パンゲア到着
それから3日間歩いて、パンゲアを見上げるところまで来た。パンゲアはもともとあった土地が魔力で浮き上がったものなので、その下はすごく大きな窪地になっている。縁に立ってみると、内側に3つも4つも村が入りそうなくらいの広さだ。木々が生い茂って、深い森になっている。
パンゲアに近づきすぎて、もう下側しか視界に入らない。浮上した直後は土がむき出しだったと聞くが、今は草木が生えて、大小の鳥が飛んでいた。
「フライングリザードの発着場は何カ所かある。一番、近いのは、ここから少し南に行ったところだ」
エリックが窪地の向こうを指差した。
この悪魔、すっかり俺のパーティーに馴染んでしまった。ギャンブルが強くて爵位を手に入れたと言っていたので立身出世なのかと思っていたが、よく聞いてみれば、伯爵家の出身だった。育ちがいいせいか、悪魔のくせにお人好しだった。俺ならすぐに逃げ出していたと思うが「角を折った相手を裏切ることはできない。そんなことをすれば、悪魔の名誉にかかわる」と言って逃げようとしなかった。
そのくせ、毎晩のようにテイラーを誘惑するので困った。誘惑といっても、いやらしい意味ではない。
「ひどい顔だな。どうだ、取り引きしないか? 魂の半分をくれたら、美しい顔を与えてやるぞ?」
テイラーに最初にそう持ちかけた時、俺は問答無用でエリックの顔面を蹴り飛ばした。
「ひどい! いきなり何をするんだ!」
鼻血を出して地面に這いつくばって、半泣きになっている。エリックのそばに行ってしゃがみ込むと精一杯、怖い顔をした。
「てめえ、次、テイラーに同じことを言ってみろ。もう一方の角だけじゃ済まさねえ。お前のかわいい嫁さんを殺す。裸にひん剥いてからな」
エリックは目をむいて、わなわなと震えた。それから小さな声で「あ、悪魔……!」とうなった。
俺は角を折った張本人なので一切、反抗はできないらしい。だが、テイラーとハーディーはそうではない。ハーディーのことは、最初に会った時に部下を殺されて、すごく怖がっていた。そうなると絡みにいく相手は、テイラーしかいない。
「どうだ、そのモシャモシャの髪を、きれいなストレートにしたくはないか? お前の魂を……そうだな、半分でいい。半分、くれたら、ツヤツヤのストレートにしてやる」
手を変え品を変え、テイラーの魂を奪おうとする。懐からガラスのように透き通ったきれいなダイスを取り出して「勝負しよう。勝ったらただでやってやる。どうだ?」と持ちかける。その度にエリックを殴って蹴り「角をへし折るぞ」と脅した。
「クリスはひどい! リーダーのくせに、俺への当たりが強すぎる!」
山道を歩きながら、ブツブツと不平を言っている。
「当たり前だろ。仲間の魂を奪おうとするからだ。角をへし折るぞ」
背後からすごんだ。隊列は先頭がエリック、2番手が俺、3番手にテイラー、最後がハーディーだ。エリックが幸運の魔法をかけながら歩くので、パンゲアに到着するまで、全く敵対する魔族と遭遇しなかった。それどころか香草の群生や芋がザクザク採れるポイントに行き当たり、食材が大量に手に入った。
「ふた言目には『角をへし折る』って言う。すでに1本、折られた身としては、すごく堪えるんですけど」
チラチラと振り返りながら文句を言う。知ったことか。悪魔のくせに「傷ついた」とか言うな。
「クリス、その……。もう少しエリックに手加減してもいいんだぞ。守ってくれるのはうれしいが、その……殺伐としたのは、テイラーはちょっと嫌だ」
テイラーがおずおずと声をかけてきた。
「何言っているんだ、相手は悪魔だ。隙を見せればつけ込まれる」
振り返ってテイラーに言った。
エリックは愛妻家だった。毎晩、ヴァネッサと鏡を使って長電話した。そんなに大切ならば、借金のカタにしなければいいのに。長電話が終わるたびに、「お前はクズだ」と言って責めた。その度にエリックは「俺は骨の髄までギャンブラーなんだから仕方がない」と開き直った。
いや、許さん。
ヴァネッサとの電話には俺も出たが、話せば話すほど、ヴァネッサのかわいらしさに魅了された。
「ところでヴァネッサさん、もう少し鏡を傾けてほしいんだけど……」
「こうですか?」
おおっ、谷間見えたぁ!
