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18. 晩夏のハネムーン




廟を出たルチシャは、思いっきり身体を伸ばした。

窮屈な場所ではなかったけれど、外の空気を胸いっぱいに吸い込むと、戻ってきたのだという強い実感が湧く。


(それに……森が何だか違って見えるわ)


儀式をおこなう前も荘厳な雰囲気漂う森であったが、今は前にも増して煌めくような美しさを感じる。

肌に触れる歴史深い風と、森を支える土の温もり。

カサカサと枯れ葉が擦れ合ってたてる音さえ耳に心地よい。


廟を出てしばらく行くと、ヘイゼルはさっそく小さな動物型の精霊に取り囲まれてしまった。

言葉まではわからないけれど、お祝いを言うついでに何かの仲裁を頼まれているような気がする。

森の住人から頼られているのね…と素敵に思っていると、ヘイゼルは優しく微笑みながら「自分たちで解決出来ないのであれば両者ともに追放だ」と告げた。

途端、ヘイゼルに何某かを訴えかけていた精霊たちがピッと竦み上がり震え始める。

その姿を見てルチシャは思わず、ローアンは元気かしらと思ってしまった。


精霊たちに、両成敗されるか仲直りをするかを選ばせたヘイゼルは、ルチシャの腰を抱き寄せると額にキスを落とした。

森の中でこのような振る舞いをするのは珍しいため、まだ蜜月の余韻を引き摺っているのかもしれない。


「さて…ホーステールが枯れ果てていないか見に行こうか」


「サーウィンの宴に出られなかったからですか?」


「サーウィンどころかインボルグも出られなかったから、生きていても泣いてるんじゃないかな」


ヘイゼルの言葉にルチシャは目を瞠った。

インボルグといえば緋竜祭…二月の祭事だ。

ルチシャが儀式のために廟へ向かったのは八月の話。

まさか。とは思うが、確かに肌に当たる風は秋にしては若干冷たい気がする。


「ヘイゼル……今日は、何月何日ですか?」


「日にちまでは知らないけど、だいたい二月の終わり頃じゃないかな」


「二月の終わり!?そんなに長く籠っていたんですか…!?」


「儀式の負担が大きかったのか、ルチシャは一ヶ月くらい朦朧としていたからね…」


おおよそ六ヶ月。朦朧としていた期間を除いても五ヶ月以上。

そんなにも長い間、睦み事に耽っていたのかと思うと、恥じらいよりも僅かな恐ろしさを感じてしまう。

森で蜜月のことを話したときに確かに半年近く籠ることもあるとは言っていたけれど、あくまで一例であり冗談半分の話だと思っていた。まさか本当に半年も籠ることになるとは。

それに、廟から出るときもヘイゼルは「もう少しここに居てもいいよ」と言っていたくらいだ。

竜ってすごいわ……と改めて慄きながら、手を繋いで森の入り口へ向かう。


管理者用の小屋の近くにある枯れた花壇の前で、ホーステールはしょんぼりと座り込んでいた。


「あ……萎びていますね」


「周囲に転がっている酒瓶が悲壮感を煽るね」


ただ座っているだけであれば薬草の植え替えかなと思えただろうが、蜜月期間中にどれだけヤケ酒を煽ったものか、小屋の側には酒瓶が山と積まれている。

座り込んだホーステールの手にも酒瓶の口がギュッと固く握り込まれており、枯れた花壇を肴に酒を飲んでいたのかしらと疑いたくなる光景だ。



「ホーステール、戻ったよ」


「ヘイゼル様……」


呼びかけに振り向いたホーステールは、ちょっぴり泣いていたのか目元を袖で拭ってから駆け寄ってきた。その表情は悲嘆でもあり、切実でもある。


「次の宴には絶対に参加させてくださいいいい…!」


「ああ、うん…。ほら、天竜さまが分けて下さった酒だ」


「天上の樽酒…!!」


ヘイゼルから渡された酒を受け取るなり、濁っていたホーステールの瞳がこの上なく煌めいた。

とんでもなく珍しいお酒らしく、天上に住まうものでも天竜さまからの許可なしに飲むことは出来ないという。唯一自由に飲めるのは風の精霊だが、風の精霊は酒よりも紅茶の方が好きだという嗜好らしく、あまりお飲みにならないのだとか。

