第22話 鍛冶アルティとレナータ
さらに数日後、テッラローザの空が抜けるような青色に染まった日中のことだった。
鍛冶炉の炎が、レナータの横顔を赤く照らす。工房に満ちるのは、リズミカルな槌音、焼ける金属の匂い、そして彼女の集中が生む張り詰めた空気だけだ。
「ドンドンッドン! 」
その時、工房の重い扉が、まるで蹴破るかのように乱暴に叩かれた。
驚いて顔を上げたカイとレナータの視線の先で、扉は許可を待つこともなく無遠慮に開け放たれ、二人の男がずかずかと踏み込んできた。
先頭に立つのは、小太りで脂ぎった顔をした役人風の男だった。その後ろには、若い職人風の男が、どこか怯えたような表情で付き従っている。
「よう、レナータ。まだこんな薄暗い穴倉で槌を振るってるのかね? 相変わらず“らしい”じゃないか」 役人風の男は、工房の中を不快そうに見回しながら、レナータの肩越しに見える尖った耳をわざとらしく指さし、嘲るような粘ついた笑みを浮かべた。
その言葉と態度には、隠そうともしない侮蔑の色が滲んでいた。
ベルクトは書物から顔を上げることなく、しかしその場の空気の変化を敏感に感じ取っているようだった。プリルはカイの肩にしがみつき、不安そうに役人たちを見つめている。
レナータは槌を置き、燃え盛る炉を背にして役人に向き直った。その表情は冷静だったが、瞳の奥には氷のような怒りの炎が揺らめいていた。
「…何の用だ、バルドゥッチ会計官。私は今、手が離せないのだけど」
バルドゥッチと呼ばれた役人は、レナータの冷ややかな態度にも怯むことなく、懐から羊皮紙の巻物をこれみよがしに取り出した。
「アルティからの“緊急の仕事”だ、レナータ。近隣の領主からの急な発注でな、質の悪い鉄屑を使った、まあ、お世辞にも儲けが良いとは言えんが、それでも大量の槍と矢じりを今月中に納品せねばならん。お前さんの“腕”を見込んで、特別にこの仕事を回してやったんだ。感謝しろよ?」
その言葉は、明らかにレナータの技術を安く買い叩き、面倒な仕事を押し付けようという魂胆が見え透いていた。 レナータは冷ややかに言い返す。
「アルティには他にも腕の立つ鍛冶師がいるでしょ。なぜ私にそんな“名誉な”仕事が回ってくるのよ? まさかとは思うけど、また誰かの尻拭いを私に押し付けるつもりじゃないでしょうね?」
バルドゥッチは、レナータの皮肉に顔を歪めた。
「口の減らない女だ。いいか、レナータ、お前はアルティに所属させてもらっている“恩義”というものを忘れたわけではあるまい? お前のような“半端者”が、一人前に鍛冶場を構えていられるのは、我々アルティの寛大さがあってこそだということを、ゆめゆめ忘れるなよ」
その言葉は、レナータの出自を的確に、そして残酷に抉った。レナータの肩が微かに強張るのを、カイは見逃さなかった。 カイは、思わず一歩前に出そうになる。
「…カイ、手を出さないで」
レナータの静かだが芯の通った声が、カイの動きを止める。彼女はカイを見ることなく、ただ真っ直ぐにバルドゥッチを睨みつけていた。
「私の工房は“穴倉”かもしれない。でも、私はアルティに“所属させてもらっている”のではなく、私の技術でアルティに“貢献している”のだと、そう自負しているわ。その“緊急の仕事”とやらは、他を当たってくれない?私は今、それどころではないの」
レナータの言葉は、凍てつく刃のように鋭かった。バルドゥッチの顔が怒りで赤黒く染まる。
「…ほう、この私に逆らうというのか、この半魔風情が。いいだろう、そこまで言うなら、今後アルティからお前の工房への素材の融通がどうなるか…まあ、せいぜい楽しみにしているがいい。お前がどれだけ腕が立とうと、素材がなければ何も作れんだろう?」
それは、職人にとって最もたちの悪い脅しだ。レナータの顔から血の気が引いた。彼女は唇を噛み締め、数秒間の重い沈黙の後、不本意ながらも、絞り出すような声で言った。
「……分かったわ。その仕事は受ける。でも、量は半分よ。それ以上は物理的に不可能だから」
バルドゥッチは、勝ち誇ったように鼻を鳴らし、嫌味な笑みを浮かべた。
「最初からそう言えばいいものを。まあ、せいぜい腕を振るうんだな、“半端者”」
そう言い残し、バルドゥッチは供の若い職人を顎で促し、工房から出て行った。若い職人は、最後に一度だけ、申し訳なさそうにカイたちの方を振り返ってから、慌てて役人の後を追った。
残された工房には、重苦しい沈黙が支配した。炉の炎がパチパチと音を立てるのだけが、やけに大きく聞こえた。 カイはたまらず声を上げた。
「レナータ…!なんであんな奴らの言うこと…!」
その瞬間、まるで堰を切ったように、レナータの抑え込んでいた感情が溢れ出した。
「……いつものことよ……慣れてる」
彼女の声は震えていた。瞳には、怒りと、悲しみと、そして深い絶望の色が浮かんでいた。
