メジャーに残れないと、生きていた記録まで抹消される。
今日は専門的な内容に触れるのでアムパサンドの担当です。せみころーんさんでもよかったような気もしますが、「(。・_・。;)<重大な事態なのでやって」とのことでした。
2021年5月23日、スペインの現代音楽の作曲家クリストバル・アルフテルが91歳で亡くなった。自身の名前が付いた音楽院まで開院され、フルオーケストラを伴うオペラまで作曲し、創作活動は2020年にまで及んだ超の付くマエストロの訃報に対して、日本語のtweetはほとんど見られなかった。
入ってくるニュースはスペイン語のものばかりであり、先祖がドイツ系なのでwww.deutschlandfunkkultur.deの一報が確認されたが、bbcでは皆無。フライブルク現代音楽実験スタジオまで介入していた作曲家に対して、あまりにも冷たい対応であったことにぞっとした。
スペインの前衛作曲家ではホセ・ルイス・デ・デラスに続いて二人目のデビューであり、最も前衛色に染まるのが早くて幸運なデビューを飾った。ラッヘンマンがオール特殊奏法とかをやらかす10年前に、すでに弦楽四重奏曲第2番《想い出》にはその先駆が見られるのだから合格点といってよいだろう。しかし、1980年代までメジャーレーベルをにぎわしたこの巨匠は1990年代にMONTAIGNEへ移籍すると、日本ではほとんどその活動が顧みられなくなってしまった。2000年代以降は日本のオーケストラで新作が演奏されていない。
全創作期をフェアに論じるのなら、彼のピークは紛れもなく1990年代であったとされるはずなのに、なぜこのような対応なのか?日本の楽壇に対して、武満徹の趣味が反映しすぎたためというのもあった。武満は当時再浮上してきたルイス・デ・パブロを有力なスペインの巨匠として推し、アルフテルには特に興味を示さなかったのである。アルフテルはティンパニでどかどかやるのが好きな作曲家だったのでなおさらだろう。しかし、日本はおろかロシアやアメリカやイギリスでも演奏される機会は漸減し、もっぱらスペインを出ることのないローカルな存在になったのは理由があるのではないか?
1970年代に新ロマン主義が襲うと、たいていの作曲家はブーレーズをはじめとして転向を余儀なくされたが、アルフテルは最もひどい目にあってしまったといっても過言ではない。短期間で新ロマンの沼から抜けたルイス・デ・パブロやトマス・マルコはさほどのダメージを受けなかったのだが、アルフテルは創作姿勢にまでひびが入るほどのショックを食らった。とにかく1980年代以降は、原則的にメロディーとハーモニーなので、調性音楽と何ら変わりはないのである。
Siete cantos de Espana (1991-1992)も、ポーランド楽派のコントラストを極大にしたかのようなオーケストレーションはさすがと思う一方、歌唱はほぼ伝統的なのでFかPでしかない。しかも、スペインは中堅作曲家がすっからかんとまでいわれるほど後進が育たなかったため、ポスト前衛を率いるラッヘンマン以降の理論を信奉する作曲家からも受けが悪くなった。アルフテルはこうして忘却されたのである。カジミェシュ・セロツキももし生きていたらこうなってしまったのだろうか?
追い打ちをかけたのは、近年のオーケストラの編成である。ホルンを6本に増強した大オーケストラを操るのであれば、編成人数の減少を余儀なくされている楽壇では当然不利になるだろう。もう3管編成では10型しか用意できないくらいヨーロッパは貧しくなってしまっており、アルフテルは舵を切り損ねた印象がある。イベリア半島出身の作曲家に対して、ヨーロッパは冷たすぎないか?フェデリコ・モンポウは確かに有名だったが、それは彼のピアノ作品がまとまってCD化されたときに多くのピアニストが食いついたからという理由に過ぎず、すでに全盛期は過ぎていた。
彼も盛り上がればオールFでどがががという趣味そのものを反省したのか、生前に発表された作品では最後の弦楽四重奏曲となってしまった第11番は創作初期の新古典主義へ逆戻りしたかのような芸風であった。89歳でこの迫力というのも信じられなかった一方、リズムや形式まで先祖返りしてしまうというのには首を傾げざるを得なかった。よく聴きこむと、煮詰まったらオールFでどがががという趣味から抜け出すことが弦楽四重奏というミニマムな編成ですらどうしてもできず、大成を逃したのかもと思うことも少なくなかった。
メジャーを追い出された作曲家は孤立し、ひたすらに独自の道に入るといえば聞こえはよいが、どうしても流行をつかみ損ねる。アルフテルへの評価は武満徹と似ている。武満は日本国内では1980年代に全盛期を迎えたといわれているが、西ヨーロッパでは1979年でサラベールから切られたただの人であった。アルフテルも、おそらくはこのような評価をたどるのであろうことは真に残念である。幸い放送録音は大量に残されており、幅を利かした1970年代の作品も豊富に手に入るらしいので、その時期の作品はなろうで作曲家を目指す人々にとっても有益な作品群であることは認めざるを得ない。
アルフテルはピアノ協奏曲を2曲残しているが、スペイン国内の国際ピアノコンクールで演奏されたことは1回もなく、課題曲にすら選定されていない。