触らぬ神に祟りなし
「私は全然だったけどさぁ、佐倉さんは悠里ちゃんの正体に薄々気付いてたんじゃない?」
黒木さん達と別れた後、河野さんにそう言われて、私は言葉に詰まる。
はっきり確信していたわけじゃないけれど、もしかしたらという予感はあったから。
「・・・どうしてそう思うの?」
「悠里ちゃんに対して深入りしないよう距離を保ってる感じがしたから」
「初対面だし、普通じゃない?」
「ん〜、そうだけど。基本的に佐倉さんって困った子を放って置けないじゃん。前の学校でもさ、不登校の子の家に定期的に訪問して心のケアをしたり、親身に子供に寄り添ってきたでしょ?」
河野さんにそう言われて、ビックリする。何故なら彼女と会うのは年に数回程度で、仕事の様子を見た事などないからだ。それを指摘すると、河野さんは顔を顰めた。
「だって前の学校では時間外の仕事し過ぎで体壊してたじゃん。夜の8時過ぎに父兄から『なんで学校にいないんですか?』なんて変なクレーム電話入れられたって愚痴聞いた時、どんだけブラックな職場なんだって思ったよ。春に仕立てたスーツが、秋にはブカブカになるくらい痩せて、それでも生徒の為に奔走してたでしょう?私には到底真似できないって思ってたもん」
(あ〜、そんな事もあったなぁ)
久しぶりに以前の職場を思い出して、思わず遠い目になる。
あの頃は精神的にもすごく辛くて、遊びにきた河野さんに愚痴りまくったっけ。
「まあ得体が知れなくて、ちょっと警戒してた部分はあるかも。最初、河野さんが連れてきた時は幽霊かと思ったし。河野さんこそ、黒木さんの正体がわかった後も全く態度が変わらなかったね。驚かなかったの?」
「そりゃ驚いたよ。でも私、女優ですから。ポーカーフェイスぐらいできましてよ」
「誰が女優だ?誰が!?」
ひとしきり笑った後、河野さんは真面目な顔をした。
「冗談はさておき。知ってると思うけど、私って結構小心者なのよ」
「いや、知らんけど。気のせいじゃない?」
「いやいや、マジで今、結構びびってるの。悠里ちゃんを保護したのは100%善意だったんだけどさ、神様からしたらNGな行動してたかもしれないし」
「NG行動?何かしたの?」
「出会った時にスポーツドリンク飲ませた」
「全然悪くないと思うけど、何でそう思うの?」
「よもつへぐいってあるじゃん。あの世の物を食べると、この世に戻れなくなるってやつ」
「古事記のイザナギとイザナミの神話?」
「そう、それ。スポーツドリンク飲ませた後で、悠里ちゃんの存在感が増したんだよね。あの時は脱水症状を免れて生気が戻ったと思ったけど、もしかしたら、あれがこっちの世界に留まる原因になったかも」
神様の世界は恐らく高次元だから、こちらの世界での飲食はNGかもしれない、と河野さんは考えているらしい。
「う〜ん、でもお供物とかするから、こちらの食べ物が悪いとは思わないけど」
「まあね。ただ悠里ちゃん、修行中って言ってたじゃん。向こうの世界に完全に馴染んだわけじゃない、不安定な状態だと思うのよ」
「・・・成程、それで?」
「神様の怒りが盗伐犯に向いてる間、悠里ちゃんは結界の外に弾かれた。後から気づいて迎えに来たら、既にこっちの世界と縁が深くなっていた、って状況だった時、神様からしたら『余計な事を!』ってならない?」
その発想はなかった。
「よくそんな事思い付くね」
「色んなジャンルの漫画を読み漁ってるからね。妄想とか考察とかは鍛えられるよ」
と、なぜかドヤ顔でピースサインをする河野さん。別に褒めてませんよ。
「それで?」
「祟りが怖いから、ご機嫌取りの為にお供物を買いたいです。隣の県に連れてって下さい」
「今から?温泉はいいの?」
昨日温泉に行き損ねたから、神楽を観終わったら行く予定だったのに。
「うん。それは次の機会でいい。今回の1番の目的は花火だからね」
「河野さんがそれで良いなら」
私達は急遽予定を変え、隣県へと買い出しに出かけた。
車を運転しながら、昨日からの行動を振り返ってみる。
(黒木さんに対して親切にしたつもりだけど、何が神様の気に触るか分からないしなぁ)
黒木さんは良い子だし、彼女自身になんら非はないのだけれど。
(触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったもんだわ)
***
「御神酒と果物と・・・後何が必要かな?」
「ちょっと待って調べる。え〜っと、神棚に備えるのは米・水・塩・・・」
それぞれの容器も必要かな、と思っていたけど、河野さんの答えは違った。
「それなら塩むすびで良さそうだね」
「何故そうなる?」
「え?だって3つの材料で作られてるし、調理の手間なく食べらるじゃん」
大丈夫かな?と調べたら、おにぎりは神様との繋がりを結ぶ神聖な食べ物らしい。
「じゃあ、帰ったらご飯炊いて2人でおにぎり作ろうか」
「うん。ついでに私達の分も作って夕飯にしない?」
「いいね。折角だし、おかずも買って帰る?」
「賛成!お惣菜パーティーしよう」
あれがいい、これがいいと、2人で相談しながら惣菜を選ぶのは楽しかった。
お祭りと気が置けない友人との会話。
ちょっとした非日常はリフレッシュとストレス解消になる。
ようやく私は、自分が緊張していたことに気づいた。
(黒木さんの存在は非日常的すぎたのよね)
実際のところ、彼女は村の犠牲となった被害者だ。
自分の意思とは関係なく、成り行きで神様の花嫁になってしまった。
向こう側は、文字通り次元が違う。何もかも、時間の流れ方すらこちらと違うのだ。
15歳の少女が何の心構えもなく家族の元に帰れず、どれだけ不安だったろう。
今は幸せだと笑っていたけれど、そう思えるまでに何年要しただろうか?
