その一
ふっと、自分を嫌になってしまう事がある。目の前の全てがモノクロームになり、訳もなく不安や焦燥にかられてしまう事が、誰でもあると思う。
心が、枯れかけた花のように萎れて死にかけてしまう時があると思う。
そんな時に、誰でも一度は俗世を離れてふらりと旅に出たいと思うのではなかろうか。
自分が嫌になり、不意に何もかもが虚しくなって無意味に思われて、例えその旅の先に更なる絶望しかなかったとしても、とにかくその現在から逃げたくなる事があるのではなかろうか?
いや、そんな事はないよ、なに言ってんだコイツは、とあっさり言われてしまえばそれまでなのだけれど…。
秋も本格的となってきた十月下旬の月の綺麗なとある夜、かなり冷えていた。
何となく、特段の訳もなく、宛もなく。私はフラリと旅に出た。
まるで旅行会社の宣伝のキャッチフレーズみたいだが、そんなおしゃれなものでもなかったのである。
一日マスクをしたまま黙々と、まるで機械の一部みたいにこなすばかりの繰り返される虚しい仕事を終えて、朝来た道を疲れた足取りでとぼとぼと家路に着く。
コロナのご時世、仕事も通勤もぐっと面倒臭くなった。私は未だにマスクに馴染めない。
マスクをしているだけで心身ともに根っからの病人になってしまったみたいで、ぐったり気分がどうしても払拭できないのだ。
一日中息苦しいマスクをしているだけで気が滅入ってなにやら分からぬため息が出てしまう。
咳払い一つするのもためらわれる空気の中、それでも仕事の行き帰りと電車に乗らざるを得ない。
どこかぴりぴりとした緊迫感の漂う電車に誰もが恐る恐る息を潜めて黙々と揺られている。
私は立ったまま、車内に背を向けてドアの傍にもたれ込むように佇む。窓に映る虚ろな自分の顔に目を反らし、自分の顔の向こう、窓ガラスの向こう、発車の案内と共に緩やかに流れ行く駅前の、随分寂しくなったネオンがポツリポツリと光る街の明かりをぼんやり見つめている。
幾つかの駅を通り過ぎ、やがて車内から人が一人また一人減って、窓の外も光まばらな、中途半端な田舎ならではの同じような住宅街と田畑や山林ばかりの殺風景になってくる。
最寄り駅に着く頃には、車内の数少ない人々が皆疲れたように俯いている。
小一時間電車に揺られようやくたどり着いた寂れた駅。寂れたのは昨今のコロナ騒動の故ではない。駅前の商店はコロナの前から人もまばらに殆ど閉まっていて、今はシャッターの上に錆び付いた看板ばかりが煌々たる街灯に虚しく照らされている。
駅前を通り過ぎ、そこから愛用の自転車で十分ちょい。築五十年近い、味もそっけもない木造安普請のボロボロアパートに帰る。
途中で閉店間際のここ以外に買い物できる場所のない、いわばライフラインであるスーパーに立ち寄り、半額のシールが貼られた弁当や惣菜と酒を買う。
レジに若い女の子がいてくれれば嬉しい。優しい笑顔のおばさまでもいい。
お釣りを受け取り顔を挙げ、相手の目を見てありがとうと一言いう。
その時の相手の笑顔が、例えそれがビジネスライクな作り笑いであったとしても、私は嬉しい。
些細なやりとりに過ぎない。けれどもそれが一寸した細やかな日々の楽しみである。
スーパーの前で、買ったばかりの酒をプシュッと開けて素早く一缶飲み干し燃料補給をしてからまた自転車をブラブラと五分ほど漕げば、やがて愛すべき我が家もといボロアパートへ辿り着く。
もとより誰もいるはずのない暗い部屋に一応ただいまと挨拶してから入り、か細く垂れた紐を引っ張って蛍光灯の光を灯す。
やけに冷たく寒々しいその光の下に私のだらしなく荒廃した日常がさらされている。
本当に汚ならしい部屋である。
古いからではない。
私が散らかし放題だらしないから汚いのである。
敷きっぱなしの布団の側に放ってある読みかけのマンガやら雑誌やら、酒の空き缶やら空のペットボトルやコンビニ弁当の容器やら、何もかもが部屋中にでたらめに雑多に散らかっている。