「私は……“ラスナの血を引く女”だから。父さんもそうだったの……ただの腕の良いラスナの鍛冶師だった。誰よりも真摯に鉄と向き合い、魂を込めて槌を振るっていたのに……“異端”の血は、どれだけ腕を磨いても、どれだけ誠実に仕事をしても、決して認められはしなかったわ」
レナータは一度言葉を切り、苦い記憶を辿るように目を伏せた。
「昔、アルティが年に一度開く大きな祝祭があったの。その年の最も優れた作品を称える、華やかな祭典よ。父も、渾身の作である剣を出した。それは……本当に見事な剣だったわ。月光を編み込んだような、静かで、力強い輝きを放っていた。父は少しだけ、期待していたのかもしれない」
カイは固唾を飲んでレナータの言葉に耳を傾けた。彼女の声は、淡々としているようでいて、その奥に抑えきれない感情の揺らぎがあった。
「けれど、父の剣が披露された途端、アルティの幹部たちの顔つきが変わった。彼らは剣を直接手に取ろうともせず、遠巻きに眺めては囁き合ったわ。『この剣は、我らの伝統から外れる』『清い炎で鍛えられたものとは思えぬ』『ラスナの血が、鉄に何か不浄なものを混ぜたのではないか』…そんな声が、次々と父に投げつけられた」
レナータの言葉に、侮蔑と怒りが滲む。
「父は必死に何かを言おうとしたけれど、その声は誰にも届かなかった。そして、長老の一人が厳かに宣言したの。『この剣は、アルティの清浄さを脅かす“異質なもの”だ。よって、“聖別”し、永久に封じる』って」
「“聖別”…?」
カイが訝しげに繰り返す。
「そう、“聖別”よ。聞こえはいいけれど、父の剣は、大勢の職人や街の人々が見守る中で、まるで呪われた遺物みたいに扱われたわ。白い手袋をした連中が、祈りの言葉のようなものを唱えながら、重々しい鉛の箱に納めて封印したの。父の魂そのものが、汚らわしいものとして葬られたようなものだった」
その光景を想像し、カイは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。それは、職人にとってこれ以上ない屈辱だろう。
「それだけじゃないの」
レナータの声が、さらに低くなる。
「父自身も、『アルティの調和を乱す要注意人物』として、工房の作業を一部制限され、常に監視の目が光ることになった。彼らはね、自分たちがアルティの伝統と品位を守っていると、本気で信じているのよ。そのために、一人の職人の誇りも魂も、平気で踏みにじる。あの時の父の背中…何も言えず、ただ小さく震えていたあの背中を、私は一生忘れられない」
彼女の瞳からは、大粒の涙がとめどなく溢れ落ちる。長年心の奥底に封じ込めていた、深い悲しみと怒りの奔流だった。
「あの日から、父は変わってしまった。酒に逃げ、炉の火も弱々しくなり……そして最期は自分の打った剣で……」
レナータはそれ以上言葉を続けることができず、顔を覆った。
「私も、この工房で20年以上、槌を振るってきた。アルティの、ふんぞり返っているだけの親方連中なんかより、よっぽど魂を込めたものを作ってきた自信があるわ。でも…どんなに腕を磨いても、アルティの中じゃ、私はいつまで経っても一人前扱いはされない!」
彼女の拳は固く握りしめられ、その肩は悔しさに震えていた。それは、長年積み重なった不当な扱いと、認められない才能への渇望の叫びだった。
「こんな……あんな連中のご機嫌取りみたいな、魂の抜けた仕事ばかりやらされて…いつか私のこの腕も、この“火魂の囁き”も、本当に錆びちゃいそうで……怖い……!本当は……もっと……!自分の限界を超えるような、誰も見たことのないようなものを……打ちたいのに……!」
その言葉には、才能ある職人が抱える、純粋で切実な恐怖と渇望が込められていた。 そして、彼女はカイの方を向き、その潤んだ瞳で真っ直ぐに彼を見つめた。
「だから……カイ。あんたが、あの『星詠みの涙』を持ってきた時……どれだけ私の魂が震えたか、分かる……!?この街で、あんな希少で、挑戦しがいのある素材が、私のところに回ってくることなんて、絶対にないの……!」
カイは、レナータの魂からの叫びに言葉を失い、ただ立ち尽くすしかなかった。彼女の苦しみ、彼女の情熱、そして自分に向けられた、あまりにも重く、しかし純粋な期待。その全てが、カイの胸に深く突き刺さった。
レナータは、全てを吐き出した後、まるで糸が切れた人形のようにふらつき、倒れそうになった。カイが咄嗟に駆け寄り、その体を支える。レナータの体は、激しい感情の昂ぶりの後で、熱く燃えているようだった。
「…ごめん、らしくないことを…喋りすぎたわ…」
彼女はカイの腕の中で、弱々しく呟いた。そして彼女はカイの手を振り払い、まるで何かに憑かれたように、再び鍛冶炉へと向かっていった。その背中には、悲壮なまでの覚悟が漂っていた。カイは、そんな彼女の後ろ姿を、ただ黙って見つめることしかできなかった。