黒木さんのご家族にも同情する。
長い間、生死も分からぬまま行方不明で、どれだけ心を痛めたことか。
きっと失われた時間の分、一緒に過ごしたいと思っているはず。
そう思うけれど、帰る場所は向こう側だと黒木さん本人が宣言した。
つまり、彼女は既にただの人間ではないのだ。
多分私は薄々それを感じて、本能的に距離をとっていたんだと思う。
(君子危うきに近寄らず。今回は河野さんのせいで巻き込まれちゃったけどね)
河野さんは自分の事を小心者だなんて言っていたけれど。
黒木さんの正体を知って尚、彼女に対して変わらぬ態度で接し、こうして最後まで付き合うんだから、なかなか肝が据わっていると思う。
***
村に帰ると花火の見物客はさらに増えており、道は人や車でごった返していた。
花火を観るために、この人混みの中を歩くのは辛すぎる。
「流石に疲れたね。花火見るの、そこの川からで良くない?」
「賛成。その方がゆっくり見れるもんね」
河野さんが快く了承してくれたので、お米を仕掛け、時間までちょっと仮眠をとることにした。目が覚めたのは、辺りが薄暗くなってから。
黒木さんの帰る時間が刻一刻と迫っている。
河野さんと2人で心を込めて三角形の塩むすびを作り、早めの夕飯をとる。
焼き鳥、春巻き、カニクリームコロッケ、ポテトサラダ、サーモンと野菜のマリネ。
一人暮らしだとこんなに色んな種類の惣菜を食べれないから、なかなか楽しい時間だった。
夕飯を済ませ、私が片付けている間、河野さんはお供えの準備と帰り支度を始めた。
元々、花火を見終わったら帰る予定だったけれど、やはり寂しい。
全ての用意を済ませた頃には、すっかり日が落ちて辺りは暗くなっていた。
「そろそろだね」
懐中電灯と冷えた麦茶を持って河原へと移動する。
穴場中の穴場なので、私たちの他には誰もいない。
レジャーシートを敷いて寝っ転がる。
しばらくすると空いっぱいに花火が広がり、どぉぉぉぉん!という轟音が響き渡った。
「うわぁ、凄い!大迫力!お腹に響く〜」
花火が打ち上がる度、河野さんはきゃっきゃと嬉しそうにはしゃぐ。
視覚芸術が好きな河野さんにとって、花火は心の栄養なのだそうだ。
聴覚芸術が好きな私には、その感覚がちょっと分からない。
勿論、花火はとても綺麗だと思うけど、ピアノの旋律の方がずっと心に刺さる。
夜空のキャンパスに描かれる大輪の花は、咲いたと思ったら瞬く間に消えてしまう。
その儚さに、寂しさやもの悲しさを感じるのは、私だけだろうか?
ふと、黒木さんの顔が思い浮かんだ。
(黒木さん達は、どんな思いでこの花火を見てるのかな)
どおぉぉぉん! どおぉぉぉん! どおぉぉぉん!
フィナーレのスターマインが夜空を黄金色に染め上げ、破裂音が山びことなって響き渡る。
光と音の洪水に、思わず息を呑む。誰しも感動せずにいられない、美しくも鮮烈な光景。
なのになぜか、向こう側へ帰っていく黒木さんを送る為の派手な演出のように感じた。




