ベヒーモスの警告
ベヒーモスは、魚のスープを珍しいものを見るかのように、時間をかけてゆっくりと食べた。
「クリス、これはヤバい」
エリックが顔を寄せてくる。
「何だよ」
「このお方は、ベヒーモスだ」
だから何なんだ。
「ベヒーモスって、誰だよ」
「魔族四天王のお一人だよ!」
エリックは少し声の調子を強めた。
魔族四天王というのは、人間がいうところの四大元素、つまり火、水、風、土のことだ。魔法使いには馴染みが深い。この4つが、魔法の基礎となるからだ。魔法と縁のない俺にはピンと来ない。エリックが言うには、あらゆる魔法の根源となったこの4つを司る種族がいて、彼らは魔族の中で魔王に次ぐ格式を誇るのだという。
「えっ、この人が四天王の一人?」
とてもそうには見えない。体は大きいが、みすぼらしい。美しさも、威厳も、何もない。まだエリックの方が立派な服を来ている分、身分が高く見える。
「そうだ。土のベヒーモス。パンゲアを空中にとどめている魔族の一人だ」
「ふうん」
「『ふうん』じゃない! ベヒーモスはものすごい魔族見知りで、絶対に魔族の前には姿を現さないことで有名なんだ。俺も肖像画でしか見たことがないんだから。ましてや、お前! 今、人間の前に現れているんだぞ!」
エリックはチラッと振り返ってベヒーモスを見た。ベヒーモスは相変わらず、もぐもぐと魚のスープを食べ、ハーディーが焼いた芋をほおばっている。
「ベヒーモスと一緒に食事をしたなんて、ヴァネッサに言ったら気絶するぞ? それくらいすごいことなんだ。俺たちは今、魔族界のスーパースターと食事しているんだから」
さっきから鼻をフンフンと鳴らしてものすごく興奮しているが、それならベヒーモスといろいろしゃべったらいいのではないか。俺にベヒーモスの偉大さを語っている暇があれば、超レアなレジェンドにサインでももらったら?と思うのだが。
「おっがぐぁ、がっ」
俺が話しかける前に、ハーディーがベヒーモスに話しかけた。ベヒーモスはお椀から顔を上げると「美味い」と言った。
「あんた、土の元素なのか?」
俺も続けて聞いた。隣でエリックが「あんたなんて言うな!」と肘で小突いてくる。ベヒーモスはゆっくりと俺の方を向いた。
「んん……。そうだ」
どうも言葉も含めて、全てがスローなようだ。もし暴れ出しても、走って逃げることができるだろう。
「すげぇレアキャラだって聞いたけど、なんで俺たちの前に出てきたの?」
スープを頬張りながら聞いてみる。また、隣でエリックが「レアキャラとか言うな!」と肘で小突いてきた。
「んん……。警告しに、来た」
ベヒーモスはお椀に目を落とすと、そう言った。そしてお椀に口をつけて、スープをズルズルと飲み干す。
「警告? 警告って、何を?」
身を乗り出した。何だか穏やかではない方向に、話が進みそうだ。
「んん……。お前たち、そこの、ダ、ダンジョンに、入るつもりだろう……?」
ベヒーモスは、ハーディーの背後にある、むき出しの地面を指差した。指が長い。腕がヒョロリと長く、手のひらも異様に長かった。そして、指も一本ずつが長い。人間の倍くらいあるのではないか。
「そうだ。明日、アタックするつもりだけど。でも、なぜ?」
ダンジョンに入るなと言うのだろうか。
「んん……」
ベヒーモスは地面にお椀を置くと、何やら考え込むように、自分の禿げた頭を長い指先で撫で回した。
「ダンジョンに、入るのは……お前たちの、自由だ……。求めるものは……きっと、そこにある……。だが……」
「だが?」
話し方がゆっくりで、なかなか進まない。早く続きが聞きたくて、促してしまった。
「だが……。大変……危険だ……。求めるものを手にい……手に入れて……戻ってきた者は……いない……」
求めるものって、万物の源のことだろうか。危険なのは当たり前だろう。それが冒険だからだ。命を落とす危険のあることをするからこそ冒険であって、そこで成果を上げるからこそ、高い報酬を手にすることができるのだ。
「い、命が惜しいのなら……やめておけ……。今すぐ……帰るのだ……」
ベヒーモスはそこまで話すと、ゆっくりと立ち上がった。
「ご、ごちそう……さま……。冒険者たちよ」
そう言って手を合わせるとザリッ、ザリッと音を立てて歩き始めた。立ち上がると、その背中に向かって声をかけた。
「警告、ありがとうな、ベヒーモスさんよ。でもな、俺たちは命懸けでやってるんだ。やり遂げてみせるぜ、絶対によ!」
ベヒーモスは立ち止まって、チラッと振り返った。そして軽く右手を挙げると、また森の中に戻って行った。
「いや、すごい魔力だったね」
テイラーがハーディーに言っている。ハーディーは「あはあ、はあは」と言いながら、うなずいた。
「当たり前だろ! レジェンドだぞ?! あの島を空中で浮遊させている魔族の一人なんだからな?!」
エリックは興奮して、頭上のパンゲアを指差した。今や真っ黒な影となって、俺たちの上に静かに漂っている。
「まあ、あんなこと言われたけど、俺たちに引き返す選択肢なんてないから」
俺はみんなを見回して言った。
「俺たちにじゃなくて、俺にでしょ」
テイラーが眉根を寄せて言う。ハーディーが「がっは」と言いながらうなずいた。
「いやいや、俺たちにでしょ。だって、俺はもちろん引き返さないし、ハーディーはそもそもあれを取りに行くのが役目なんだから引き返さないし、テイラーだって一人だけ引き返したりしないでしょ?」
「そりゃ、一人では引き返さないけど」
テイラーは少しむくれて、横を向いた。なんだ、ちょっと怖いのかな?
