……」
「大丈夫かっ?」
焦った様子の九神さんに頷く。
すると九神さんは、僕が眠くなってきたことに気付いてくれたらしく、ふう、と一息吐いた。
「うん。無理しない方がいいな。疲れたなら寝た方がいい」
「……うん」
ゆっくりと体を倒し、背に柔らかい感触を覚える。
九神さんは、僕に羽毛布団をかけた。暑くて退けたそれだったが、今となってはそうする気力もない。
せめて、九神さんが部屋から出るのを見届けようと、まぶたを持ち上げ続ける。
部屋を見回し、もう一度僕の方を確かめて、ようやく扉へと向かう。その九神さんの姿を見ながら、僕の意識は着々とまどろんでいく。
「――そうだ」
扉を開き、なにやら再び僕を振り向く。
「なんて呼べばいいかな。名前を思い出せれば、それが一番なんだけど……」
頭の中で限りなく小さく反芻されるその声。
途切れつつある意識の中で、僕は自分の名前を聞かれていると解った。
「…………の……」
渇いた声。
聞こえているのか不安になるような声だったが、それを気にする余裕もない。
自分でさえ何を言おうとしているのか分からない、あやふやな思考は自律を失い、
体は、本能の元、声を発した。
「のびと……えいご…………」




