夜食とアヒル
カロリーを調整し始めて一週間が過ぎた。
2000キロカロリーという大きな設定をしたにもかかわらず、私の記録は毎日4000近くだ。
やっぱり夜がいけない。
いや、夜というより自室に一人になるのが良くないのか。
買い込んだおやつを一心不乱に食べてしまう。
しかも、家族の見えない所で食べられるというのが、何だか悪いことをこっそりしているようで「見つかる前に」とばかりに掻き込んでしまう。
思えば貧乏だったせいで常におやつは少量を家族で奪い合いであった。
だからこそ、誰ももう私のおやつをどうこうしないと分かっているのに、隠れるようにして買い込んでいるのかもしれない。
時刻は夜中の一時をまわっていた。
台所のテーブルには広げた新聞が一枚おかれている。
私は帰りにコンビニで買い込んだ大きなビニル袋をテーブルの手前にどさりと置くと、そっと新聞紙をめくってみた。
そこには、業務用かという大きなバットに山盛りの天ぷらがのせてあった。
ああもう、なんで?
せっかく我慢しようと思っているのに!
嫌がらせみたいに美味しそうだ。
こんなの我慢できるわけないじゃない。
母さんめ!
私は自分がコンビニで買い込んだ事実を棚上げして心の中で母に悪態をつき、「天ぷらの日はしょうがない」と言い訳も甚だしく天つゆを作って食べる。
ああ、うまいなぁ。
もう一個だけ、もう一個だけ....
あっ、でも買ってきたオムライスも食べちゃわなきゃだ。
あーもう、本当、予定が狂いまくりだ。
途中までカロリーを考えていたが、天ぷらが10を越えた辺りでだんだんと数えるのがどうでもよくなってくる。
黄金のダメパターンだ。
げふぅ。
散々食い散らかした後、パンパンに満たされて幸せを訴えてくる胃とは逆に、私の心は悲鳴をあげていた。
また!
またやった!いつもそうだ!
どうして私はそうこらえ性がないんだ。
もう、いやだ。レコーディングも終わりだ。
だいたい頑張って調整しようとしているのに、夜になると訪れるこの「食べなければならない」という脅迫観念は何なんだ。
胸が痛い。
きっと心が血を流しているに違いない。
私はやっぱりダメなのだと....!
私は台所から逃げ出して部屋に上がった。
あのまま台所にいたら、お腹はパンパンのくせにさらに食べ物を詰め込もうとしたに違いなかった。
部屋に上がり少しして冷静になってくると、次の選択が私を苛んだ。
意識の底から声が聞こえる。
『レコーディングなんか止めちゃえよー。
やっぱり無理なんだよそんな方法じゃ。
だって書き出してもみろ。どうせものすごいカロリーいってんだぜ、きっと。
もしかしたら摂取カロリー一万越えとかしちゃったんじゃない?ついに。
もうカロリーなんて知らなくて良いでしょ。
無かったことにしようよー。でなきゃ辛いばっかじゃーん!』
そうだ。
もうこんなに食べて....、ただでさえ毎日の目標摂取カロリーである2000すらも守ってないのに。
書きたくない。
無かったことにしよう。
あ....、明日っ!明日っからまた頑張ればいい。
そうだ、そうしよう。
『そうそう、だから今日はもう寝ちゃって、忘れた事にすれば...?』
そう、忘れた事に、すれば、良い....?
.....でも。
床に放り出した鞄の中にちらりと覗く白い背表紙がめに入った。
本当に、やめてしまっていいの?
まだ、作者の意図を汲み取りきれてない所があるかと、本のカバーを裏返して鞄に潜ませていた、バイブル。
本当に?
あんなに必死に続けていたレコーディングを?
もう一回は無理だろうから今度こそって、忘れかけても必ず次の日には入力してたのに?
いやだ!
いやだいやだいやだ!
食べ過ぎてもダイエット失敗じゃないって、バイブルには書いてあった!
書くのをやめなければ、失敗じゃないって!
まだ、やめない。
書けばいいんだ。思い出せるだけ、覚えているだけ書けばいい。
ちょっとくらいの漏れは気にするな。
とにかく書くんだ!書け!書け!書け!!
私は記憶をたどって書いた。
ナス天は4個くらい、かき揚げは三個くらい、芋天は二個、雪の下は五枚くらい、とり天は四個だったか。
ポテトフライはけっこう食べたな。
でもたぶん、ファストフードのLサイズくらいじゃないか。
オムライスも食べた。
もしかしたら もっと食べてたかもという曖昧さと、天つゆのカロリーも足して、ざっくり4000キロカロリーくらいか。
む、ちょっと多目に見積り過ぎたか?
いや、こんなもんだろう。
ちょっと多いくらいに見ておくべきだ。
しかし、4000か。
一食で取る量じゃあないから猛省すべきではあるが、「もしかしたら一万越えたかも」という漠然とした恐怖は無くなった。
何よりも、明日のレコーディングに繋げることができた事が嬉しかった。
次の日、シフト休みであるのを利用して、また作戦会議を行う事にした。
レコーディングダイエットは首の皮一枚で繋がった状態だ。今後も起こり得る危機、「真夜中フィーバー」について考えねばならない。
今回は遅ればせながら何とか「意思の力」が勝ったが、今後も勝てるとも限らない。
いや、負ける可能性の方が高い。
私は自分の意思の力なんて、絶対に信用しない!