この女、本当に悪魔なのか? それとも、もしかして俺がなんかの罠に嵌められているのか? とにかく、こんなにかわいい奥さんを敵地に残して逃げてきたエリックが、許せなかった。俺がヴァネッサの谷間を見て喜んでいるのを知って「人妻に欲情するな!」と怒っていたけど、知ったことか。こうなったのは全て自分のせいではないか。ボンボンめ、根性を叩き直してやる。
とか何とかやっている間に、パンゲアの下まで到着したというわけだ。
「いよいよ着いたなぁ」
パンゲアを見上げて、つぶやいた。感無量だ。駆け出しの頃、ポポナという辺境の街を拠点にしていて、そこから毎日のようにこの宙に浮かぶ大地を見ていた。いつか、あそこに行ってやる。『世界の歩き方』のパンゲアのページは、手垢で色が変わるくらい読み込んだ。全ての冒険者の憧れ、この大陸で最も神秘に満ちた地。目の前に、それがある。
喜びとも興奮とも、どちらともつかない熱い思いが、胸の奥から湧き上がってくる。耳を澄ませると、ピューピューと絶え間なく吹き抜ける風の中に、無数の鳥の鳴き声が聞こえた。
「クリス。ちょっと待って」
テイラーに呼び止められた。足を止める。ハーディーが「おっ、おっ」と何かテイラーに話しかけていた。
「何だって?」
俺が声をかけると、ハーディーは進行方向ではなく、窪地の方を指差した。
「万物の源は、パンゲアの上じゃないってさ」
「あー! あー! あー!」
テイラーがうっかり口にした禁句に、エリックが反応する。うるさいなあ。
「こっちだって。下にあるって」
テイラーも窪地の方を指差した。見ると、下り坂の中に木の間を縫うような細い道がある。
「でも、あれはパンゲアの上にあるって、もっぱらの噂なんだけど……」
そう言いかけて、足を止めた。いや、待てよ。ハーディーには高性能な万物の源探査装置が取り付けてあるんだ。そのハーディーが「違う」というのであれば、違うのではないか。そもそも万物の源は、魔族たちでさえ、まともに見たことがないのだ。言い伝えで〝パンゲアの上にある〟と思っているだけで、実際は違うのではないか。
「よし、わかった。じゃあ、ハーディーが先導してくれ」
ハーディーはうなずいて坂を下っていく。ハーディー、テイラー、俺、エリックという隊列に変わった。
「おいおい、ちょっと待ってくれ。あれはパンゲアのお城にあるんだぜ」
エリックは不満そうだ。パンゲアの上の真ん中にお城があり、魔族の間では、そこに万物の源は鎮座していると言われている。
「だけど、エリックはそれを見たことがないんだろ」
「いや、確かに見たことはないけど……」
見たことがないのならば、そちらにない可能性もある。ハーディーは魔術師ギルドの総帥、タイタンが総力を上げて作り出した万物の源を探すためのマシーンだ。たとえ評判の悪い魔法使いでも、人間の知恵を信頼したかった。
「俺の嫁を回収するのは……」
エリックはブツブツと不平を言っている。銀の粒が入った袋は、温泉で逃げて行った悪魔たちに持ち去られてしまった。返しに来ない。持ち逃げされたんじゃないかとツッコむと、「そりゃあ、悪魔だからな」となぜか胸を張った。あれで負け分を払うはずなのに、そもそも金がないじゃないか。それを指摘すると、エリックは「屋敷に帰れば金はあるんだが」とモゴモゴ言っていた。
「嫁さんは後だ。だって、先立つものがないだろう」
「いや、それはそうなんだけど」
俺も早くヴァネッサには会いたい。だが、それは後回しだ。万物の源を手に入れれば、おそらくタイタンがここまで回収に来る。その場で金をもらえるかもしれない。それをエリックに貸してやってもいい。そうすれば金の問題は解決する。なに、ただでは貸さない。その代わり、ヴァネッサのおっぱいを揉ませてもらう。
