底なしの石室
今回の〝生き埋め状態〟は、少し長かった。鼻や耳に砂が流れ込んでくるのに耐えて、いつまでこれが続くのかなと思った途端、ズルンと開けた通路に投げ出された。今度の通路は、先ほどのものより、かなり広い。
たいまつに火をつけ直す。何やら不快な匂いがした。何だろう、この古くなった油みたいな匂いは。見回してみるが、特に何もない。壁は相変わらず緑がかった石でできている。ただ、この階層は先ほどの階層とは違い、生き物の気配がする。耳を澄ますとカサッ、カサッと何かが動いている音がした。
なかなかテイラーが降りてこない。
確かにあれは怖い。自ら生き埋めになりにいくわけだから。蟻地獄に自分から飛び込む感じだ。先に何があるのか、さっぱりわからない。テイラーは今頃、怖がっているのではないか? 俺が見えないから、入ったはいいが、その後、無事に出られるのかどうかわからない。下で俺が待っていると信じて、飛び込むしかない。
一度、戻った方がいいかな? そこで、はたと思い当たった。どうやって戻る? 落ちてきたところは、壁の一部が崩れて、そこから砂が雪崩れ落ちている。この砂を掘り進めば上に戻れそうだが、掘っても掘ってもどんどん砂が落ちてきて、上に行けそうな気がしない。
これが〝底なし〟の名前の由来か。確か、『世界の歩き方』にも「一度、入れば下に行くしかない」と紹介されていた。スティーブンさんたちは底まで行くのを諦めて、途中で引き返している。タイタンの移動魔法を使って、地上に戻った。
だけど、俺たちにはそれがない。どうやって戻る? 俺はヒヤッとした。入り口には命綱があるが、この階層に降りてきた時には命綱を使わなかった。もしかして、テイラーたちは一度、降りたら戻れないことに気がついて、俺を残して引き返したのではないか?
ゾッとした。恐怖で叫び出しそうになる。ダンジョンに一人。帰る方法はない。リュックに食糧はあるので、すぐには死なない。水はどれくらいあった? そこまで思いを巡らせたところで、ザザッという音とともにテイラーが落ちてきた。
「テイラー!」
うれしくて泣きそうになる。やった、俺、まだ一人じゃない! 通路に滑り落ちてきたテイラーを立たせると、抱きしめた。
「うわぁ、なんだ!」
びっくりしている。そりゃそうだろう。生き埋め通路から脱出した途端、俺に抱きしめられたんだから。
「テイラー、ありがとう!」
半泣きになってテイラーに感謝の言葉を伝えると、もう一度、テイラーの細い体をギュッと抱きしめた。
「わぁ、なんだ、なんだ!」
バチッと電撃が飛ぶ。でも、うれしい痛さだ。仲間が信じてついてきてくれた喜び。テイラーにわからないように、背を向けてそっと涙を拭いた。そうしている間に、ハーディーとエリックが降りてきた。
再び奥に向かって進み始める。このダンジョン、あんな感じで引き返すか、飛び込むかの選択を繰り返して、下層に行くのだろうか。あと何回、あんなことをやらないといけないのか? それを考えると、神経がすり切れそうだった。
「テイラー、怖くなかったか?」
俺はテイラーに聞いた。
「めちゃくちゃ怖かったよ」
即答だ。
「よく来たなあ」
感心する。テイラーは勇敢だ。
「え、だって、テイラーたちが行かなかったら、クリスは一人ぼっちになるだろ。それはさすがにかわいそうだなぁって」
うれしいことを言ってくれる。足を止めて、振り返ってテイラーを見た。テイラーは少し疲れた顔をしている。集中力も途切れ気味だろう。気をつけてやらないと。
「なあ、クリス。これ、帰りはどうするんだ?」
俺が考えていたことを、エリックが言った。
「エリック、俺もそれを考えていたよ」
そういうと、エリックは目を丸くした。
「何? お前、帰る方法を考えていなかったのか?」
驚きすぎて、声が裏返っている。
「うん。ここに降りてきた時に〝あ、命綱ないわ、どうしよう〟って気づいた」
「馬鹿か、お前は!」
笑うしかなかった。反論できない。そうだ。大馬鹿だ。こんなところだと知っていれば、移動魔法が使える魔法使いを連れてくるんだった。
「テイラーは移動魔法、使えないよな?」
俺はダメ元で聞いてみた。「うん。使えない」。テイラーは当然のように首を縦に振る。「うぉっほ、うぉっ」。ハーディーが何か言った。「『何とかなるから気にするな』って言ってる」とテイラーが通訳した。
何とかなるからって。
顔が引きつっているエリックに向かって苦笑いした瞬間、カサッと何かが動く音がした。背後に目を向ける。通路の奥は暗くてよく見えない。だが、確かに何かいる気配がする。
「クリス……」
「しっ、テイラー。静かにしろ」
何か言いかけたテイラーを手で制すると、姿勢を低くして1歩、2歩と前進した。闇に目を凝らす。闇の向こうで、何か動いている。壁だ。壁が動いているのだ。いや、床もだ。よく見ると、壁や床に何か黒い平べったいものが張り付いて、動いているのだ。大きい。ひと抱えほどあるフライパンを、2つ並べたくらいの大きさだ。何だ?
