第9話 愛の奇跡
掌の中で暴れる熱は、もはや生命の鼓動などではなく、世界を道連れにしようとする破壊の炎だった。
指の隙間から、赤黒い閃光が漏れ出す。
熱い。
防護のために纏った魔力の皮膚が、ジリジリと焼かれていくのが分かる。
このままでは、引き抜くよりも先に、わたくしの腕ごと吹き飛ぶ。
分かっているのに、指は強張ったまま動かなかった。
ここで手を離せば、目の前の患者だけでなく、背後のルーカス様まで失ってしまうという恐怖が、わたくしをその場に縫い止めていた。
「……くっ、鎮まりなさい……ッ!」
叫ぶ声が枯れる。
魔力を注ぎ込んでも、ザルに水を注ぐように吸い込まれ、爆発のエネルギーへと変換されていく。
限界だ。
視界が白く霞み、意識が遠のきかけた。
その時。
背後から、凍えるような冷気がわたくしを包み込んだ。
「一人で逝こうとするな、セレス!」
耳元で怒鳴り声が響いた瞬間、背中に強く押し付けられた胸板の鼓動が、わたくしの背骨を叩いた。
ルーカス様だ。
彼はわたくしの腰を抱きすくめ、もう片方の手で、核を掴むわたくしの手に自身の手を重ねた。
冷たい。
けれど、その冷たさは痛みではなく、焦げ付いた神経を癒やす鎮痛剤のように心地よかった。
かつて図書室で、彼の手を握った時の記憶が蘇る。
あの時はわたくしが彼を癒やした。
今は、彼がわたくしを支えている。
「ルーカス様、離れて! 爆発します!」
「させるものか。君が掴んでいるなら、私も掴む」
彼の手が、わたくしの指に絡まるように食い込んだ。
逃がさない、という強い意志。
「私の魔力を使え。回路を開け、セレス!」
彼の言葉に、わたくしは反射的に体内のゲートを開放した。
瞬間、背中から奔流のような魔力が流れ込んでくる。
それはわたくしの光の魔力とは異なる、静寂と停滞を司る青い魔力。
本来なら反発し合うはずの異質な力が、今は驚くほど自然に、わたくしの血流に溶け込んでいく。
(……ああ、繋がっている)
どこからが自分で、どこからが彼なのか分からない。
境界線が溶ける感覚。
わたくしの「治したい」という願いと、彼の「守りたい」という祈りが、一つの濁流となって指先へ殺到する。
カッ!
わたくしたちの背後から、光の翼のような輝きが噴き出した。
右は青く、左は白く。
二色の魔力が螺旋を描き、玉座の間を塗り替えていく。
「凍れ……ッ!」
「癒えて……ッ!」
二人の声が重なる。
重ねた掌から、合成された魔力が核へと突き刺さった。
キィィィィン!
空間が悲鳴を上げるような高音が響く。
自爆寸前だった赤黒い光が、外側から急速に青く凍りついていく。
爆発のエネルギーそのものを凍結させ、時間を止める。
そのわずかな隙間に、わたくしの光のメスが滑り込む。
今だ。
病巣は固定された。
あとは、切り離すだけ。
わたくしはルーカス様の手に支えられながら、渾身の力で腕を引き戻した。
ブチブチと、呪いの根が千切れる音がする。
嫌な感触。
けれど、今のわたくしには彼がいる。
一人なら竦んでしまうその感触も、二人ならただの作業に過ぎない。
「――出なさいッ!」
叫びと共に、最後の一本を引きちぎる。
スポン、と何かが抜ける軽さが手に残った。
同時に、掌の中で凍りついていた黒い塊が、光の粒子となって霧散していく。
浄化。
完璧な摘出だった。
ドォォォォ……。
地響きのような音が遠ざかっていく。
部屋を覆っていた黒い泥が、灰のように乾いて崩れ落ち始めた。
「……はぁ、はぁ……」
力が抜けたわたくしは、そのまま後ろに倒れ込んだ。
硬い氷の床ではなく、温かな腕が受け止めてくれる。
ルーカス様もまた、肩で息をしながら、わたくしを強く抱きしめていた。
髪に触れるアメジストの髪飾りが、カチリと音を立てる。
「……終わった、のか」
「はい……無事、完了しましたわ」
見上げると、眼鏡のズレたルーカス様の顔があった。
汗に濡れた前髪。
その瞳は、まだ興奮の余韻で揺れている。
生きて帰れたという安堵よりも、二人で成し遂げたという事実が、胸を熱く震わせた。
目の前の玉座には、元の姿に戻った帝国皇太子が、静かに眠るようにぐったりと座り込んでいた。
その顔色は青白いが、胸元の傷は既に塞がり、穏やかな寝息を立てている。
外から差し込む朝日が、崩れた天井の隙間を通って、瓦礫の山を照らした。
嵐は去ったのだ。
わたくしはルーカス様の胸に顔を埋め、その鼓動を聞いた。
まだ速いリズム。
それが、わたくし自身の鼓動と重なって聞こえる。
嵐が過ぎ去ったあとの静寂の中で、わたくしはこの温もりを、もう二度と離さないと誓いました。