道中はずっと下りで、体力的には楽だった。エリックの魔法のおかげで、敵対的な魔族とも出会わない。半日ほど歩くと、窪地の底らしき場所に出た。
「へえ、こんなところに魔力が吸い込まれていっているんだな」
エリックが感心している。窪地の底は開けていて、木も草も生えていない。軟らかそうな茶色い土が、丸く顔をのぞかせていた。
「魔力が吸い込まれて行っている?」
俺はテイラーに聞いた。
「うん。あの、ほら、土がむき出しになっているところがあるでしょ? あそこに魔力が流れて行っているんだ。水が流れ込むみたいに」
「ふーん」
この窪地の底には、『世界の歩き方』によれば〝底なし〟と名付けられたダンジョンがある。入口は通常は見えず、足を踏み入れると、ズブズブと底なし沼のように引き込まれるという。おそらくあの土の部分がそうだ。俺は周囲を見回した。ロープをあそこの木に結んで、命綱にしよう。スティーブンさんたちは移動魔法で戻ってきたそうだが、俺たちにはそれがない。戻ってくるための保険をかけておかないと。
空を見上げると、日が沈みかけていた。これからアタックするのはリスクが高い。今夜はここで野営して明日、ダンジョンに入ろう。
その夜、晩飯を作っていると、誰かが近づいてくる気配があった。
「ハーディー、誰か来る」
俺は、魚のスープをかき混ぜていた手を止めた。ハーディーは芋の皮を剥くのをやめて、顔を上げる。エリックは何か詠唱を始めた。
どんどん近づいてくる。隠れて様子をうかがう気配もない。森の中を、こちらに歩いてくる。焚き火の明かりが木々の間をぼんやりと照らしていて、その姿が割と早い段階で見えた。デカい。ハーディーくらいありそうだ。肌の色が白いというか、灰色っぽい。ボロボロの腰布一枚で、寒いのにほぼ裸だった。足元も裸足だ。そいつははっきりと目視できる距離まで来て、やっと木の陰に隠れた。
何やってるんだ? 丸見えだぞ。
木の陰から、こちらをのぞいている。顔を見て、ギョッとした。目が一つしかない。テイラーのように眼帯をしているわけではなく、本当に顔の中心に瞳が一つしかないのだ。そして、鼻が長い。ダランと垂れ下がって、唇の上まで覆いかぶさっていた。魔族だ。オークの一種だろうか? だが、それにしてはだらしない体型だな。
そう、そいつは背が高い割に、だらしのない体型をしていた。腕も足も細く、下腹部はぽっこりと突き出している。乳房がないところを見ると、オスなのだろう。
「あれは、もしかして……」
エリックが小さな声で言った。もしかして、何だよ。早く続きを言え。
妙な沈黙が流れた。自分がゴクリと唾を飲み込んだ音が、やけに大きく聞こえる。焚き火のはぜる音が、森にこだましている。そいつは木陰からこっちをうかがったまま、身動きしない。思い切って、声をかけた。
「おい、腹は減ってないか? ちょうど晩飯ができたところだ」
そいつは、木陰からニョキッと顔を突き出した。
「たくさんある。一緒に食べないか?」
鍋の蓋を持ち上げて、魚のスープを見せた。モッセ川で採った魚で作った干し魚を、香草と一緒に煮たものだ。魚から脂がにじみ出して、身体に染み渡る美味さだった。出汁のいい香りが、周囲にあふれ出した。
「クリス、お前、やっぱり狂ってる」
隣でテイラーが小さな声で言った。そいつはソロッと木陰から出てくると、恐る恐る近づいてきた。エリックが場所を譲ると、少し離れたところに腰掛けた。
見れば見るほど異形だ。何なんだ、こいつ。
「俺はクリス。冒険者だ。そして、こいつらは俺の仲間たち」
手にしたスプーンでハーディー、テイラー、エリックを指し示した。そいつはゆっくりと俺たちを見回すと、俺に目を留めた。そして、だらしない体型からは想像もつかない、地中から響き渡るような声を出した。
「お、俺は。ベヒーモス」
エリックが、ヒュッと息が詰まったような悲鳴を上げた。




