友よもっと負けてくれ
私はパチンコがとても好きだが、それ以上にパチンコを打っている人間がとても好きだ。
特にパチンコで大負けし、金が無くなり、食費や生活がピンチになってる奴。
それが友達ならもっと良い。
勘違いして欲しくないが私は友達が勝っていてもとても嬉しい。しかし、それ以上にパチンコで負けている時が好きなだけだと言う事を承知して欲しい。
自論だが、パチンコで勝った時の喜びというのは、実はそこまで幸福度が高くないかと考えている。
その結果増える自分の金や余裕、余剰にできる遊びや金を消費する目的ができてこそやっと幸福になるのだ。
だが、敗北となるとどうだ、この資本主義社会において金というものは必要不可欠だ。
だが、ギャンブル中毒者の多くは自分の生活に必要な金という上限を超えてギャンブルをしようとしてしまう。
雑費に始まり、食費、電気代、水道代、スマホ代、果てには家賃。
使ってはいけない領域へ
どんどん金を使えば、生活に支障をきたす、その過程で減っていく金を考えないように感じながら、その人間が感じている絶望を想像するだけで、私の笑みは溢れてしまう。
なんて、人間!私はそこに人の人間の美しさというものを見出してしまう。
そうやってギャンブルというものに負けた後どうしようもなく、トボトボと家に帰る彼らの後ろ姿のなんと美しき事か。
もし、これを読んでいる人に私と同じ感性を持っている人がいるなら、ぜひパチンコを始めて、パチンカスの友達を作ると良い。
ここでパチンカスの知り合い友人がいる人に対するアドバイスだが、彼らはカスである自覚を持ちながらプライドも持ち合わせている。
彼らは少なくとも自分の金を使って金を手に入れようとした勝負師なのだ。
故に、勝負を馬鹿にする人間を嫌悪する。自分が勝負をしていないのに、利益だけ享受しようとするクズを彼らは最も嫌悪する。
もし、あなたがパチンカスの友達がパチンコで勝ったんだ〜という話をしたとして、じゃあ何か奢ってよなどとほざくものなら、脳内では相手に殺されている自覚を持つべきだ。
この地獄の釜の中で冷笑するならまだしも、この釜に入ってもいない、なんのリスクも背負っていない人間が私たちを笑う資格などないのだ。
彼らの思考はパチンコ以外になるととてもクリアだ。少し冷静に言葉を選ぶ事を勧める。
故に私はこの釜の中で友人を笑う。自分も死なないように茹でられながら。釜の熱さを忘れるように、友人を釜の深みに落ちるようにできるだけ背中を押しながら。
知り合いにパチンカスって実はいないんですかね?




