第8話 賢者の論理
ベルクトはカイの問いかけを遮ることなく、静かに最後まで聞き終えた。そして、ゆっくりと息を吐き、淡々とした口調で言った。
「大した話ではないが、カーラの耳があるところで話すのも癪だな。少し移動しよう」
そう言うと、ベルクトは先に立って食堂を出た。カイはプリルを肩に乗せ、その後を追う。足が重い。肩に乗ったプリルの体温が、やけに冷たく感じられた。
向かったのは、テッラローザの街を一望できる、小高い丘の上にある広場だった。早朝ということもあり、人影はまばらだ。
カイは歩きながら、ベルクトとの旅路を思い返していた。毒キノコを嬉々として集めていた姿、夜営で語った世界の律動の話、野盗を一瞬で殺した、あの冷たい目——。それらすべてが、今この瞬間に向かって収束していくような感覚があった。
広場に着き、ベルクトは街を見下ろすように立った。いつもの飄々とした笑みはなく、珍しく静かな表情でカイに向き直る。
「カーラ・ロッシから聞いたのだろう。あの女狐め」
一拍、間があった。
「……ああ、騎士団を殺したのは事実だ。正確には"皆殺し"ではないがな。何人かは生かしておいた」
あっさりと、ベルクトは認めた。
カイの喉が詰まった。息が、うまく吸えない。
「な……なんで……そんな……」
言葉にならない呻きが漏れた。握りしめた拳がわなわなと震える。
「奴らは私を“処分”しに来た。何もしないわけにはいくまい。それに……」
ベルクトは視線を街へ向けた。朝日に照らされた赤レンガの屋根が、穏やかに輝いている。
「効率性、というやつだ。面倒は、一度で終わらせるに限るだろう?」
その言葉に、カイは口を開きかけ——そして、閉じた。
「君の言いたいことは分かるよ、カイ」
ベルクトの声が、不意に柔らかくなった。
「私の感覚は、普通ではない。それは自覚している。だが……どうしようもないのだ。私にとって、世界の真理を解き明かすことは、他の何よりも優先される。それが私という人間だ」
初めて、ベルクトの目に、諦めに似た何かが浮かんだ。
何を言っても、この男には届かない。そんな確信だけが、胸の底に沈んでいく。
※※※※※※
腕の中のプリルが、不快そうに身じろぎをした。
カイは恐怖を紛らわせるように、もう一つの疑問を口にした。騎士団殺しの件よりは、まだマシな話題だと思ったからだ。
「ベルクト……プリルは一体何なんだ? ただの使い魔や魔物じゃないことくらい、俺にも分かる……」
ベルクトの表情が変わった。瞳の奥に、研究者としての熱が静かに灯る。
「プリルは……コードIN212H。私の長年の研究テーマ、『魂の融合実験』における、唯一の——」
言葉を選ぶように、一瞬だけ間があった。
「——生き残り、とでも言っておこうか」
「やめてっ!その話は……聞きたくないのー!いやぁぁーっ!」
プリルが甲高い悲鳴を上げ、全身を貫くような絶叫が広場に響き渡った。カイの腕の中で、まるで発作を起こしたかのように激しく震え、その半透明の体が急速に白濁していく。内部で複数の黒い影のようなものが苦しげにのたうち回り、蠢いているのが見えた。
「たすけて……くるしい……」「ママ……どこ……?」「いやだ……熱い……!」
普段の無邪気な声とは全く異なる、複数の声がプリルの体から次々と漏れ出してくる。それは幼い子供の途切れ途切れの泣き声、若い女性の甲高い悲鳴、老人の苦悶の呻き声など、明らかに異なる年齢や性別の声が混ざり合い、重なり合って、聞くに堪えないおぞましい不協和音を生み出していた。
「な……なんだこれ……!?声が……プリルの中から……?」
カイの腕が強張った。腕の中の小さな体が、別の何かに変わっていくような——得体の知れない感覚が背筋を這い上がる。
ベルクトはプリルの悲鳴を見つめ、その眉間にかすかな皺が寄った。
「私は仮説を証明するため、212体の実験体の魂を分解し、再構築し、融合を試みた」
淡々と、しかし言い訳をするでもなく、ベルクトは語った。
「その中で、唯一"個体"として安定し、自我らしきものを形成したのが、このIN212H……君たちがプリルと呼ぶ存在だ」
カイの視界が、一瞬白くなった。
212人。
この小さな体の中に——
「プリルは……プリルは一人じゃないの……みんな……みんな、プリルの中にいるの……ずっと……ずっと、一緒なの……」
か細い、しかし複数の声が重なったような響きで、プリルは必死に何かを伝えようとしていた。
「みんなって……まさか……212人分の……魂が……?」
カイの手は、氷水に浸されたように感覚を失っていた。それでも、プリルを離すことはできなかった。
「君には理解できないだろう。私も、君に理解してほしいとは思わない」
ベルクトはカイの目を見た。その瞳は、どこまでも静かだった。
朝日が、三人の影を長く伸ばしていく。
新しい一日が始まろうとしている。だがカイの足元には、まるで底の見えない穴がぽっかりと開いたような——そんな感覚だけが、重く残っていた。