「おい、俺は仲間はずれなのかよ?」
エリックがまた俺をつついた。
「うるせえな。エリックはビビッてるんなら、とっとと帰っていいんだぞ。嫁さんのこともあるだろ?」
意識して面倒臭そうに言った。
「ひどい! 俺だって引き返さないよ!」
エリックは半泣きになって、声を上げた。いちいちオーバーな悪魔だ。
◇
翌朝、出発準備を整えると〝底なし〟へのアタックを開始した。近くの木にロープを結び、命綱にする。土の部分の真ん中に立つと思った通り、ズブズブと足元から沈み込み始めた。
「ロープを2度、引っ張ったら続いて入ってきてくれ。1度なら引き上げてくれ」
最初に入るのは俺だ。テイラーとエリックが不安そうな顔をしている。ニヤッと笑いかけると、体の力を抜いて飲み込まれて行った。
思った通り、土に包まれて息苦しかったのは一瞬で、すぐに広い空間に出た。リュックからたいまつを取り出して火をつける。周囲は緑がかった石で覆われた通路だった。結構、広い。ハーディーでも屈まずに歩けそうなくらい、高さも幅もある。ロープを2度、引っ張って仲間を呼ぶ。エリック、テイラー、ハーディーの順で次々にダンジョンへと降りてきた。
「エリック、ダンジョンを探索した経験があるか?」
緊張で顔を引きつらせているエリックに聞いた。エリックはゆっくりとこちらを向くと、ささやくような声で「ない」と言った。「ハーディーは?」と聞くと、仮面の前で手を振りながら、首を横に振る。何だよ、このパーティーでダンジョンに入ったことがあるのって、俺だけなのか? ちょっと不安になってくる。これはリーダーとして、ますます責任重大だ。エリックを先頭に俺、テイラー、ハーディーという隊列で、奥へと進んだ。
静かだ。地上の景色から、湿気が多くて生き物も多いダンジョンを想像していたが、予想を覆された。音がほとんどしない。生き物の気配もない。そして、寒い。空気が下に向かって流れている。こういう静かなダンジョンでは、集中力が途切れがちだ。「みんな、気をつけろ。突然、トラップが来る可能性がある」と声をかけた。
ダンジョンはほとんどが、誰かが何かの意図を持って作ったものだ。自然の洞窟に手を加えたものもあるが、ここは誰かが掘り進めて作ったものだろう。先ほどから通路がやけに規則的に配置されている。そして、同じところをグルグルと回っているような気がする。おかげで、時間の感覚が狂う。ダンジョン内で時間の間隔が狂うのはまずい。その理由は……話しだすと長くなるから、またの機会にしよう。
「ちょっと待ってくれ」
俺はみんなを止めた。ベルトのポーチから親指の先ほどの大きさのガラス球を取り出す。廊下を歩きながら、何カ所かでガラス玉を置いてみた。やっぱりそうだ。この通路、全く下に進んでいない。どこに置いても、ガラス球が転がらない。同じ階層をずっと歩いている。どこかに隠し階段なり、何か下層へと続く道があるはずだ。エリックに代わって先頭に立つと、床と壁を調べながら、ゆっくりと進んだ。
「何だか小便がしたくなってきた」
エリックがブツクサ言っている。下方向に流れている風が、どこからどこへ流れているのか、先ほどから神経を尖らせて調べていた。ええい、静かにしろ。気が散る。と、壁の一角に空気が吸い込まれているところを見つけた。床と壁の境目だ。這いつくばって、よく調べてみた。注意しろ。イアソンは確か、こんなシチュエーションでトラップにかかって死んだ。
「クリス、小便してきていいか?」
エリックがこちらに近づいてくる気配がする。「ストップ!」。俺は姿勢を変えないまま、大きな声を出した。
「エリック、近づくな。小便なら離れたところでやってくれ」
「へいへい」と言いながら、遠ざかっていく足音がする。ふうとひと息つくと、改めて壁の隙間を調べた。お、この石、何だか動きそうだ。トラップがないか確認して、壁の一番下にはまっている石を押し込む。ズズッと石が移動する手応えとともに、目の前の壁がゴロゴロと音を立てて開いた。のぞき込むと階段がある。
「エリック、行くぞ!」
俺はエリックを呼んだ。階段は狭かった。俺とテイラーはいい。だが、ハーディーとエリックは通れるだろうか? 少し降りてから振り返ると、ハーディーが身を縮めながらついてきている。
よし、何とかOK。
階段はしばらく降りると、行き止まりになった。砂で埋まっている。
「行き止まりじゃん」
テイラーが背後からのぞき込んでいる。これも入口と同じ仕掛けか? 砂に足を突っ込んだら、ズブズブと沈んで次の階層に行くのだろうか? 周囲には命綱を取り付ける出っ張りがない。引き返すか、生き埋めになって死ぬ覚悟で進むかの二択だ。
いやあ、引き返すなんて、ないでしょ。
俺は砂の上に踏み込んだ。やはり、砂がズズズと動いて、俺を飲み込んでいく。
「テイラー、ついて来い」
俺はテイラーに声をかけると、砂の流れに身を任せた。




