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ふつうのひとにあんまりこだわってしまいますのもねえ。

えっと、ベーグルはっと、チーズクリーム、今日は、クラッカー、マーマレード、と。牛乳はここ。


はーい!ちょっと出番多くなってきたかなって感じのゴウモエラーでえす。出演過多になりそうなので、もっとわたくしの同級生をいっぱい呼ぼうと思っていまあす!


わたくしが「さいていのとりあたま」なんてことのないのに、したいのですう。世の中にはもっとふつうのひとがいっぱいいる。ふつうのひとに来てほしいんですのんのんのっ。


でですね。


「ふつうのひと」ってのに、ちょっと、こだわりすぎちゃったかしらーってアメリカ合衆国の作曲家、フレデリック・ジェフスキーさんが2021年6月26日になくなりました。ご冥福をお祈りいたします。


せみころーんさんところーんさんは、なくなったことが伝えられると神妙な顔つきでした。せみころーんさんはひとこと「彼は確かになくなってしまったが、グレン・グールドと一緒で、亡くなった時にはもう使命を終えていた」と。


グールドがヴァリウムの飲みすぎでなくなった時に「もうグールドの時代はとっくに終わっていた」と喝破したのは高橋悠治さんですが、ご自身の相棒ジェフスキーに対してもこれを言えるのかどうかが疑問です。


ジェフスキーさんは、ここのイ・セカイのみならず、地球の人にとっても馴染みがあるようです。


twitterでもすぐに訃報が載りましたので、ちょっとまえのチャールズ・ウォリネンさんのような日本のファンの極端な冷遇とは大違いでしたのん。


これは日本で楽譜が出版されたことだけではなく、日本にいっぱい来てくれて、ピアノを弾いてくれたのが大きかったんですう。


自作を弾かせてもベートーヴェンを弾かせてもなかなかにうまく、なおかつハーヴァード大学の卒業生ですから頭も切れます。大体ですね、ハーヴァードなんか出る人は、ふつうの学校の先生になります。


しかしジェフスキーはそんなことをしませんでした。彼はルイジ・ダッラピッコラの奨学生ということでフォード財団から助成金をもらって留学し、そこで最初の結婚もしました。ベルギー時代はのちの事実婚の奥さんと一緒だったようですが、籍は切れていませんでした。


このあたり、サヨクさまは、ちょっと女性の扱いが雑すぎやしませんかと。これは意見の対立することの多いころーんさんやくおてしょんさん、はてはインヴェルティドおばさんまでそうだそうだの大合唱でございました。くおてしょんさんは「にゃんだにゃんだ」って言ってました。


そのへんルイジ・ノーノさんは有名人の娘を奥さんにもらったので、どう考えてもおかしな過ちがなかったそうです。


ジェフスキーさんは1970年代に、ヘンツェ、ノーノ、カーデューらと同時に左翼系の作曲家として生きることを選択したのですが、よくわからないのは、なぜ左翼系にグランドピアノ?って話でした。


オズバルド・プグリエーセさんですらアップライトのピアノで興行をすることすらあったのに、そこんとこちょっとおかしい感じがしましたのん。


どうやらですね、ジェフスキーさんは「ピアノのことは考えても、ピアノ製造者のことは考えてなかった」んじゃないかしらと。


かつてですね、ジェフスキーさんは「パーセルルーム出禁事件」を面白おかしく語っておりました。


パーセルルームっていう、それはそれは富裕階層(かねもち)の集まる豪華な会場で「おかしなことしないで!」って言われてたのに、思いっきりルールを破る汚れ行為をぶちまけ、彼とその共演者一同が「出入り禁止になった」ということです。


ここらへん、サヨクさんは人の嫌がることを平然とされるんですのんねえ、と感心したのを思い出しましたの。


前衛とアングラには好評だったのですが、ドナウエッシンゲン音楽祭でオーケストラの新作を発表するまでは、いったいこの人は何をしているんだろうといわれておりました。彼の数々のライブがですね、大手の出版社や楽壇の敬遠する形となってしまい、委嘱が降ってこなくなったのです。


そうしたらですね、彼は何と、プロのピアニストとして西村朗、野村誠、ベートーヴェン、一柳、高橋、などを演奏し、ベルギーのリエージュで教鞭をとる「ええとこのぼんぼん」に収まっていたのです。


「ええとこのぼんぼんのどこがサヨクか?!」と厳しい視線が注がれたのは1990年代、もうソ連のないころでしたのん。


ジェフスキーさんはhat hutにまで身売りするほど扱ってくれるCDレーベルがありませんでした。


またジェフスキーさんは「繰り返す」ことがとても大好きで、不屈の民変奏曲はLP、CD、DVD時代を通じ4度以上の公式録音をのこしたのです。


芸術家にとって繰り返しは自殺行為ですのん。確かに1970年代ではかっこいい音楽だったのかもしれませんが、共産主義政権は崩壊し、自由主義政権下では銃乱射の毎日になるやいなや、ジェフスキーの攻撃性も日に日に衰えていきましたのんのんの。


きょうはですね、その「不屈の民」の一番おすすめで、びっくりの録音を紹介したいと思いますのんのんの。


CD番号はですね、Vanguard Classics CD OVC 8056。献呈を受けたアーシュラ・オッペンスさまの演奏です。


元はといえばこの人のために書かれた作品です。しかし、この人のVanguard Classics盤が入手困難ということなのだそうです。


アーシュラ・オッペンスの手にかかれば、ジェフスキーだろうがカーターだろうが、見事なまでにアカデミックな芸風と化してしまいますのん。


この曲の録音時期がオッペンスの名実ともに全盛期でした。


さっすがブゾーニ国際の優勝者です。何でもできてしまうために、サヨクのメッセージとかそんなのどうでもよくなってしまいます。血も涙もないではないか、とすらあっーしゅさんはお怒りでしたが、ころーんさんは「これが一番いいっ!あとはもう誰の演奏も結構です」って。

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