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Chap.13

 街らしい風景が続いたのはほんの少しの間だけで、バスはすぐに緑に縁取られた広々とした道を豪快な騒音と振動と共に走り出した。

 五つ目くらいのバス停と聞いて、結構近くだと思っていたのは大間違いだったらしい。信号がないので、これは高速道路のようなものなのだろうか。スピードも随分出ていて、窓から入ってくる風がびゅんびゅん顔をなぶる。小さい頃は、こういう時、風の当たり具合によって息ができなくなる瞬間があり、ドキッとすると同時にちょっとワクワクもした。

 唸るような排気音と窓から入ってくる風の音の中、隣の結花が耳に口を寄せてくる。

「随分遠いみたいね」

 頷いて、今度はこっちが耳に口を寄せる。

「郊外っていうより田舎みたい」

 結花がうんうんと頷く。

 一度、車でではなく電車で田舎のおじいちゃんの家に遊びに行ったことがあった。あの時も、駅から乗ったバスの停留所と停留所の間が随分離れていて驚いたけれど、これはもっとすごい。

 そのうちバスは少しスピードを落とし、少し細い道に入った。

 ぽつりぽつりと家や小さな店のようなものがある道が続いている。果樹園のようなものがあったり、葡萄棚のようなものがあったり、もちろん畑もある。

 突然車内でキンコンとチャイムのような音が鳴った。誰かが降車ボタンを押したらしい。

 しばらくして、バスは、いかにも村のバス乗り場といった感じの、蓋のない直方体の白い箱を横にしたような建物の前で止まった。赤い頬のおばさんが、運転手さんと大きな声で挨拶し合って降りていく。

 その後もそんな具合でバスはどんどん進んでいった。要するに、P市郊外の村々を順に廻るバスなのだ。のどかな田舎の風景が続く。

 なんだか、アルバー村に似ている。

 そう思ったら、由の胸の奥がぎゅっとなった。

 ジャンがいたって不思議じゃないような気がした。

 四つ目の村に止まった後、バスを走らせ出す前に、運転手さんがこちらを振り向いてエンジン音に負けない大きな声で何か言った。ロバートも大きな声で、

「ありがとうございます」

 と返して微笑む。

「次だそうだよ」

 みんなに言ってから、由と目を合わせて小さく頷く。由も頷き返した。喉がこくりと鳴った。


 運転手さんにお礼とさよならを言ってバスを降りたところは、小さな白塗りのグロサリーストア——食料雑貨品店——の前だった。パン屋さんでもあるらしく、レジのところにはカゴに入れた何種類かのパンが並べてあり、その下のガラスケースの中には大きなチーズの塊がいくつかあった。お店のご主人は多分パン職人でもあるのだろう。シェフのような白い服と帽子をかぶっていて、レジのところからこちらを珍しそうに見ている。

「道を聞いてくるよ」

 ロバートが言って、店の中に入っていった。

 時折雲が切れて薄日が差すけれど、七月の終わりにしては暑くない。ジージージキジキと多分蝉であろう虫がたくさん鳴いている。

「なんだか、アルバー村にちょっと似てるね」

 ダンが言って、懐かしそうな目をして辺りを見回す。

「僕もそう思ってました」

 由が言うと、結花と雅代もうんうんと頷く。

 そこへ、ロバートがお店のご主人と一緒に出てきた。挨拶を交わす。ご主人は何やら言いながら、あっちへ行って、こっちへ曲がって…と指であちらこちらを示し、ロバートがありがとうございますと言い、みんなもお礼を言って、ロバートを先頭にそこを離れた。

 「近道を教えてくれたよ。すぐそこだって」

 本当にこんなところを通っていいんだろうか、人の家の庭の中なんじゃないか、と思うような——もちろん舗装などされていない——細い道を、伸び放題のバラの棘に引っかからないよう気をつけながら通り、助走をつければなんとか飛び越せそうな小川の上にかかっている石造りの小さな橋を渡り、ほっそりした木々がさらさらと葉を揺らす小道を辿っていくと、また舗装してある道に出た。少し先に家がある。

「あそこだと思うよ」

 ロバートの言葉に、由は大きなため息をつきたいような重苦しい気持ちになって、ふと昔のことを思い出した。

 小さい頃、スイミングスクールに行きたくなくて行きたくなくて、でもついに支度をしなければいけない時間になってしまって、お母さんに「ほら、早くしなさい。支度しないと間に合わないわよ」と言われた時。あれと同じ気持ちだ。

 どうして今こんな気持ちになるんだろう。

 僕は…本当はジャンには会えないと思ってるんだろうか。

 いや、きっと会える。

 由は心の中で歯を食いしばってそう宣言した。

 きっと会える。

 

 門のない家だった。砂利の敷いてある広い前庭に、ロバートを先頭にみんなでザックザックと入っていく。遠慮しいしい歩いても、五人ではどうしても大きな音になってしまう。脇には花壇があって、どちらかというと雑草に見えなくもないような白や黄色や水色の花たちが、楽しそうに咲いていた。

 白塗りにグレイの屋根の家。広いポーチがあって長椅子やローテーブルが置いてある。近づいていくと、ドアが開いて、怪訝そうな顔に儀礼的な微笑を浮かべた四十代くらいの女性が出てきた。肩につかないくらいのダークブラウンの髪。茶色の目。薄いブルーの半袖シャツにベージュのハーフパンツ。素足に茶色のサンダル。

