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30.「最推し」

 最終回!

 推しの幸せこそが、自分の幸せ。

「……レオナール様……?」

「……エリナさん」


 僕――レオナール・ド・クレルモンは、夜の学園のバルコニーで一人泣くエリナ・クチュールのもとへと足を運んでいた。


「大丈夫か? エリナさん」


 おそらく、エリナさんが本当に励ましてほしい相手は、僕ではなくセレスティンだったのだろう。

 代わりが僕では、心もとないかもしれない。

 それでも――励ます役は、僕でなければならない。

 そうすることが、きっと彼女――セレスティンの望みだと思ったからだ。


 ――「……ですから、我慢の限界が来ただけですわ。それ以上でも、それ以下でもありません」

 あのとき、セレスティンはそう言い切った。


 口調は冷たく、迷いもないように聞こえた。

 だが――

 僕には、あの言葉の奥に、別の想いが隠されているように思えてならなかった。


「……僕も、セレスティンに振られたのかもしれないな」

 ぽつりと、そんな言葉がこぼれた。


「僕は君と同じかもしれない……大切な人に離された、という意味では」

「……レオナール様?」


 自嘲するように、乾いた笑みを浮かべる。


「……けれど、不思議と……納得している自分もいる……。あのとき、セレスティンの瞳を見て――わかってしまったんだ」


 ぐっと拳を握りしめ、わずかに間を置いてから、言葉を続ける。


「彼女が……僕と結ばれることを、望んでいないということを」

「……え?」

「それどころか……彼女は、僕に“君のもとへ行け”と、そう言っていたような気がする……」

「“気がする”……ですか?」

「ああ。言葉ではなく、態度で……そう言われた気がするんだ。

 ……まあ、何を言っているのかわからないかもしれないが」


 エリナさんは、しばらく考え込むように視線を落とし――やがて、ゆっくりと口を開いた。


「……わからなくはありません……セレスティン様は、前々からレオナール様と私に、どこか遠慮していたような……そんな気がします」

「……ああ、そこは僕も同感だ。フェラン、アレクシ、シュルには呼び捨てするのに、僕やエリナさんには、今でも“様”呼びを徹底する」

「……どうして、セレスティン様は私たちに遠慮するのでしょうか……そこがわかりません……」

(セレスティンが、僕たちに遠慮する理由……それは――)


 その疑問を思い浮かべたとき、ある()()()()()が、ふと脳裏に浮かんだ。

 そして気づけば――その言葉を、僕は口にしていた。


「「……推しだから!」」


 偶然にしては、怖ろしい。

 エリナさんと、ぴたりと声が重なったのだ。

 どうやら彼女も、僕と同じ結論にたどり着いたらしい。


 “推し”だから――。

 正直なところ、その言葉の意味を、僕は完全に理解しているわけではない。

 セレスティン自身も、そのあたりを詳しく語ろうとはしなかったからだ。

 それでも――

 それ以外に、セレスティンが僕とエリナさんに距離を置く理由が、どうしても思い浮かばなかった。


「……私、思うのです……」

 ふと、エリナさんが呟く。


「……セレスティン様には、無理をしてほしくありません。

 私に遠慮して、セレスティン様の幸せを犠牲にするくらいなら――“推し”になんて、なりたくありません」

 覚悟を決めるように、そう言い切った。


「……ああ、そこは僕も同感だ」

 そう応じながら、僕は一度言葉を選ぶ。


「……いや、僕に限っては、君とは少し違う考えかもしれない。

 僕は――自分の幸せよりも、セレスティンの幸せが一番であってほしい」

「……レオナール様?」

「もし、セレスティンが自分の幸せよりも、僕の幸せを優先しようとさせているのなら……僕は、婚約者失格だろう」


 その言葉を聞いて、エリナさんはしばらくのあいだ、じっと僕を見つめていた。


「……なんとなくですが……“推し”という言葉の使い方がわかったような気がします……」

 そう呟き、柔らかく微笑む。


「きっと、レオナール様にとってセレスティン様は――“推し”なのですね?」

「……推し……!」

 その言葉ではっとした。


「……そうか、僕はセレスティンを推しているのか……!」


 “推し”という言葉の意味は、まだ完全には理解していない。

 それでも――これほどしっくりくる言葉は、“愛”という言葉を除けば、他にないと思えた。


(そうか……推しとは愛の形の一つなのかもしれないな……!)