一番手前にいたそれがフッと動いた。こっちに向かって、滑るように走ってくる。短剣を抜くと、反射的に飛び下がった。タタンという自分の足音が、通路に響き渡る。それを合図に、平べったいやつらが一斉にこっちに向かって走り出した。
「テイラー、下がれ! ハーディー、敵だ!」
俺は叫んだ。そして、たいまつの明かりが届く範囲内に飛び込んできたやつらを、はっきりと目視した。うわっ、これ、虫だ。平べったくて、ツルツルの体をした茶色っぽい虫。細長い6本の足をものすごい速さで動かして、俺たちに迫ってくる。げえっ、グロい!
ハーディーが前に出てくる時間は、なかった。虫は俺たちのいたところまであっという間に到達して、襲いかかってきた。体によじのぼってこようとする。プンと不快な油の匂い。この階層に降りた時から漂っていたのは、こいつらの匂いか! 俺は腕を振り回して必死に虫を払い落としながら、そう思った。
「ぎゃあああああああああ〜〜!」
「うわあああああああああ〜〜!」
テイラーとエリックが叫んでいる。特にテイラーの叫び声は、死に瀕した獣のようだった。手と足を振り回して虫を追い払おうとしているが、虫は次から次へと通路の奥から沸いてくる。虫に埋め尽くされるのは、時間の問題に思われた。噛みつかれているのか、足や腕にチクッ、チクッと痛みが走る。
「うぎゃあああああああああ〜〜!!」
テイラーのひと際、大きな絶叫とともに、暗い通路に稲妻が走った。
ピカッ
光で目が眩んだと思った瞬間、鼓膜が破れた。いや、違う。破れたと思った。頭を殴られたのかと思った。ドーン!ともガーン!とも聞こえる轟音が耳をつんざき、足元が揺れる。そして同時に、全身を襲う衝撃。意思に反して体がえび反りになって、吹き飛ばされた。
な、何だぁ?!
