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 好きな人が出来た。










 外気が艶めかしく香る。上がる気温に北風と太陽よろしくコートが脱ぎ捨てられ、上着も脱ぎ捨てられ、それでも足りず肌は汗ばむ。汗から立ち上る生き物の生の香りが外気に艶を与えるのだろうか。

 夏の外気は艶めかしい。そしてそれに誘発されるように、一夏の幻も生まれる。夏は恋の季節だと、年中発情している人間が主張する。間違いではないのだろう。纏う布の減少と立ち上る肌の香りは原始的な本能を刺激するのだろうから。

 そしてその季節の入り口。学生にとっては長い休み前の試験という名の負荷より開放された足下が最もふわふわと落ち着かない7月。

 ありふれていながらありふれない、光景があった。

 上履きのパタパタという軽い足音を立てて、少女がその教室の扉の前に立った。第二音楽室とプレートの下げられたその教室の周囲には某かを握りしめたその少女以外の人影はない。少女はためらいもなくがらりと扉を開き教室の中に踏み込んだ。大きなグランドピアノが置かれている以外は特に目立つものもない教室である。教卓や生徒用の机椅子さえない。実際の授業では使われていないのは明白だったが、掃除は行き届いていた。

 ここで前述を撤回しよう。目立つものはグランドピアノのみとしたがもう一つとても目立つものがその教室にはあった。正確には、居た。グランドピアノの陰になる床の上に座り、上体を壁に預けている。投げ出された足は長く、だらりと床に落ちた片腕もまた長い。額に乗せられている手の指も例と違わず節ばっていて長い。

 額に当てられた手の下の顔は紅潮し汗を浮かせていた。一目で高熱を発しているとわかる。使われていないだろう教室の中に、具合の悪い少年が一人座り込んでいる。

 その目立つ異物に、扉から踏み込んだ少女は小走りに駆け寄る。額に当てられた少年の手をそっとどけると、そこに握りしめていたものを半開きにして当てた。濡らされて居るのだろうピンクのタオルハンカチである。

 その感触に驚いたのか、少年がうっすらと目を開く。長いまつげに縁取られた目は切れ長で、しかし熱のためか涼やかさはなく潤んでいる。

「先輩」

 少女が甘い声で呼びかけた。

「先輩、大丈夫ですか?」

 こんなことくらいしか出来なくてごめんなさい。

 謝る少女に、少年は軽く目を見開く。

「どうして……構うなって言ったじゃないか」

「だって熱があるじゃないですか、構うなって言われたってそんなの」

「だったら人でも呼んだらいいだろ」

「だって」

 少女は口ごもる。言い辛そうに何度か視線を泳がせた少女は結局少年をみないまま、自信なげに呟いた。

 先輩、構うなって私だけにじゃなくて、きっと――





 誰にも弱いところ見せたくないのかなって、だから騒いじゃいけないのかなって、思って。





 少年が目を見張った。その拍子にするりと少年の額からハンカチが落ちる。少女は慌ててそれを拾い上げ、温くなった面を折り返しまだ冷たい面で少年の額を覆った。

 少年はそれ以上はなにも言わず、甲斐甲斐しく世話を焼いてくる少女をただ見つめた。

 熱のせいばかりではない熱さを伴った瞳で。











 小走りに廊下を行きながら、私は小さくグッと拳を握った。絶対頬が緩んでるけど誰も見てないから気にしない。ふふ。ふへへ。

 いよーっしゃ、卯月先輩必須イベントクリア!

 めんどくさかった、ほんっとめんどくさかった。

 芸術選択は音楽、使われてない第二音楽室の掃除がフラグ回収の前フリイベント。で、この音楽室での遭遇イベント。これをクリアしないと卯月先輩の好感度は上がらない。

 あ、芸術選択は音楽以外にも書道と美術がありますけどこれはハズレくじ。美術はなにも起こらないし、書道だと女子キャラのEDのフラグだから。

 ゲームだと選択肢ポチッとで掃除イベントはOKだけど、実際にとなるとそうは行かない。掃除してふうやれやれと思ってたけど、ちょっとしてまた音楽室覗いたらうっすらホコリで白くなってるし。通ったよ掃除に、週2くらいで!

 という涙ぐましい苦労話でお分かりの通り、私は今いわゆる乙女ゲームのヒロインをやっている。やっているというか、なっていたと言うか。

 オーバー30の負け組、実家暮らしの派遣職員でした。趣味は乙女と名のつくゲームとその二次創作漁り。出不精のため薄い本を買い漁ったりはしてません、一回だけ行ったけど二度行こうとは思えなかった。隠れオタクだから一緒に行ける友達もいなかったしね。年に二度の外出予定もなく、勤務時間終了と同時に家に帰ってコントローラーを握って悶えて、パソコンで二次創作を漁って悶えて。ダメなのはわかってたけどダメな生活が楽しかった。モテは疑似体験できる。バーチャルモテ最高。

 その生活の中に家族もいたし、全然親しくはなかったけど同僚も居たはずだ。いた記憶はあるけどどんな人だったかとか覚えてないんだけど。覚えているのは寝不足でたらたら歩いてたこと。新しいゲームにハマってて全キャラ制覇後のスチル集めプレイに熱くなって、コンプしたはいいけど寝れなかった。寝不足でふらふらで、で、気づいたらなんかどんって衝撃。危ないとかきゃーとかも聞こえた気がする。で、ブラックアウト。痛みとかは覚えてないってか思い出せてないけど、「あ、死んだ」と思ったのは思い出せている。