毎日目にしているはずの、朝出かけた時のままの惨状である。それなのに、どうしたことだろう、今日に限って余計に退廃的に薄汚れて見えてしまう。
なんだか妙に冷静に部屋を見渡して、そのひどく荒んだ有り様に我ながらぞっとして思わず目を背けてしまったのだ。
しかし、いつまでもそっぽを向いて立ち尽くしている訳にもいかない。
ふてぶてしいゴミ達に目を背けたまま、なるべくまともなスペースを足先でちょんちょんと確保してそっと座り込み、まぁ取り合えず一安心である。
そのままぼんやりテレビのスイッチを入れ、繰り返されるコロナのニュースやら新ドラマの番宣も兼ねた賑やかしいバラエティ番組やらをふぅん等と呟きつつ見たり見なかったりしながら今日もチビチビ酒を飲む。
酒はアル中御用達のやさぐれた四リットルの甲類焼酎をコーラやサイダーで割ったものが専らである。
本当の酒飲みには怒られ軽蔑されてしまうかも知れないが、ストレートやお湯割りはどうも辛いのだ。つまり、私は真の酒飲みではないのかも知れない。金はない。けれども酔わずにはいられない。落ち着いたところが安価なやさぐれた自家製チューハイである。
二杯三杯と飲む内に、軽く酔ってきて張りつめた心が少し緩んでくる。バラエティ番組を見て軽く笑える位には、酔ってくる。
珍しくもない、毎日毎度の光景である。
ああ、今日も疲れたなぁ。ぼんやりと、それ以外、何も感じない。
どうでもいいような、虚しい日々の一コマに過ぎないが、その夜は何かがいつもと違っていた。
唐突に、不意に訳もなく、ひどく寂しくなったのである。ひどく虚ろですらある。
いや、違う。
これは今始まった感情ではない。ずっとずっと寂しかったのを、仕事や酒でなぁなぁにごまかしてきただけなんだ。
長らく寂しかったのである。孤独だったのである。
なんの弾みか、ずっと目を背け、適当にごまかし続けていたその寂しさと、この夜全く出会い頭に、正面から唐突かつ不意に目が合ってしまったのだ。
ああ、ああなんて事だ。
完全に孤独だ。
世の中こんなに人でごった返しているというのに、私には咄嗟に思い浮かぶ親しい人の顔がない。
昨日も一昨日ももっと前から事務的な会話以外に誰とも話していない。
下らない話をできるような関係の人間がいないからだ。また、何を話せば良いのかもわからないからだ。
何を今更、と思う。
気が付けば、今も昔も私の側には誰もいない。
慰めたり慰められたり寄り添いあえる彼女はおろかこんな夜に電話で馬鹿話して笑いあえる気安い友人の一人さえいない。
いや、長く生きてきて、振り返れば拙いなりに一通り人と触れ合って来たはずなのに、結局私は上手く人と付き合ってこられなかった。
今では誰かと仲良くなりたいという気持ちそのものが減衰して、一人が一番快適等と思う孤独人間に成り果ててしまった。
たった一人、毎日こうして冴えない時間ばかりを淡々と過ごして、浪費して、最後はどうなる。この散らかった部屋で孤独死か。畳の染みか。無縁仏か。
思えば、それもこれも全部、身から出た錆である。
面倒臭がったり傷付くのを恐れてばかりの弱気な臆病さの裏にあるちっぽけな自尊心を後生大事に抱えていたりしていたばかりに誰とも密接な関係を築き上げられなかったのである。
あれこれ言い訳してみても、なんの意味もない。ただもっともっと虚しく惨めになるばかりである。
時すでに遅し。
果てしない失意が水底のどす黒い沈澱物みたいに堆積していて、引っ掛かった棹がにっちもさっちも動かない。
テレビの向こう側には相も変わらず賑やかな笑い声が響いている。それも、今は聴こえていても耳には届かない。
ごつごつしたむさい己が両手で髭の剃り跡がざらつく脂っぽい己が顔を覆い、今は呻き声と共に涙すら滲んできてしまった。
どうしたらいいんだろう。何もわからない。