「ぎゃああああああああ〜〜!!」
テイラーの叫び声と同時にドカーン! ドカーン!と大砲を発射したような轟音と衝撃がダンジョン内に響き渡る。めまいなのか、実際なのか、今、倒れている床がグラグラと揺れている。ミシミシパラパラと軋み音がする。顔に落ちてきているのは、天井だろうか。意識はあるのだが、全身が麻痺して動かない。
ああ、これ、テイラーがパニクって、電撃をめったやたらに発砲しているんだ。
そりゃあ、あんな気持ちの悪い、しかも巨大な虫に襲われたら、パニックを起こすよな。早く起き上がって、そばに行ってやらないと。だけど、俺自身も電撃を食らって、体が痺れて動けない。
「むおっ、うおっ」
ハーディーの声が聞こえた。そうだ。ハーディーはテイラーの電撃に耐性があるんだ。そばに行って、テイラーを落ち着かせてくれ。こんなに電撃を連発されたら、虫だけではなく、俺とエリックが感電死してしまう。俺はビクンビクンと痙攣しながら、そんなことを考えた。
と、不意に体の下の床がガラガラと音を立てて崩れた。
「うわぁ!」「はでぃ!」
テイラーとハーディーの悲鳴が聞こえる。あ、まずい! 落ちるぞ! 俺の体、動け! まずは指先だ! 俺の指先よ、動け! だが、そんな必死の思いも虚しく、俺は崩れた床に飲み込まれていった。そして、また砂。今度はさっきより、かなり長い。口の中に砂が流れ込んでくる。テイラーは、ハーディーは、エリックは無事か。
ダンジョン全体が崩れたのではないかと思うほど、周囲がガラガラと音を立てて落ちていく。石と砂にもみくちゃにされて、その流れに身を任せるしかなかった。底なしに底はあるのかな。もしかしたら、このままずっと落ち続けて、そのまま死ぬんじゃないだろうか。息苦しくなってそんなことを考え出した頃、ようやく落下は止まった。
「うえっ、ぺっ、ぺっ」
やっと体が動くようになった。口の中の砂を吐き出して、体を起こす。まだ指先や顔面がビリビリと痺れていて、感覚がない。どこかで何かが光っているのか、たいまつがないのに周囲の様子が薄ぼんやりとわかった。巨大な石室だ。少し離れたところに、テイラーとエリックが倒れていた。ハーディーは反対側に倒れている。
「大丈夫か、テイラー」
俺はヨロヨロと立ち上がると、テイラーの方に向かった。そして、初めて気がついた。なんだ、この部屋。すごく風が吹いているぞ。こんな地下なのに風? おかしくないか? 周囲を見回す。石室の中央に、細長い石の台があった。高さは俺の頭くらいまである。その上に黒いにも関わらず、キラキラと光っている球体があった。
あ、あれだ。あそこに向かって、風が流れているんだ。何だろう? 黒いのに光っているぞ? あれのおかげでたいまつがないのに、部屋の様子がわかる。それくらい明るい。不思議だ。だけど、その前に仲間を助けにいかないと。足を踏ん張ると、まずはテイラーの元へと向かった。
「テイラー、大丈夫か?」
抱き起こしてほほに触れる。温かい。死んではいないようだ。テイラー、テイラーと呼びかけてほほをペタペタと触っていると「ん、ん……」とうめき声を発して目を覚ました。
「よかった。テイラー、大丈夫か?」
テイラーは俺をチラッと見て、顔をしかめた。
「全然、大丈夫じゃない……」
よかった。大丈夫そうだ。憎まれ口を叩く元気があるのなら、心配はいらない。
エリックに目を向けた時、風が強くなっているのを感じた。何だろう。急に強まっている感じがするぞ。エリックは俺が近くへ行く前に、気がついたようだ。ゆっくりと体を起こそうとしている。
「よし、じゃあ、ハーディー……」
ハーディーを探した時には、風はもう嵐のようになっていた。びゅうびゅうと吹き荒れて、立って歩くのが難しいほどだ。足元の砂や小石が、風にあおられて動いている。それを目で追っていると、信じられない光景が目に入ってきた。
黒い球が、轟轟と音を立てて、小さな石や砂を吸い込んでいるのだ。
ヤバい。風が吹いていると思っていたが、違う。あの黒い球が、どんな仕組みかよくわからないけど、吸い込んでいるんだ。どれだけ大きなものが吸い込めるのか知らないが、このままここにいてはマズい。
「テイラー、俺から離れるな!」
「うん!」
テイラーを抱きかかえたまま、近くの壁際に這い寄った。壁の出っ張りをつかんで、体を固定する。
「エリック、こっちに来い!」
「わかってる!」
エリックは床を這いずって、俺たちのところまでやってきた。もう立っていられない。どこかにしがみついていないと、あの黒い球に吸い込まれてしまいそうだ。
「ハーディー!」
見ると、ハーディーは嵐の中で立ち上がっていた。黒い球を凝視している。1歩、2歩と近づく。やめろ、吸い込まれるぞ! 俺がそう叫ぼうとした瞬間、ハーディーの足が床から離れた。巨体が宙に浮かび、黒い球に吸い寄せられる。
「ハーディー!」
俺は絶叫した。




