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第3話 予期せぬ歓迎

 長く続いた雨がようやく上がり、空は洗い流されたように澄んでいた。


 盗賊を壊滅させた宿場町を発ってから三日。街道沿いに現れたその街は、これまでの景色とは別世界だった。灰色の石畳が敷かれた大通りを、荷馬車と人々が絶え間なく行き交う。焼きたてのパン、なめし革の渋い匂い、果実と香辛料の甘い香り。埃っぽい土の匂いばかりを嗅いでいた鼻には、全てが殴りかかるように刺激的だった。


 フードを目深に引き下げ、人波を避けて壁際を歩く。数日前の戦闘で昂った神経はようやく落ち着きを取り戻しつつあったが、身体の芯には重い疲労が残っていた。肩が鉛のように重く、足の裏が鈍く痛む。


 それでも、腹は容赦なく空いていた。


「カイ、カイ。いい匂い」


 肩でプリルが弾み、屋台を指す。鉄板で岩羊の肉と玉葱が音を立て、湯気と香りが立ち上っていた。カイの腹が、ぐぅ、と鳴る。


「……そうだな。昼にするか」


 日用品を少し買い足し、肉の串焼きを二本と黒パンを一つ手に入れる。人通りのない噴水の縁に腰掛け、熱い串焼きにかぶりついた。肉汁が口に溢れ、塩と香辛料が空腹に染みる。三日間、干し肉と固いパンしか口にしていなかった胃袋が、悲鳴にも似た歓喜の声を上げる。


「プリルも食うか?」


「くう!」


 差し出した肉片をプリルが体内に取り込み、とろりとピンク色に染まる。その平和さに、カイの口元が緩んだ。


 このまま腹を満たし、どこか安い宿を見つけて、泥のように眠る。そんなささやかな願いは、複数の足音に打ち砕かれた。


「――いたぞ! あの若者だ!」


 甲高い声に顔を上げると、屈強な衛兵たちに囲まれていた。揃いの紋章が入った盾。彼らが道を開ける先に、一人の男が立っていた。


 紫の豪奢な服に、金糸の刺繍。指にはいくつもの宝石がきらめく。人の良さそうな笑みの奥で、瞳だけが品定めをするように光っていた。


 面倒なことになった、とカイは直感した。


 反射的に立ち、食べかけのパンを懐に隠してフードを被り直す。だが、遅すぎた。


「あの人よ! お父さん、お母さん! リナを助けてくれた人!」


 背後からの、鈴を転がすような声。数日前に救った少女だ。


 その声が呪文のように喧騒を凍らせた。市場へ向かう人々、井戸端の女たち、店の商人。全ての視線が、針となってカイに突き刺さる。


 まずい。逃げ場がない。人々が、じりじりと距離を詰めてくる。好奇心と、無責任な期待に満ちた目。カイは波の中心で立ち往生した


「おお、あなたが噂の若き英雄殿か!」


 領主が芝居がかった仕草で両手を広げ、歩み寄る。声が妙によく通った。


 「我が領地の厄介者を一掃してくれたこと、心から感謝する。早馬の知らせで聞いてはいたが、これほどの若者とは! 私はマルクス。この街の領主だ。名は?」


 カイは口の中に残っていた肉を慌てて飲み込み、視線を彷徨わせた。どう答えるのが正解なのか。下手に名乗れば面倒事が増えるが、黙っていれば解放されそうにない。

 

 「……カイです」


 ようやく絞り出した声は、自分でも情けないほどにか細く、掠れていた。こういう時、どう振る舞うのが正解なのか、カイには全く分からなかった。ただ、居心地の悪さから、無意味に地面に視線を落とすことしかできない。


 しかし、そのカイの素っ気ない返答に、領主マルクスはなぜか満足そうに大きく頷いた。


「カイ殿! 素晴らしい響きだ! 簡潔にして、力強い! まさに英雄にふさわしいお名前ですな!」


 周囲から「おお…」という感嘆の声が漏れた。


 違う。カイが否定しようと口を開きかけたが、マルクスの言葉の奔流がそれを許さない。カイの寡黙で不器用な態度は、彼の意図とは真逆に、百戦錬磨の強者が持つ「動じない風格」として、人々の目には映っているようだった。。


 その時、人垣をかき分け、リナを連れた夫婦が進み出た。父親は言葉もなく深々と頭を下げ、母親は涙顔のままカイの外套にすがりついた。


「本当に……ありがとうございます……! この子がもう二度と……何とお礼を言ったら……」


 母親がカイの外套にすがりつく。


 カイの身体が、板のように硬直した。


 どうすればいい? 背中を叩くべきか? それとも突き放すべきか? どちらも違う気がして、カイの両手は行き場を失い、空中で不自然に泳いだ。


 しゃくりあげる母親の横から、リナが顔を出し、ぎこちない笑みで手を振る。その瞬間、カイの胸の奥がに手触りのある温もりが広がる。ただ、この家族が今日、当たり前のように飯を食い、笑い合えるのだという事実。それが、じわりと腑に落ちた。


 「……よかったな」


 カイが言えたのは、それだけだった。


「ささ、カイ殿! こんな場所で立ち話もなんだ! 今宵は宴だ! 我が館で、ぜひ武勇伝をお聞かせ願いたい!」


「あ、いや……俺は、その」


 権力者からの誘いをどう断るか、ベルクトは教えてくれなかった。いや、あいつが知っていたとも思えないが。


 カイが答えあぐねて視線を泳がせていると、肩の上のプリルが弾んだ。


「カイ! パーティ!おにく!」


 肩のプリルだけが楽しげに跳ねる。プリルには、カイの迷いなど関係ないらしい。


「はっはっは! 使い魔殿も乗り気だ! 謙遜なさらず! さあ、こちらへ!」


 カイの逡巡を、英雄の慎み深さと解釈したらしいマルクスは、有無を言わさずカイの背中に手を添え、自らの館の方角へと促した。衛兵たちが道を開け、市民たちは拍手と歓声でそれに続く。


 まるで、凱旋のパレードだ。人の波に押し流されながら、カイはため息を殺した。


 隣のマルクスが、探るような視線で口を開く。


「して、カイ殿。あなたほどの腕前、王宮からもお声がかかっているのでは? いやはや、羨ましい。この街はどうも中央からは忘れられているようでね」


 少し間を置いて、マルクスは声のトーンを落とした。


「いっそ、あなたのような方が守護者として留まってくだされば、我々も心強いのだが……ご検討願えないだろうか? 報酬は、もちろん、相応のものを」


 その言葉に透ける下心。


 カイは適当に頷きながら、腹の中で計算を始めた。宴で腹いっぱい食ったら、夜明け前にこの街を出よう。静かに、誰にも気づかれずに。

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