ルチシャも廟に籠っているあいだに飲ませてもらったけれど、爽やかな味わいでとても美味しかった。


珍しいお酒をぎゅっと抱きしめてようやく正気に戻ったホーステールは、佇まいを正すとヘイゼルとルチシャに向き直った。そして深々と礼をする。


「改めまして、御成婚おめでとうございます」


「うん。ルチシャ、儀式も済んだことしホーステールに名前を与えて構わないよ」


「はい。改めましてルチシャと申します、これからどうぞ宜しくお願いします」


「ルチシャ様、ヘイゼル様を何卒よろしくお願いします。理不尽な呪いにだけはお気をつけ下さい」


「妻を無断で呪ったりしないよ」


「本来は許可制でも呪わないものです」


呆れたように指摘したホーステールはルチシャに目配せすると「こういう御方ですので」と肩を竦めて苦笑してみせた。ルチシャも「ええ、心得ております」と頷いておく。



「お籠りのあいだにルチシャ様の御実家とローアン様よりお手紙が届いておりましたよ。ヘイゼル様のお部屋のテーブルの上に置かせて頂いております」


「確認しておこう。ルチシャの食事を頼めるかい?」


「ご用意致しましょう。もうあの苦行サラダをお召しになっても、苦しむことはありませんのでご安心ください」



その言葉ほどに嬉しいものはないだろう。

リリオデス家を出てから儀式の日に至るまで、何度吐き気と腹痛に見舞われたことか。

ヘイゼルの腕を掴んでギリギリと奥歯を噛み締める顔は、結婚を控えた淑女としては如何なものか…と眉を顰めたくなるような形相だったに違いないが、竜であるヘイゼルは気にした様子もなくそんな表情も可愛いよと宥めてくれた。

ただ、同じものを食べているのに全く苦痛に見舞われない存在からの慰めは、時々ひどく癪に触るものだ。

第二の森を訪れて薬草サラダとヘイゼルの事を愚痴るたびに、ローアンの微笑みがキラキラと輝いていたのも記憶に新しい。

ローアンは「よくわかるわ!お従兄さまって気遣いの方向性が迷子な事も多くて最悪よね!」と何度も力強く頷いてくれた。そのたびにヘイゼルから小さな仕返しをされていたけれど。