 で、第二の人生なんだけど。二度目だと気づいて、ついでにアレこれ生前スチルコンプしたゲームじゃね? と気付いたのは、高校受験の時だった。母親がパンフレットを眺めつつ、「あんたにここは無理かしらね」と溜息を吐いた。そのパンフレットの表紙。学校名とその見覚えのある校舎に、私の記憶は見事に蘇った。劇的なわけでもなく、「あ、知ってる」程度だったけど。そして思い当たったのは私の名前。ゲームはデフォルト名じゃなく自分の名前を入れてプレイする派だったから印象が薄かった。ゲームプレイ最初に出て来る『あなたの名前は?』の入力画面。そこにはデフォルト名が既に登録されていた。その表示された名前は、『志木愛実(しきめぐみ)

 私の名前だった。

 気付いた瞬間に、何か色々がーっと頭の中に入ってきた。思い出したと言うか情報が溢れたというか。

 当たり前だけどパニクった。なんですかそれ。なんの冗談ですかと。

 三つ子の魂というか前世の魂というか。私の趣味はやっぱりゲームだ。少ないお小遣いなのでネットで情報を調べて厳選した面白いゲームを買ってプレイしてる。だからゲームのタイトルやざっとした内容には詳しい。その『今』の知識の中にそんなゲームはなかった。はっきり攻略対象の名前やイベント内容、EDの告白で悶えたところまで思い出したのに。慌ててパソコンで検索をかけてもそんなゲームはヒットしなかった。学校名で検索かけたらパンフレットの学校が出てきたけど。

 え、マジですかガチですか。アレですか私今、ゲームのヒロインになれる状況にいるんですかってかヒロインなんですか。

 それを納得するまでには流石にちょーっと時間がかかりました。趣味ゲームの隠れオタクではありますが『どうやら転生して、転生先は乙女ゲームでしかもヒロイン』という電波な現実受け入れられるわけがない。恐る恐るゲームの舞台になる高校の下見とか行きましたよ。記憶にあるスチルをそのままリアルに建てたような建築物、ゲームのイベントにあった桜の木や、グラウンド脇のベンチ。そして何より攻略対象である教師の姿を、見てしまった。

 無精ひげに白衣、少し伸び気味の前髪。大柄で少し猫背の科学教師。ちょい悪オヤジというには若いけど、気だるさから色気ダダ漏れ。長月先生というそのキャラってか人ってかを見て、もう認めるしかなくなった。

 ここまで詳細な電波とかあるわけない。ここまで詳細な脳内妄想に現実が追いつくとかもっとない。

 間違いない、あのゲームだった。私の死因(ほぼ言いがかりだ分かってる)なあのゲーム、『巡る季節』!

 ゲーム『巡る季節』は、高校を舞台にした恋愛シミュレーションゲームだった。

 季節や行事なんかを多く取り入れた、魔法も怪異もない青春もの。とはいえ御曹司がいたり、天才がいたり、親戚の兄ちゃんを隠れ蓑にIT企業やってるのがいたりするのでファンタジーと言えばファンタジーだ。

 パラメーター補正はあるしキャラによってはパラが規程に達していないとED行けなかったりはするけど、基本は選択肢で好感度を稼いで行く。デートを含む日常の小イベントとフラグを立てて起こす大イベントで好感度を上げて、ルート突入イベントを経てEDへと向かう。ルートに入るとEDはそのキャラに固定される。ただルートに入っても他のキャラの小イベントは起こり続ける。ルートに入ると他のキャラの必須イベントは起きなくなるけど好感度上げは継続出来るのだ。スチルやイベントコンプ目指してるとちまちま起きてプレイ時間をカサ増ししてくれる日常イベントは結構鬱陶しいんだけど、だけど。

 リアルとなれば話は別です。だってそれってよ、本命を確保しつつ他にもモテるってことですよ旦那(誰)!

 リアル逆ハーレム可能!

 これで燃えなかったら乙女ゲームユーザーじゃないと思う。



 と言う訳で認めて自覚した私は、前世から引き継いでいた趣味をセーブした。代わりに出来た時間を勉強に充てた。何しろ志望校にするにはちょっとと言うか大幅に成績が足りませんでした。そのあたりのチートは付いてなかった。浮いたお金でちょっと美容にも気を使った。主人公設定がそうであった通りに、私の容姿は平凡そのもの。多少誤魔化す努力は必要だろうと。

 バーチャルモテは楽しかった。画面越し、コントローラー越しの疑似体験だって分かってたけど。

 私は、そのバーチャルモテをリアルモテに出来るのだ。だってヒロイン、攻略情報も頭に入っている。

 モテ願望があるから乙女ゲームにハマるのだ。そこんトコロを今更誤魔化すつもりはない。そして夢のモテ生活へのチケットが目の前にぶら下がっているのである。勉強でもなんでもしたろーじゃないか!




 そして私は見事、私立四季学園に入学し、乙女ゲーヒロインライフに突入することとなった。

流行りの乙女ゲーものです。

起承転結四話+別視点の予定。


 ゲーム情報

『巡る季節』

 二年間の学園生活を通して愛を育む恋愛シミュレーションゲーム。

 12ヶ月の苗字を持つキャラが攻略対象。実際の攻略対象は隠しキャラを含めて8人。(他は攻略不能のサブキャラやEDはあるものの女子キャラ)

 イベントを起こして好感度を上げていくタイプのオーソドックスな恋愛シミュレーション。パラメーター設定もあるが好感度優先。ぶっちゃけ選択肢を間違わなければパラ0でもクリアできるキャラがいるほどヌルイが、スチル及びイベントコンプは色々な意味で厳しい。

 EDは各キャラ3種類。完全に振られるバッドEDと、友情のノーマルED、そして恋愛ED。女子キャラは友情のみ。

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