 不思議と、自分の中でその解釈に納得できた。


「……フフ。私たち、何をしているのでしょうね……セレスティン様に振られた者同士だというのに……気づけば、セレスティン様の話ばかりしている……」

 エリナさんの笑い声に、僕も我に返る。


(そうだった……僕は、エリナさんを励ますために来たというのに……)

「……すまない、エリナさん。僕は君のことを案じるよりも、セレスティンの話ばかりを――」

「……でも、嬉しいです」

 言葉を遮るように、エリナさんは続けた。


「……身近にいたんですね。セレスティン様の優しさや良さ、そして――“好き”を語り合える人が……」

 少しだけ照れくさそうに、言葉を選びながら。


「大変失礼なのですが……レオナール様には、正直、少し近寄りがたい印象がありました」

 それでも彼女は、夜の中でもまるで太陽のように明るく微笑み――


「でも、今なら……これからもレオナール様と、もっと語り合いたいです。セレスティン様の魅力について!」


 その言葉に、僕もどこか救われた気がした。


「……フッ、君も十分、セレスティンを“推し”ているじゃないか……」


 僕自身も、エリナさんとどう接すればいいのか、ずっと悩んでいた。

 学園生活が始まってから、誰よりもセレスティンのそばにいた人。

 婚約者としての余裕を装い、表向きは“友人”という立場を尊重してきたが――

 正直に言えば、いつも彼女の隣にいるエリナさんに、複雑な想いを抱いていた。

 けれど――今は違う。

 セレスティンのそばにいた彼女だからこそ、僕には見えなかったセレスティンの魅力を知っているかもしれない。

 もっと話がしたい。

 彼女からセレスティンの話を聞きたい。

 そして、僕の知るセレスティンも、伝えたい。

 僕はようやく、本当の意味で――エリナさんと心を通わせられた気がした。


「……エリナさん……聞いてくれるか?」


 だからこそ……弟にも言えなかったある思いを理解者エリナさんに打ち明けたい。

 前々からずっとやろうとしていたことを。


「……どうしましたレオナール様?」

 首をかしげ、静かに待つエリナさんに向かって――


「レオナールでいい。呼び捨てで構わない……僕たちは、同じ“推し”を持つ仲間だろう?」


 そう前置きして――僕は、ついに口を開いた。

 僕が前からやろうとしていたことを。


 ***


「……はぁ……やっぱり“最推し”カプは素晴らしいですわね……」


 学園のバルコニーで――

 エリナ様とレオナール様が、二人きりで夜景を眺めているその姿を、私は少し離れた場所から、うっとりと見守っていました。

 あの光景を忘れるはずがありません。

 あれは、エリナ様×レオナール様エンドを迎える条件を満たしたときに発生する――いわば、決定的なイベント。

 つまり――


(私の宿願が、叶うときが来たのですわ……!)

(前世の記憶を取り戻してからこの七年間……ずっとこの結末エンディングを目指して頑張ってきたんですもの……)

(ようやく……ようやくここまでたどり着きました……いいえ)


 そこまで考えて、ふと――ある“肝心なこと”を思い出しました。


(いいえ、まだです。最後に私の一仕事がありました……それは、ずばり――私、セレスティンの“破滅エンド”!)

 正史ゲームでは、この後の展開で――この場にいる二人を、セレスティンが目撃する。

 そして、感情を抑えきれずに逆上し――二人のもとへと踏み込むのです。

 その場で、レオナール様ははっきりと告げる。

 “本当に愛しているのは、エリナ様だと”。

 そして――

 “セレスティンは、レオナール様から婚約を破棄される”。

 そのあとは、断罪イベントとして、これまでエリナ様にしてきた悪行が暴かれ、オート家からも見放され、国外追放。

 そして、エリナ様とレオナール様は晴れて結ばれてハッピーエンド。


(……フッ、最推しエンドを迎えるためなら、破滅エンドごとき、喜んで引き受けてあげますわ……)

(もとより、私の優先順位は、エリナ様×レオナール様の公式カプ化>私の破滅エンド回避……これは絶対に外せませんのですから……)


 そう決めて、二人のもとへ歩み出そうとしました。

 ――けれど。


(……?)

 一歩目は踏み出せたのに、二歩目が出ない。

 進もうとしているのに、体がそれを拒んでいる――そんな感覚でした。


(……な、何を躊躇っているの!? もう、このルートに行くって決めたじゃない!)

