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エヴァ分析は侮辱的

あー、このエントリも食いつきがいいですねえ。すらあっーしゅさん!だめですよ。すらあっーしゅさんの出番じゃないです。どもーせみころーんさんですーとととて。


岡田氏の「分析が侮辱的」


どうですよ?


これは批評の終焉の時代にふさわしいでしょ。


つまり、みんななろうのようにテンプレを出してあげて一次創作をやりだすと、批評ってどうでもいいよねって流れになるんですよ。


これね、実は日本の批評でもあったんです。


ギリシャの作曲家ロゴテーティスを全然知りもしないのにくさしたのとかね。楽譜が図形だからってね。


それが堂々と日本語で載っちゃってね。ひどい時代でしたね。


これが昭和の時代には当たり前だったんですよ。これ、令和でなろうの小説を読む女子や女性では考えられないでしょ?


考えられないことが現実だったんです。


こういうことばっかやるのはなぜかというと、東京人がこういうことを言っても田舎や地方の人々は検証するお金がなかったんですよ。


実際オーケストラを読んで音出しをするわけでもないからね。


けれども、インターネットとスマートフォンで繋がっちゃうと、誰が嘘つきなのかが透けて見えるでしょ。


となると、嘘つきは年がら年中差別されるということです。一回でもミスすれば終わりという社会です。


エリプシ様は「1回どころか10年も間違えた挙句逮捕される写真部顧問?」とかいって、また学会で笑いを取ってました。


となるとですね、作品批評ってのはもう存在できないでしょ。


まず誰でもできるし、なんとAIでもできちゃうでしょ。


批評文体ってテンプレばっかりですからね。


中ザワヒデキさんは創作すらAIで代行という恐ろしい未来を予言してます。


それは今は実現してません、けれども、批評がAIになるのはもう10年先には実現しちゃうでしょ。


もう批評ってのが、いらなくなると、どうなるでしょうかということです。


創作と事実しか残らなくなる。だれもが創作者になり、AIが批評を代行するのが一番正確な未来でしょうよ。


1990年代は漫画分析が流行りましたが、2020年代はそんな本を作ったって売れないでしょう。となると、滅びると。


「批評は終わったコンテンツ」とかすらあっーしゅさんが獣人BARでわめきそうですね。


そもそもね。


批評というのが中央集権化の道具みたいなもんじゃないですか。大体ね。日本って1970年代までは普通に高卒で就職しましたし、確かにどんな田舎者でも文字は読めましたが、語学は全然できませんでした。


「教育ママ」もケンブリッジ英検のC1レヴェルまでたどり着いたのは数人ってとこじゃないでしょうかね。あれC1までたどり着くにはリーダーズ英和辞典クラスの辞書を毎日読み込まないと絶対に突破できません。けれどもそんな教育ママなんて私は見たことも聞いたこともない。


そもそも女子や女性に人権がありませんでした。


教育ママだがケンブリッジ英検のC1を持ってますよ、なんてのは2020年代くらいにしかいないと思いますよ。


これ、イ・セカイの連中に言うと「おい!いくらなんでも日本を馬鹿にしすぎだろせみころーん」とかめっちゃめちゃ叱責されちゃうんだけどほんとのことですよ。


だいたいさ、地方都市の英語の棚に行くと、ほこりがかぶってるんですよね。


私の両親の同級生は、イ・セカイから地球までやってきて棚のほこりを払って読んでいた。「本屋とかいうけど、誰も読まないので丁寧に立ち読みすると、あらふしぎ、図書館のようなものです」だってさ。


これが1995年までの田舎と地方の日本列島ですよ。


語学が全然できないもんですから、ギリシャ語のできない奴にギリシャの話をしたって全然ばれませんし、サンスクリットのできない奴にインドの話をしたってばれません。


だからといって口から出まかせだらけ、ということはありませんでしたが、正確性に欠ける奴はいっぱいいました。


これは日本以外の海外でも同様でしたよ。


クヌート・イェッペセンは「グラブナーのDer lineare Satzは教科書にむかない」とか平気で申しておりました。人の本を平気でくさしちゃうイェッペセン先生でしたが、誰もなんも言わないんですよ。(ドイツ系の教科書が日本で売れなくなったのもこいつのせいか?)


批評ってのはこういうもんなんですよね。気に入らないからって理由だけ。


アナログ社会の限界はこんなものですよ。


ところが、小学生でもスマートフォンで自動翻訳機能をつかっちゃうわけでしょ。うまれながらに無限の対訳本を渡されたようなものです。こんなことばっかり子供のころからやったらどうなりますよ?


最初から批評なんていらんかったんや!というオチになるのは眼に見えてます。


もうアニメ分析とか言うのもはてなブログの上でしか残らなくなるでしょう。それはそれで面白い未来で誰も困らないからいいんじゃないでしょうか。


将来、あぽすとろーふさんは「かつては現代視覚文化分析なるものが幅を利かしたが、児童の高学歴化とともに姿を消した」なんて退官記念最終講義で言うことになるんでしょうか。

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