掌中之珠
清海君が御神屋から捌けると、すぐに別の演目が始まった。
神楽面をつけ、豪華な衣装に身を包んだ舞手が、古くから伝わる神々の物語を演じる様子を、黒木さんは瞬きもせずに見つめている。
「黒木さん?」
思わず声をかけると、彼女は静かに視線を寄越した。
「っ!」
私は思わず息を呑んだ。
その眼差しを表現する言葉を、私は知らない。
不安そうに泣いたり、美味しい物を食べて目を輝かせたり。
つい先程まで、黒木さんには年相応の少女らしさがあった。
だけど今、明らかに彼女の纏う空気が変わっている。
(この子、誰?)
私が彼女の変化に気づいた事を悟ったのだろう、黒木さんは小さく頷いた。
「佐倉先生、私、思い出しました」
「何を?」
「全部です。今まで私が過ごした場所と、その帰り方も」
「えっ!!」
(今まで過ごした場所って事は、タイムスリップじゃないって事!?)
慌てて片手で口を塞いだけれど遅かった。
「どうしたの?いきなり大声出して」
河野さんが不思議そうに聞いてきたけど、動揺してうまく言葉にならない。
タイムスリップだって、家族の再会を見るまでは、半信半疑だったのに。
黒木さんの身には、さらなる超常現象が起こっているようだ。
「この演目が終わったら、移動しましょう」
黒木さんにそう言われて、頷くのが精一杯だった。
「他も見て回ろうか」
舞が終わり、観客席から拍手が沸き起こったタイミングで黒木さんと私が立ち上がると、河野さんと陽菜さんもそれに倣った。
「お婆ちゃん、立てる?私の手を掴んでいいよ」
「うん、ありがとう。よいしょっ・・・千代さん、会えてよかったわ。元気でね」
「燈子さんもね」
「それじゃあ、私達も失礼します」
目頭を押さえながら見送ってくれた千夜さんに、軽く会釈してその場を後にする。
黒木さんはスッと背筋を伸ばし、ゆっくり前を歩いていく。人が多いのにも関わらず、彼女の前には一筋の道ができており、それはとても不思議な光景だった。
河野さんも黒木さんの変化に気づいたようで、目で私に問いかけてきた。
私が頷くと、河野さんは神妙な顔をして黒木さんの背中を追った。
よく考えたら、私達はついていく必要なかったけれど。
でも、彼女に何が起こったのか、知りたかった。河野さんも同じ気持ちだと思う。
何処に向かうのかと思えば、黒木さんは真っ直ぐに運営のテントにやってきた。
「すみません、少し休ませてもらっていいですか?」
黒木さんはハキハキした声で、スタッフに声をかけた。
「ちょっと待っててくださ・・あれ?佐倉先生」
「こんにちは。お疲れ様です」
やってきたスタッフの齊藤さんは、教え子のお父さんだ。祭り会場にくれば、誰かしら顔見知りに会うのは分かってた。
「佐倉先生のお知り合いですか?」
「ええ。神楽と花火を一緒に観ようと思って誘ったんです」
実際に誘ったのは河野さん1人だけど。
黒木さんは陽菜さんと一緒にお母さんを支えながら言った。
「見ての通り足が不自由なので、少しの間、座らせて欲しいんです」
「どうぞ、どうぞ」
齊藤さんはパイプ椅子を近くまで持って来てくれた。
「ありがとうございます。迎えが来たら、すぐにどきますので」
「遠慮せず、ゆっくり休んでください。幸い、怪我人も急病人も出てないから」
齊藤さんはそう言うと、隣のテントに行った。気を利かせてくれたのだろう。
私達も空いている席に座ったけれど、黒木さんは椅子に座らず、お母さんの前にしゃがんで手を握った。
「お母さん、あのね、私、これまで何処でどうしていたか、思い出したの」
「悠里?」
「私ね、神様のお嫁さんになったの。だからお母さん達と一緒に暮らせない。向こうに帰らなきゃ」