 覚悟を決めたはず。

 破滅エンドへの恐怖――それはもちろんあります。

 けれど――それ以上に。


(……ああ、そういうことですの……)

 脳裏に浮かぶのは、エリナ様、レオナール様、フェラン、アレクシ、シュル――この学園で過ごした日々の記憶。


(……そうね。たった一年、されど一年……私は、この学園で思い出を作り過ぎてしまった……)

(この幸せな生活を、手放したくないと思ってしまうほどに……)


 婚約破棄と断罪を経れば、私はこの学園を去っていく。

 それは――もう二度と、みんなと会えなくなるということ。


(ああ……私は、自分で自分の思い出(幸せ)を壊そうとしているんだ……)


 その事実を、ようやく理解しました。

 気づけば、涙がぽろぽろと零れ落ちて足元を濡らしていました。


(……嫌よ……本当は嫌よ……私だって、こんなルートに進みたくなんて……)

(もし、最初から悪役令嬢セレスティン・オートとしての役を演じ切れていたなら……みんなと仲良くなりさえしなければ……こんな想い、抱かずに済んだのに……)


 何かの間違いで――私は、正史ゲームとは違う道を歩んでしまった。

 けれどそのおかげで、推しであるエリナ様のそばにいられた。

 けれどそのおかげで、推しであるレオナール様から想いを向けられて。

 けれどそのおかげで、かつては疎ましく思っていたフェランやアレクシ、シュルの魅力を知ることができた。

 ええ。私は心の底から思う。

 みんなと仲良くなれてよかったと。

 正史ゲームと違うこの展開まで歩めてよかったと。


(……でも、これ以上は我儘できない)

(エリナ様を苦しめた分、罪滅ぼしとして――私は、エリナ様の幸せを実現させないといけないの!)


 私はゆっくりと深呼吸をし、二歩目を踏み出しました。

 二歩目さえ踏み出してしまえば――その先は、もう迷いませんでした。

 三歩、四歩と、静かに距離を詰めていく。

 やがて二人の前に立ち、私は扇をパタンと鳴らし、顎を上げ――悪役令嬢らしく声を張り上げました。


「レオナール様、エリナ様……そこで何をしているの!?」

「……セレスティン様!?」

「……セレスティン?」

 二人が振り返り、私の存在に気づきます。


「――ずいぶんと、お二人とも楽しそうですわね……」


 その瞬間、レオナール様とエリナ様が、何かを確認するようにアイコンタクトを交わしました。

 来ますわ――正史ゲームでも屈指の名シーン。

 レオナール様がとうとうエリナ様への愛と、私への婚約破棄を告げる場面です。


(さあ、レオナール様、私に引導を渡してください……)


 やがて、レオナール様は私をまっすぐ見つめ――口を開きました。


「セレスティン……僕は、自分の気持ちに噓はつけない……」

(そうそうこの台詞……正史ゲームでも言っていました。順調に回収できていますわね!)

「どうしても……君に言わなければならない……僕は……僕は……」


 そして一呼吸おいて――


「――セレスティン! 今夜限りをもって、君との婚約を破棄する!!」


 力強く響く宣言。

 まさに名シーンそのもの。

 ですが――


(……あれ?)

 ですが、胸の奥に、微かな違和感が残りました。


 正史ゲームでは、先にエリナ様への愛を語ったあと、私の悪行を暴き、そして婚約破棄へと至るはず。


(……まあ、いいでしょう。順番が異なっていても、結果さえ同じなら……)

 そう自分に言い聞かせた、そのとき。


「……そして、一から君にアプローチしたい。婚約者という決められた関係から枷を外して――一人の男として、君と向き合うために」

「……え?」

「前々から、ずっとそうしたいと思っていた。婚約者だからではなく――君自身の気持ちで、僕を選んでほしいから」

「……へっ?」

「もし、僕以外の誰かを好きになったとしても……遠慮はいらない。君は――自由なんだ」

「……ええ!?」


 レオナール様は一体何をおっしゃているのでしょう。

 理解が、追いつきません。

 まるで――台本通りに進むはずの舞台で、突然アドリブを投げられた役者のような気分です。


「だって……ここは、私が破滅エンドで……レオナール様はエリナ様を好きになって……二人は結ばれて……あっ、」

 うっかりと口に出してしまいました。


「……セレスティン様!」

 エリナ様の声が、静かに響きます。


「……私とレオナール“さん”のために、無理はなさらないでください」

「私も……レオナールさんも、あなたが――セレスティン様が推しなのですから……!」

「……エリナ様」

 そう言って、エリナ様は右手の白い指輪を、そっと掲げました。


 推し。

 何度も口にしてきた言葉。

 けれど――自分から言うことはあっても、誰かに向けられたことなど、一度もなかった。


(私が……推される側……?)