のちほど食事に響かない程度のおやつもお届けしますねと言ってくれるホーステールに改めて御礼を伝える。

そのまま屋敷の方へ向かおうとしたが、ふと思い出したようにヘイゼルが立ち止まった。


「長らくの禁酒への労いとして、これもあげよう。大地の精霊からの振る舞い酒だ」


ポイッと投げ渡されたのは五センチくらいの小さな小瓶。

それを受け取ったホーステールは、驚愕に目を大きく見開いた。


「ひと雫の古酒…!!」


震える手で掲げられた小瓶のなかには本当にひと雫だけのお酒が入っている。


先ほど渡した天上の樽酒よりも希少な、大地の精霊が管理する太古からあるお酒。

結婚祝いとしてふた瓶頂いたのだが、ルチシャには強すぎるからと、ヘイゼルが飲んだあとの瓶に水を注いで風味だけ味わわせてもらった。

香りだけでくらりと酩酊するような感覚があり、お酒そのものを飲んだヘイゼルが「これは効くな…」と顔を顰めていたから相当に強い酒精なのだろう。

味は言うまでもなく最上級で、瓶に注いだ水を飲んだだけのルチシャでさえ、しばらくは余韻に浸るようにぼぅっとしてしまったくらいだ。


ホーステールさんは飲んでも大丈夫なのかしら…と心配になったが、死んでも飲みたいと狂喜乱舞している以上、飲ませてあげたほうがいいのだろう。


古酒の入った小瓶と天上の樽酒をぎゅっと胸に抱え込んだホーステールは、浄化されたかのような清々しい表情で感動を噛み締めている。



「結婚って、良いものですね……」


「……しっかり泣いておられますね」


「酒自体を禁じていたわけじゃないんだけどね…」


むしろ大量に飲んでいる筈なのだが、それでも求めていたお酒とは違ったのだろう。


次の魔女集会でホーステールがお望みのお酒と出会えますようにと願をかけつつ、ヘイゼルと手を繋いで屋敷へ戻る。

階段の上り下りがツラいというルチシャを甘やかして、本格的に森で暮らし始めて以降、ヘイゼルは竜の姿で二階の大きなバルコニーまで飛び上がってくれる事も増えた。

今日は正面玄関から入ったかと思えば、新婚らしくお姫さま抱っこで階段を上がってくれるようだ。

首元に腕を回し、すっかり身に馴染んだヘイゼルの香りを胸いっぱいに吸いこむ。

「あまり可愛いことをしていたら寝台へ運んでしまうよ」と表情を蕩けさせるヘイゼルに「ダメですよ」としっかり告げ、部屋に届けられた手紙の確認に取り掛かる。


ヘイゼル宛には世界樹の精霊から、お祝いの言葉と秋に実った木の実を受け取ったという内容の記された手紙が届けられていた。

結婚直後とその翌年の実りは豊かさと幸福の象徴として大層貴重なものらしく、各所へ必要量を届けるようにとあらかじめホーステールに指示しておいたそうだ。

特に、結婚までのあいだに何かと関わりのあった世界樹とマツの精霊、ニワトコの精霊とローアンの元には多めに届けられているという。


ローアンからの手紙は二通あり、一方はヘイゼル宛で、結婚の祝いと木の実の御礼の言葉が記されていた。もう一方はルチシャ宛で、手紙のほかに見慣れた小袋が添えてあり、それを見たヘイゼルは片眉を上げた。

小袋の中身は確認せずとも竜のマタタビであることは間違いない。

浮かれたお従兄さまから無体を働かれそうになったらこれで抗いなさいと書いてくれているが、回復したあとの報復を考えると、使用する状況は引き続きしっかり見定めなければならないだろう。


「ローアンからはお祝いの言葉と、さすがに籠り過ぎなので私の身に何かあったのではという心配の言葉と……今後も竜のマタタビを常備しておくようにと書かれています」


「その小袋を今度あの子に投げつけてあげなよ。顔中ビチャビチャにして大泣きするから」


「ヘイゼルは愛が余って、妹や身内の子を虐めるタイプですね?」


「愛ねぇ…」


遠くを見ながら呟いたヘイゼルに言葉を続けようとして…


……ふと、何かが鼻を掠めて堪らずくしゃみが出てしまった。



「…………くしゅん!」




鼻と口を押さえてくしゃみをしたあと、ハッとしたルチシャは慌ててヘイゼルを振り仰いだ。

急に視線を向けられたヘイゼルは、不思議そうに首を傾げている。



「どうかしたかな?」


「いえ………ヘイゼルとは、くしゃみがきっかけで出会ったので……これまでのすべてが夢で、今のくしゃみで魔法が解けて現実に戻ってしまったのではないかと心配になってしまいました」


「ふぅん…面白い空想だけど、愉快ではないかな」


「すみません、変なことを言いました。どうしてか急にそのような不安を感じてしまって……それに先ほど、私の言葉にヘイゼルが哀しそうな表情をした気がして、余計に…」


「ああ…哀しんだつもりはなかったけれど、少し古い記憶を捲っていたかな」



苦笑したヘイゼルは、ルチシャがその記憶について尋ねて良いものか躊躇っていることに気づいたのだろう。

なんてことはない話だよ、と前置きしてソファに腰を下ろすと、その隣にルチシャを招いた。



「随分と昔に、僕をまるで息子のように扱った魔女が居てね……彼は生涯独身どころかまともに恋人が居たことすらなかったというのに、何故か僕に対して恋愛について滔々と語ってみせたんだ。

その魔女曰く、僕が生涯を共にする相手は、脆弱だが貪欲で罪深い人間こそが相応しいのだと…」


「魔女は自信に満ちた様子で言った…『いつか必ずかけがえのない人間が現れる。そうしたらお前は世界で一番幸福な竜になるだろう』……その言葉が、彼が僕にかけた呪いだと気付いたのは、彼が死んだときだった」


「僕にとってかけがえのない人間はその魔女で……だとすれば彼を喪った自分はもう二度と幸福など手にしないのだろうと、長いこと、そう思っていた」



「ヘイゼル……」



どこか気鬱そうに語り、自嘲気味な笑みを浮かべたヘイゼルに思わず手を伸ばす。

触れたぬくもりは木肌を思わせる温度で、ここに間違いなくヘイゼルが居るのだと実感して密かに安堵する。

彼はルチシャの手を取ると、まるで祈るかのようにその甲へ口付けを落とした。



「心配せずとも、こうしてこの上ない幸福を手に入れたからこそ語れることだ。

不思議なものだね…愛なんて、目に見えない不確かなものなのに、ルチシャと出逢った瞬間にこれこそがと理解できた。

同時に、僕に呪いのような言葉を残したその魔女へ抱いていた感情が恋愛などではなく、肉親への情に似たものだと理解したわけだけど………あまり認めたくないし多くの疑念は残るものの、彼は、僕にとって父親のような存在だったのかもしれない…」