何事にも自信のない私だが、そこにだけは自信がある。
なので、作戦をたてる!
今回の敗因は?
・コンビニの買い食い
・家に帰ったら天ぷらがあった
....いやいや、何この残念な理由。
これだけ見ると、私本当にダメ人間じゃない。
否定はしないが。
でも、これじゃあ解決に結び付かないよね。
よし、もっと深く掘り下げてみよう。
・コンビニで大量に購入して、ほぼ一晩で食べる
・家にあった天ぷらを、無尽蔵に食べた
うんうん、そうだよね。
思えばコンビニで爆買いしても、一晩で食べきらなければ次の日はコンビニスルーも可能だったし、天ぷらが家にあったからって、制限なく食いまくらなければそこまで問題はなかったはずだ。
夜に食べまくらない為にはどうすれば良いだろう?
カロリーを制限するのはお昼までは楽しい。
お昼までは「今日行けるんじゃない?」といつも思うのだ。
なのに夜になると急に苦痛になって、我慢できなくなって、食べまくる。
じゃあ、食べ物を別の部屋に置く?
いやだ。絶対に母か瑠璃に食べられる。
いや、むしろ食べられていいのか....?
いやいやいや、やっぱりダメ!いや!
それに、すぐに食べるつもりで買ってるから、結果として残る事はあっても食べない予定とか、ジッパーに小分けにして食べるとか、考えられない。
満足いかなくなってしまう。
満足、かぁ。
うーん。
洋菓子とかは案外紅茶と合わせて優雅に食べれば満足するし、外食で綺麗に盛ったものを写真で撮れば、「食べた」記憶が幸福感として残る。
でもポテチとかはなぁ。
一度写真を撮ったことあるけど、あれはひどかった。
私は遠い目をして思い出す。
食い散らかした映像は、幸福感の欠片もない。ただの汚部屋の記録だった。
しかも元汚部屋住人なので すぐに目に馴染んで映像に違和感が無くなり、壁紙に設定していることすら気にならなくなった。
お陰でうっかりアルバイトの女の子に見せてしまい、物凄くドン引きされてしまった。
開き直って元汚部屋ネタという事にしといたけど....きっと陰で色々言われている事だろうなぁ。
ああっ、どうか冥王の耳にだけは入りませんように....。
とにかく、ポテチの写真はダメだ。
写真にするのは ときめく物でなければ。
あ、でも昨日みたいな場合なら天ぷらをお皿に盛れば良かったのでは?
きれいっぽく盛って写真を撮る。
うん、なんか良さそうだ。
そういえば以前読んだバイブルにも、「大好きでやめられないお菓子は、お皿に一度盛ってから食べる。袋のまま食べない」とか書いてあったような。
あー、でも私、「すぐ!今すぐ!!食べたい!」ってなるからなあ。
それこそ この間の焼きが菓子のごとく、ミルクティーをいれる時間も待てないくらいにね。
あ、でもケーキの時は私ちゃんとお皿に盛るよね。
何でだろう?
私はよーくその時の事を思い出してみる。
うーん?よく分からない。
うーーーーーーん....
よし!
ケーキ買って帰ってみるかー。
私は足取りも軽くお気に入りのケーキやさんへと向かった。
理由が分からないのならば再現だ。
これは高尚な検証であって、けっしてケーキ
食べようなどという下心はない。
ダイエットの為には仕方のない事なのだ。
私だって辛いのだよ。摂取カロリーが増えるのだからね。
えっとー、それでどんなケーキ買おうかなぁっ!
やっぱりチョコ?オペラとかいいよね!でもショートケーキも捨てがたい。あっ、でも一個だけ買うなんて申し訳ないからプリンもいっとくか。おお、飴がけ!?ふんわり乗ったメレンゲがたまらないっ!
「すみませーん。オペラとー、フルーツのショートケーキとー、あとこっちのプリンくださーい。
あっ!あとこれ、このクレープも!」
家に帰ると私はさっそくケーキを食べようと準備を始めた。
まずはヤカンにお湯を沸かしてー、その間にポットの準備してー、あとケーキをのせるお皿は、いつものお気に入りのお皿を用意してー。
私は食器棚から小皿を取り出す。
このお皿、すっごい好きなんだよね。
元は母が結婚するときに友人から貰ったお皿らしいのだが、我が家の野暮ったい食器棚のなかで一枚だけデザインが明らかに洗礼されている。
深さの無い平なフォルムに、澄んだ黄緑で描かれた植物。所々に見える黄色は桃だろうか?