 初めての感覚に、言葉を失うのでした。


 そのとき――


「はぁ……茶番は終わりか義姉ねぇさん……」

「……フッ、エリナと喧嘩したと聞いて来てみれば……また一人で突っ走っていたのか、セレスティン」

「……でも、どうやらそれも終わりのようだね」

 背後から、聞き慣れた声。


「……フェラン、アレクシ、シュル……!」

 振り返ると――そこには、お馴染みの面々。


 正史ゲームでは、この場に現れることのないはずの彼らが――今、確かにここにいる。


義姉ねぇさんさぁ……全部一人で背負って、勝手に終わらせようとするの、いい加減やめろよ」

 フェランが呆れたように言い放つ。


「こればかりは弟の言う通りだ。君が、理由もなくエリナさんを傷つけるような人間でないことくらい……皆、わかっている」

 レオナール様が、静かに続けました。


「……セレスティン様。本気で私と縁を切るおつもりでしたら……せめて、ペアリングくらい外していただかないと」

 エリナ様が、やれやれといった様子で――私の指を指差します。


「……あっ」

 その言葉ではっとしました。

 黒い指輪。

 ずっと身に着けたままだった、自分の詰めの甘さに――思わず苦笑がこぼれました。


「……まったく。本当に人生とは、思い通りにはいかないものだな……セレスティン」

 隣に立ったアレクシが、どこか優しくそう言ってくれる。


(……どうやら、今回も、“エリナ様×レオナール様の公式カプ化作戦”は失敗……)

(そして――私の破滅エンドも、ついでに回避された……ということですわね)

 静かに、そう結論づける。


 落胆――?

 いいえ、そんなものはありません。

 むしろ――


(ここで、思い通りにいかなかったことを残念だと思うようなら……私は、“推し活”失格ですわ)

(……まだ、最推しが成立していないということは――これからも、推し活を続けられるということですもの!)

 私は、次の“推しカプ成立”に向けて、静かに闘志を燃やしていました。


「……セレスティン」

 ふと、隣からシュルが声をかけてきました。


「色々あったけど……誰も悲しまない結末になってよかったね」

 軽く微笑みながら、そう告げるシュル。


「……ええ。本当に――そうですわね」

 私も、自然と笑みを返していました。


 正史ゲームでは、この一年で学園生活は幕を閉じる。

 つまり、ここから先の学園生活は私も知らない未知の領域(ルート)ということになる。

 ――いいえ。


(もう、“正史ゲーム”なんてくだらない呼び方はやめましょう)


 たとえ、この世界が乙女ゲーム『ププライ』の舞台だったとしても。

 私が歩んでいるこの学園生活は――紛れもなく、“現実リアル”なのだから。

 私は一歩前へ出て、まっすぐ皆を見つめました。


「エリナ様……この度は、申し訳ございませんでした」


 そして――


「もし許していただけるのでしたら……エリナ様、レオナール様、フェラン、アレクシ、シュル……これからも、どうかよろしくお願いいたします」

 深く、頭を下げる。


 私が知る物語ストーリーはこれで終わりました。

 けれど、それは同時に。

 私の知らない物語ストーリーが、ここから始まるということ。

 エリナ様、レオナール様、フェラン、アレクシ、シュル――

 大切な皆とともに。

 私たちの学園生活は、これからも続いていくのですわ。


 これにて

『乙女ゲームの悪役令嬢に転生しましたが、公式カプ(ヒロイン×王子)を全力で推しますわ! ~と推し活していたら、いつの間にかメインヒロインや攻略対象たちから愛されルートに入ってしまいました~』

 は一旦完結となります!

 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!!


 昨年12月から連載を開始し、本日3月末まで、なんと、約4か月にわたる執筆となりました。

 最終回の初期構想では、セレスティンの望みどおり、エリナ様×レオナール様の成立も考えておりましたが、キャラクターたちが動き出し(というかレオナールがセレスティン以外の他の誰かに惚れるイメージがどうしても浮かばず……)、

 物語は今回のような形へと辿り着きました。


 今後はしばらく、短編の執筆や、別作品である

『悪役令嬢だと罵られ、婚約破棄されましたが、喜んで研究ライフ満喫しますわ~ 癒しの錬金術師は薬草と魔法に囲まれた幸福な辺境暮らしを望む~』

 のアフターストーリーに取り組む予定です。


 では、またいつの日かお会いできるのを楽しみにしております。


【最後に朝月夜からのお願い】

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