父親という表現を口にするときのヘイゼルはあまりに憮然としていて、納得がいっていないようなその表情に、思わずふふと笑いが溢れてしまう。



「親という枠に嵌めずとも、家族や親戚のようなものという大雑把な括りでも良いのではありませんか?」


「そのあたりの案配が難しいよね。人間は大雑把に括る割に、厳密に線を引くだろう?」


「ですがヘイゼルは竜ですし、私ももう人間ではなくなったので大雑把で良いかと。その魔女さんのお墓や……故郷のような土地はありますか?ヘイゼルにとって大事な方ですので、近いうちにご挨拶へ伺いたいです」


「きみの故郷がそうだよ」


「え!?」


「その魔女の妹と縁を深めたことをきっかけに、ローアンはきみの故郷周辺の土地に居着いたわけだからね。あそこは魔女狩りとは無縁の地だし、古くから優秀な魔女が多かった」


過度な竜信仰が進んだうえにローアンが人間たちに知識を授けなかったから今は残念なことになっているけど…と付け加えたヘイゼルの言葉に、ルチシャは自国のあった土地の歴史を知る。

確かに庭師のアンサムの祖母が魔女であったと聞いたとき、驚きはしたが忌避感は無かった。

過去に魔女狩りが横行するなど、土地そのものに魔女への悪感情が凝っている場合、その意識もまた脈々と受け継がれることが多いという。

もしも自分がそのような土地で育っていたら、ヘイゼルとの婚姻も一筋縄ではいかなかっただろう。


(まあ多分、呪いで魔女への悪感情を取り除かれて終わりだっただろうけど…)


それでも、いくら強固に覆い隠したとて、魂に刻まれたものは消えることはない。

ホーステールとの関係性も今とは違うものになった可能性もある。そう考えると、ルチシャは自分が生まれ育ったのがあの土地で良かったと心から思った。


今度一緒に里帰りしたときにご挨拶しましょうと提案すれば、必要ないよと心底嫌そうな顔で返された。

そういえばローアンから、双子の魔女の形見があるから欲しいかと問われた時も同じような顔をしていた気がする。

こうなったヘイゼルは頑固一徹なため、幼いヘイゼルがお世話になった魔女たちには、当初の予定通り伯爵家の裏手に『ここでヘイゼルは恋に落ちました』という記念碑を立てて報告するしかないようだ。



「伯爵は何と?」


「落雷の影響か、庭先と裏の湖周辺でキノコが大豊作になってちょっと大変だったみたいです………それと、無事に生きているならいつでも顔を見せに来て良いと。

リリム夫人とリリアンナがずっと物思いに耽っているようなので心配なんでしょうね」



それを聞いたヘイゼルから「ルチシャ」と静かに呼びかけられ、どうしたのだろうと隣を見上げる。

ハシバミ色の瞳は透き通るように美しく、真っ直ぐルチシャを見つめている。


ふと、…もしかすると今から、残酷なことを言われるのかもしれないと思った。


それでもルチシャはヘイゼルの言葉を遮ろうとは思わず、視線を重ねたまま耳を澄ませた。


(その言葉が本当に残酷かどうかは、私が決めることだから)



「一時的に帰ることは許しても、あちらに戻ることはもう出来ないよ。代わりに、きみを決して離さないと誓おう。何があっても……いつまでも」



「ええ……ヘイゼル、私を愛してくれてありがとうございます。

私は貴方の側に居てこそ幸福を掴むことが出来るのです。命続く限り永遠に、貴方は私を愛し続けてくれるのだと信じられる」



見限られて愛を失うなど万に一つもありえない。

この身が朽ち果ててもなお、ヘイゼルは私を手放しはしないのだから。



魂を結び合ったことで得た時間は遥かに長い。

それでも、ヘイゼルの恋人として過ごした一年間を生涯忘れることはないだろう。


彼との出会いはとんでもないものであったけれど、ルチシャの人生はこの上なく素敵なものに生まれ変わったし、きっとこれからも幸福が途切れることはない。




この先は、果てなく続く愛の物語。







.



【幕外】


「そういえばリリアンナが『新婚生活の邪魔をするつもりはないけど、落ち着いた頃に会えたら嬉しい』と言っていました」


「ふぅん?蜜月は終わったけれど、あと百年くらいは新婚だからね…彼女は生きていられるだろうか」


「……近いうちに、新婚熱々で仲良しな姿を見せに行くのもいいかもしれませんね」



【おわり】


晩夏のハネムーン

最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。


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