第七十八話 生餌作戦
「こちらがお部屋になります。どうぞごゆっくり、おくつろぎください」
「どうもありがとう」
私は部屋の入口で、中居さんに心ばかりのチップを握らせ、部屋へと入った。
木製の窓を開け放つと、目の前には紅葉に染まった野山の木々が、目に飛び込んできた。
うーん、風情がある。
さてと。
私は一つ伸びをすると、部屋のベッドの上で横になる。
これからのことで、考えなければいけないことは大量にあるが、今日は何も考えずに過ごそうっと思ってここにやってきた。
リーゼには、ヒューリの仕事を手伝う、とだけ伝えておいたので、私がまさか、リットリナにまで来ているとは思わないだろう。
さてと、せっかくの休日。
まずは、温泉に入ってゆっくりとした後、この地の名物料理を食べようかしら。
川魚の料理が美味しいと聞いている。今から楽しみだ。
今回は久しぶりの休みだし、ここならば、私の素性に疑いを持つ人間もいない。
やはり、帝都では私は既に有名人になってしまっており、一人で行動なんてとてもできない状況だ。
そんな状況は本当に息がつまりそうになる。
妹分のユーグレも、いろいろと弱音を吐きながらも、今は貴族としてのイロハを身に叩き込むために半年間の全寮生活をするマナースクールへと入学させられた。
次に帰ってくるときは、きっと、おしとやかなレディになって帰ってくるに違いない。 ……と、思う。
さて、私はしばらく、部屋で休んでから、お風呂に入ろうかな、なんて考えながら、目を閉じた。
だが、不覚にも、すぐに睡魔に襲われてしまった。どうやら、ここのところの仕事やら、プライベートのあれやこれやの疲れが貯まっていたらしい。
こ、これは、い、いけない。
……
…………
…………んん。
目を開けると、外からの光が瞳に飛び込んできた。
外は既に日が暮れて夕暮れになっていた。
がーん。ね、寝過ごしてしまった。
あぁ、今日やりたかったことが、何一つとしてできなかった。
すっかり意気消沈してしまう。
と、そこで気づくが、ベッドの脇に座りながら私の顔をじっと見つめている人間と目が合う。
「よっ。起きたか」
その人物は白い歯をニヤリとみせながら、気軽に挨拶をしてきた。
「……。いったいいつからそこに?」
「ん? そうだなー、一時間くらいは経ったかなー。お前の顔を見ているとなかなか飽きないぜ」
ヒューリがニヤリと笑いかけてきた。
……くっ。
目をそらしながらも、頬が火照って、顔が赤くなっていくのがわかる。
寝顔をずっとみられていたなんて、は、恥ずかし過ぎる。
「ちゃ、ちゃんと起こしてよね! 結局、お風呂に入り損なったじゃない」
寝顔を見られたのも不覚ではあるが、風呂に入らずこの地を去るのも、非常に口惜しい。
「無茶言うな。別に起こしてくれって、お前、俺に頼んでいなかったじゃないか」
そ、それはそうだけど。
私はムッとした視線をヒューリに向ける。
無言の抗議だ。
「そんな怖い顔をするなって。あとな、実は温泉の件にも少し関係するかもしれないんだが、実は先ほどリーゼ殿から、至急の連絡があってな、俺もお前も今夜はここに逗留することになった」
「え? リーゼから?」
おかしい。
私がここにいることは秘密のはずだが。
「あぁ。リーゼ殿には、リットリナへとお前がついてくることも事前に相談済みでな。明日の朝に迎えを寄越すから、ここで待機していてくれ、とのことだ。何やら街道で崩落事故が起こったらしく、今夜は歩いて帝国へと戻るのは、少し難しそうでな」
「……って、あんたリーゼに事前に相談していたの!」
「当たり前だ! お前が一人お忍びでリットリナに来て問題でも起こってみろ。外交問題どころの話じゃないからな」
ま、まぁ、そうかもしれない。
でも、それならば、なんでそんな簡単に私の出張をリーゼは許可したのかしら。
そこは、リーゼらしくないとも言える。
でもまぁ、せっかく、今日はゆっくりできるのだから、オフを満喫させていただきますか!
私は、ヒューリの脇腹を、指でグリグリとつっつき、ちょっかいをかける。
「な、なんだよ」
「ふふ。私と一緒にお風呂入ってみる~♥」
「……い、いや。さ、さすがにそ、それは不味いだろ。そ、それこそ外交問題どころじゃないしな」
「ちぇー。私たち恋人なんだから、それくらいしても罰は当たらないと思うけど~?」
「い、いや。さすがに、もうここまで、身分が離れると、な」
ぶぅ。
少し唇を尖らせてしまう。
でもまぁ、あんまり、ヒューリを困らせても仕方がない。
私はお手上げ、といった気持ちを込めて肩をすくめた。
「まぁ、ここは混浴はないみたいだしね。別にいいわよ」
ヒューリが、困ったような、嬉しいような、残念そうな、判断に困る表情を浮かべた。
◆◇◆◇◆◇
「……リーゼ様。配置完了しました」
「動きは?」
「小隊規模の先発部隊が隊商に化けてリットリナへと出発した模様。さらに、現地にて数百人の傭兵を雇いいれているとの情報です」
「傭兵に関してはリットリナ軍に押さえてもらって。それと、先発した小隊については、予定通り第一○三大隊が対処するように。一○一と一○二は現在の持ち場にてローエンタール公爵の動きに注意せよ。なお、一○三大隊かリットリナ軍が物証を押さえた段階で、公爵を国家反逆罪で捕らえる。そこまで、気を抜くなよ!」
「はっ!」
部下の復唱に頷きながら、リーゼは本部の作戦室の椅子に腰をかける。
わざとルシフの動向をローエンタール公爵家に流したのだ。
この餌に食い付いてくれれば、後顧の憂いがなくなるというものである。
「さて。ルシフに気取られることなく、さっさと大掃除しちゃわないとね」
リーゼは作戦書に目を落としながら、相手の情報を分析するために、相手方データを読み込んでいった。
次回は、4/3(木)更新の予定です。