なんの絵か分からないのは、年期がそうとう入っているからだ。
こどもの頃から食器棚に納まっているのだから使用年数二十年は固い。もしかしたら そろそろ三十年くらいはいくかもしれない。
表面もすっかり傷だらけだ。
本来は五枚組であったらしいのだが、食器クラッシャーの母がツルッツル手を滑らせた結果、これが最後の一枚になっていた。
中学生の頃に読んだ漫画ですっかりヨーロッパのお嬢様というのに憧れてしまった私は、ケーキを食べる時は必ず紅茶と共にこのお皿を使った。
我が家の中で一番それっぽいからだ。
ボロボロになっていても、このお皿は私の憧れの固まりなのだ。
そんなお皿にショートケーキをのせる。
フォークはまるで鍬のようなデザインの物だ。
そうそう、せっかくケーキを買ってきたんだから、ちゃんとミルクピッチャーも出さなきゃね。
いっつも牛乳パックから直注ぎだけどね。
おっ、紅茶がそろそろいいかなっ。
私はショートケーキをフォークですくって一口。
はうぁー、うまうまー。
そしてミルクティーをすすって....
あーーー口の中で混ざって、たまらーん!
....ん?あれ、私何でケーキを食べるんだっけ?
私は首を捻った。
たしか夜の食べ過ぎについて考えていて、満足感を得るためにはお皿に盛って、必要なら写真を撮ってから食べるとか....おっと、写真を撮ってなかった
パシャパシャ
んで、....あ、そうそう!皿に盛るまで待てるときと待てない時の違いを考えていたんだった。
いやー、すっかり忘れてたよー。
って、バカかっ!どんだけ物覚え悪いんだ私!
ただの一人ティーパーティーになるところだったわ。
まあ、思い出したからいいけど。
私はショートケーキを食べ終わるとオペラを取り出して皿に盛る。
うーん、雰囲気の問題だと思うんだよね。
ケーキは特別感があるでしょ?
でもポテチは....何というか、オーラが無い。
ステキ感がないのだ。
あ、でもバイブルの作者は何て事無い袋チョコを皿に並べて「ステキ~~」とか言っていたな。
じゃあ、ポテチも皿に盛れば....?
私は皿に残ったオペラの塊をパクンと口に頬張ると、昨日食べ残したポテチを盛った。
うん、全然ステキじゃない。
やっぱりポテチはダメなのかな~~。
はぁ。
ガッカリしながらふと机の横の棚に無造作に突っ込んである皿に目をやった。
高校を卒業後に県外に出ている友達が、何年か前の誕生日に送ってきてくれたものだ。
木製の皿で、アヒルの形をしたかわいらしいものだった。
可愛らしすぎて、使うのが勿体なくてずっと棚に入れており、気がつけばうっすらと誇りで白化粧されている。
私は部屋に常備しているウエットティッシュで綺麗に誇りを拭うとティッシュを半分に折ってアヒルボディーに敷き、その上にさっきのポテチをザラザラとも盛った。
バランスを考えていてやや控えめに....
するとどうだろう。
あんなに残念な駄菓子でしかなかったポテチが、なんだか可愛くてお洒落なお摘みみたいではないか!
なにこれ、すっっっごくいいっ!
そっと1つ摘まんで食べてみる。
うん、いつものポテチ。
でも、出している量が少ないから二~三枚まとめ食いとか、袋に口をつけてザラザラと飲むように流し込むなんて事はできないし、やる気にならない。
私は漫画を片手にポリ....ポリ....とポテチを食べた。
すぐにお皿は空になった。
また少しだけザラザラと皿に盛る。
ポリポリ食べる。
皿に盛る....
そうして四分の一ほど食べたところで、あれ、もう美味しくなくなってきたな、と感じた。
まだ残っているけど....
でも飢餓感がない。不思議とない。
私はポテチの袋の口をクルクルと折って髪止めでパチンと閉じた。
すごい....。
この私が。
ポテチ依存症と言っても過言ではない私が!
ポテチを残したよーーーー!!!
私はあまりの嬉しさにアヒルのお皿を抱きしめた。
ああ!お前実はなんて優秀な子だったのっ!!
友よ!あーーーーーーりがとぉーーーーーーぅっ!
食べ終わったお皿をウエットティッシュで綺麗に拭き取り、棚に戻す。
本当は洗うべきだと思うんだけど、敷物敷いてたし大丈夫でしょ。腹丈夫だし。
これで夜の食べすぎも防げるだろうか?
いやでも、今日はケーキを食べた後だったし、昨日メガ食いしたばっかりだったし、確実じゃないかも。
それに今までの経験上、1つのアイデアで全て解決!とはならないと思うのだ。
改善の一手くらいに考えておくのがベストだろう。
あまり調子に乗らないようにしなければ。
ああ、でもやっぱり嬉しいなぁ。
これからはちょっと食器にも凝ってみようかな。
私はその日1日、顔が緩むのを抑えることができなかった。
そのテンションのまま夕食に使うお皿を物置からあれこれと引っ張り出してきたら、帰ってきた母に物凄く怒られた。
場所がないのに、出してくるな!ということらしい。
ガッカリだ。
台所は母の領域なので、私は諦めて しばらくはおやつのアヒルで満足することにした。