陽菜さんがギョッとした顔をして黒木さんを見た。
「40年前、花嫁役で社に入った私の前に、光に包まれた神様が顕現されたの。手を差し出されて、何もわからないまま、私はその手を取った。それで向こう側に行ったの」
「・・・悠、里」
声を詰まらせるお母さんに、黒木さんは柔らかく微笑む。
「神様が選んだのは弟の夏生で、私は身代わりの花嫁だって打ち明けたけど、神様は許してくれたよ。むしろ、漸く嫁を迎えることが出来たって喜んで、大切にしてもらってる。温泉が湧いたのも、向こうで祝言を挙げた時、神様達がご利益を大盤振る舞いしたからだよ。
私は神様が何百年と待ち続け、漸く手に入れた可愛い花嫁だから、すごく大事にされてる。だからもう、自分を責めないで」
お母さんの目からとめどなく涙が溢れる。
「お婆ちゃん」
陽菜さんが差し出したハンカチにお母さんが顔を埋めると、黒木さんは静かに立ち上がった。
「質問いい?向こう側っていうのは神様の住む世界って事?だから時間の流れが違うの?」
河野さんの問いに、黒木さんは頷いた。
「はい。その通りです」
「そっかぁ。じゃあ、昨日記憶を失って山道を歩いてたのは、事故か何か?」
黒木さんは神妙な顔をして頷いた。
「昨日、盗伐目的で山に入った不届者が、神域の木を切り倒して土地を荒らしました。それで結界が壊れてしまい、まだ半分生身の私は弾き出されたんです。そのショックで、向こう側で過ごした記憶も、一時的に忘れたんでしょう。
でも神様の守護のおかげで、すぐに桃香さんに見つけてもらったし、こうして家族にも会えました」
黒木さんは私と河野さんに向き合うと、深々とお辞儀をした。
「改めてお礼を言います。助けてくださって、ありがとうございました。
神様は今、山を荒らされた事でお怒りですが、丁度お祭りで村人の信仰心が高まってる事と、私を助けてくれた事で、祟るのは盗伐犯だけにしたみたいです」
(祟り!?なんて事。知らないうちに、見ず知らずの大馬鹿野郎のせいで、連帯責任取らされるところだったなんて・・・。良かった。黒木さんに親切にして、本当に良かった)
ホッと胸を撫で下ろしている横で、河野さんがまた小さく手を挙げた。
「祟られた盗伐犯は、どうなるの?」
「今は、飢えと乾きに苦しみながら、山を彷徨ってますね。今夜辺り、猪に体当たりされて大怪我するんじゃないかしら?発見された時は瀕死状態ですね。何とか一命を取り留めますが、下半身付随となり、誰にも同情されず、あの時死んだ方がマシだったと思いながら、惨めったらしく人生を終えるでしょう」
何の感情もなく、淡々と話す黒木さんが怖い。
「聞いてて何だけど、ここまで具体的な答えが返ってくるとは思わなかったわ」
「盗伐って神様達も問題視されてるんですよ。山は向こう側の世界とも繋がってますから。でも例え捕まっても、こちらの罰って軽いのでしょう?」
「ちょっと待って、調べてみる」
河野さんはスマホを操作した。
「うん。3年から5年の懲役、または50万以下の罰金だって。被害とか環境の影響を考えたら、すごく軽いね」
「ですよね。特に今回は神域を荒らしたんですから、知らなかったじゃ済まされません。簡単に死なせてやるものですか。愚かな行為の末路がどんなものか、見せしめになってもらいましょう」
怖い、怖い、怖い。
黒木さんは勿論だけど、彼女と普通に喋ってる河野さんの太すぎる神経も怖すぎる。
「悠里ちゃんも結構怒ってるね?」
「ええ。私は生まれ育ったこの村が大好きです。この地にいる獣も木も大切な宝物です」
黒木さんは祈るように、両手を重ねて胸に当てた。
それを見た瞬間、不思議と怖さが半減した。
何だかその手の平の暖かさに包まれた気がしたから。