へたくそな歌をコンピュータで音を合わせて
どっからか、棍棒を持った初音ミクの後ろ姿が見えたような気がしました。どーもーせみころーんさんですーとととてててて。
コンピュータにっくき!ってやつですね。
どうしてこうなってしまうのでしょうか。
都倉俊一氏の生まれ育った日本の昭和40年代までは、本はおろか、楽譜が買えなかったのです。
なろうの読者はもう梶原完ってピアニストは名前くらいしか知らないと思います。
なぜかというと、彼は新天地を求めてヨーロッパに行ったのですが、荒れた食生活であっという間に糖尿病になってしまい、指が衰えて使い物にならなくなってしまいました。
「ぜひヨーロッパのノウハウを日本に送り届けてほしい、藝大でポストを用意する」という招聘もあったのですが「今の僕にはなあんも残ってないよ…」と日本に帰ることすらしなかったのです。
その彼がどうやってピアノを覚えたか。なんと、楽譜を写譜していました。
まだコピー機がなかったので、手で写すしかなかったんです。なので、みんな手で写した楽譜が大量にあったのです。楽譜の図書館を作ることもできないくらい貧困の日本でした。
まだ、エリック・サティやアーノルト・シェーンベルクの楽譜はぜいたく品で、一冊数千円。もう骨董品でした。一冊で、三週間くらいの生活費だったのです。
これは私の両親の師から聞いた話ですから間違いありません。
それがどうですか?
2024年になるとプロコフィエフの楽譜すらパブリックドメインになるのですから、もう、学部に行くだけならなんの本も買わずに世に出られてしまいます。これでは話にならないので、日本は大学院への進学を煽るでしょう。
ちょっとだけボイストレーニングをして、その声をうまくコンピュータで貼り合わせ、ちゃっちゃと平均律に補正してしまえばだれでも歌手になれてしまいます。
それが、都倉俊一さんにとっては、「にくたらしい!」のです。
ちょっとだけ同情します。
ころーんさんは一切同情しないみたいです。てつのおんなですね。
「わたしがてつのおんなだと、そばにいた先輩のなんとかさんははがねのおんなになってしまう。今度語り部として呼んでみる?」ですか。考えておきます。
インヴェルティドおばさんとすらあっーしゅさんは同情するみたいです。
情けがちょっとだけあるみたいです。
応援するドライバーだって…
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(。・_・。;)<角田!
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これですからね。
昭和の時代は情報がないので情緒に頼っていた側面もあるんですよね。
情けにかこつけた洒落?って人も大勢いると思いますが真剣に言ってます。
情緒は採点できないんです。
これは江戸時代の時にみんな知ったんです。
三味線の楽譜も音名や強弱ではなく、手の形をかな表示していたのです。
タブラチュアではないかといわれる人もいますが、西洋式のタブラチュアとはちょっと違うんですね。
音楽をすべて、情緒に帰していたのです。
インドネシアのがガムランですら、楽譜が全くなく、人に教わるしか方法がなかったといわれています。おかげで、ガムランの古曲もできたばっかりの時代の曲は、もう失われているとまで言われています。
なぜ、音楽を情緒に帰するのか?
それは情報に翻訳されると、誰でも出来てしまって困るから、というのが本当のところなんだそうです。
しかしながら、もう西洋音楽史でもルネサンス後期からバロックのころには、みんなで教科書を売り放題だったのです。誰もが習得する権利があるというのがもう1600年ごろには確立していたらしいのです。
しかし日本は300年遅れでした。
八村義夫や丹波明ですら「スルヤという会社がかつて、無断で20世紀音楽の海賊版を出版しており、その中にメシアン、シェーンベルク、ベルクがあって、必死で読んだ」そうです。
これ1950年代の話ですよ?
このスルヤの海賊版の話をしたときに、ころーんさんは「そんなんあるわけないやん」と一言。
ちょっと頭にきてしまったので、アムパサンドさんを呼びつけたのです。
すると。
アムパサンドさんは「これかい?」と。
ころーんさんはショックでびっくりしていました。まっちゃっちゃでボロボロの藁半紙に、シェーンベルクのピアノ曲が全曲印刷してあったのです。イ・セカイにどうやって流れ着いてきたのかわかりませんが「おそらく著作権問題で怖くなり、獣人にプレゼントと称して渡して逃げたものがいる」と。
その渡された獣人もなんだか気味が悪くなり、権利問題で訴えられるのは怖くなったため、アムパサンドさんのお勤めの教会に寄贈したのです。「おれこれしらん!おれこれしらんっ!」っと形相が怖かったそうです。
まだころーんさんと一緒に住む前のころだったかな。
本当にあった怖い話という奴ですね。
すらあっーしゅさんは「これをとっとけば確実に高値で売れる!」とか言いますけどね、ヨーロッパの人めっちゃめちゃ怒ってたんですからね。
それはそれはものすごいものだったようです。ウニフェルザルは「東洋の島国国家のくせに!」と愚痴っただけで済んだからいいのですが、サラベールは「もし無視した場合、国家単位で訴訟するからね!」と極めて強い調子で言いつけたのだそうです。
事実、日本は多くの点で著作権法違反を平然と行っており、海外となかなか話がかみ合わなかったのです。現在も池内友次郎を含め、名著の名訳が絶版のままなのは、この辺に原因があるようです。