「何かご用?」

 ロバートの背後で、ダンが由たちに小声で通訳してくれる。

「はい。ジャンに会えるでしょうか」

 ロバートはシンプルにこれだけ言った。女の人はますます怪訝な顔をした。

「あの子に何のご用ですか?」

 由は雷に打たれたようになった。息が止まった。

 ロバートもそうだったらしい。一拍の間が空いた。

「…ジャンから、手紙をもらったんです」

「手紙?」

 ロバートがリュックのポケットからジャンの手紙を取り出し、封筒から便箋を抜き出している間に、女の人はまだ少し警戒しているような面持ちでポーチから続くスロープを降り、こちらへやってきた。一同と、少しぎこちなくBonjourの挨拶を交わす。由と結花を見て、少し表情が柔らかくなったようだ。

「これです」

 ロバートが女の人に便箋を渡す。

「『あの石を送ってください』…?一体何のことですか?」

「私にもよくわからないので、それでジャンと直接話せるかと思って伺ったのです」

「…確かにうちの住所だわ」

 便箋の裏を見て、女の人がつぶやいた。

「ジャンと話をさせてもらえないでしょうか」

「あの子は今サッカーの合宿に行っていていないんです」

 ダンが通訳してくれたその言葉を聞いて、由は混乱した。

 サッカー?ジャンが?

「いつ戻られますか」

「来週です…」

 その時、びゅっとひと吹き強い風が吹いて、ロバートが手に持っていた封筒を女の人の足元に飛ばした。ロバートがあっと手を伸ばした時にはすでに遅く、女の人は身を屈めて封筒を拾ってしまった。封筒の宛名と住所に目を走らせる。

「アレンサ…」

 一同の間に緊張が走る。

 女の人が目を見開いてロバートを見上げた。

「アレンサ?まあ!じゃ、もしかしてあなたは…()()()の方?」

 一同も時間差で目を丸くする。

「はい。あなたも?」

「祖父がルビナスの出身だそうです。若い頃にこちらに移住したのだそうですが、よく向こうのことを話してくれました。私はまだ一度も行ったことがないんですけど。まあ、なんて不思議な偶然でしょう!」

「あの、すみません」

 由は思い切って口を開いた。自分の中の何かがはち切れそうで、もう我慢できなかった。

「ジャンの写真があったら、見せていただけませんか」

 ダンの通訳を聞いて女の人はちょっと驚いた顔をしたけれど、由の必死の思いが通じたのか、

「ええ、もちろん。みなさん、どうぞ掛けてくださいな」

 ポーチの席を手で示し、小走りに家の中へ入っていった。

 みんな黙ってそれぞれ白い椅子や長椅子に座った。誰も言葉が出なかった。

 すぐに女の人が一つの写真立てを持って戻ってきた。

「去年、家族で撮った写真です」

 由に手渡してくれる。

 フォトスタジオで撮ったようなきちんとした写真だった。ドレスアップした女の人と、スーツを着た男の人、そして一人の少年が写っていた。ブラウンの髪。グレイの目。

「…これはジャンじゃありません」

 由は呟いて、女の人に写真立てを返した。目の前が涙でぼやけた。女の人は驚いたようにそんな由を見つめた。

「見せていただいても?」

 ロバートが手を伸ばす。  

「ええ…。一体どういうことなんですか?」

 ロバートに写真を渡すと、女の人はまた気がかりそうに涙目の由を見やった。

 ロバートは写真から顔を上げ、少しためらった後、

「…もしよかったら、ジャンのことを聞かせていただけませんか。私たちは…行方不明になったやはりジャンという少年を探していて、その手紙が来たもので、あなたのジャンが彼ではないかと思ったものですから…どんな小さな手がかりでも見つかればありがたいんですが」

 女の人は同情するように目を見開いて、

「まあ、もちろんです。ええと、何からお話しすればいいかしら…」

「失礼ですが、」

 写真立てを手にしたダンが静かに言った。

「彼はあなたの養子ではありませんか」

 女の人は小さく笑って頷いた。

「全然似ていませんものね。ええ、そうです。あの子も自分が養子だと知っています。小さい時にきちんと話しましたから」

「差し支えなければ、彼の出自についてわかっていることを教えていただけませんか」

「ええ」

 女の人は椅子の上でちょっと座り直し、

「…といっても、わかっていることなんてあまりないんです。あの子は、P市の駅近くの公園の木の下に…置かれていたそうです。毛布もバスケットも何もなく、ただ着ているものだけで、そのまんま。その時着ていたベビー服に、ジャン・N・スコットという刺繍が入っていたので、施設でもジャンと呼ばれていて、私たちもそのままジャンと呼ぶことに決めました。…そう、それから、木の下にいるのを見つけられた時、あの子はなぜか塩水で濡れていたそうです。まるで海の水に浸けられたばかりのように」

 五人分のため息が、ポーチの空気に溶けた。

 女の人が、戸惑ったように一行を見た。

 気持ちを整理しようとするかのように組んだ両手を見つめていたロバートが、

「…少し長くなりますが」

 と前置きして顔を上げ、ゆっくりと話し出した。

 由は長椅子の背のクッションに寄りかかったまま、ロバートが女の人にこれまでのことを話すのをじっと聴いていた。

 ロバートは説明がとてもうまかった。きちんと順序立てて、余計なことは言わず、必要なことは省かず、話が前後したりもしない。えーとかあーとか言わず、きっちりと言葉を並べていく。まるで物語のナレーションを聴いているようだ、と由は思った。

 奇想天外な、自分も出てくる物語。

 ロバートが話し終わると、女の人は深い深いため息と共にフランス語で何か小さくつぶやき、宙を見上げた。

 しばらくは誰も何も言わず、蝉の声と、かすかなウィンドチャイムの音だけが聞こえた。

 由は、ポーチの向こうに広がる前庭と、生垣と、その先の道路と、その向こうの木立や畑と、そしてその向こうの明るい真珠色の空をぼうっと眺めていた。

 もう、言いたいことも聞きたいことも何もなかった。

 すべてが終わってしまったような気がした。

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