表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/72

第22話 鍛冶アルティとレナータ

 さらに数日後、テッラローザの空が抜けるような青色に染まった日中のことだった。


 鍛冶炉(かじろ)の炎が、レナータの横顔を赤く照らす。工房に満ちるのは、リズミカルな槌音、焼ける金属の匂い、そして彼女の集中が生む張り詰めた空気だけだ。


「ドンドンッドン! 」


 その時、工房の重い扉が、まるで蹴破るかのように乱暴に叩かれた。


 驚いて顔を上げたカイとレナータの視線の先で、扉は許可を待つこともなく無遠慮に開け放たれ、二人の男がずかずかと踏み込んできた。


 先頭に立つのは、小太りで脂ぎった顔をした役人風の男だった。その後ろには、若い職人風の男が、どこか怯えたような表情で付き従っている。


「よう、レナータ。まだこんな薄暗い穴倉で槌を振るってるのかね? 相変わらず“らしい”じゃないか」 役人風の男は、工房の中を不快そうに見回しながら、レナータの肩越しに見える尖った耳をわざとらしく指さし、(あざけ)るような粘ついた笑みを浮かべた。


 その言葉と態度には、隠そうともしない侮蔑の色が(にじ)んでいた。


  ベルクトは書物から顔を上げることなく、しかしその場の空気の変化を敏感に感じ取っているようだった。プリルはカイの肩にしがみつき、不安そうに役人たちを見つめている。


 レナータは槌を置き、燃え盛る炉を背にして役人に向き直った。その表情は冷静だったが、瞳の奥には氷のような怒りの炎が揺らめいていた。


「…何の用だ、バルドゥッチ会計官。私は今、手が離せないのだけど」


  バルドゥッチと呼ばれた役人は、レナータの冷ややかな態度にも怯むことなく、懐から羊皮紙の巻物をこれみよがしに取り出した。


「アルティからの“緊急の仕事”だ、レナータ。近隣の領主からの急な発注でな、質の悪い鉄屑を使った、まあ、お世辞にも儲けが良いとは言えんが、それでも大量の槍と矢じりを今月中に納品せねばならん。お前さんの“腕”を見込んで、特別にこの仕事を回してやったんだ。感謝しろよ?」


  その言葉は、明らかにレナータの技術を安く買い叩き、面倒な仕事を押し付けようという魂胆が見え透いていた。 レナータは冷ややかに言い返す。


「アルティには他にも腕の立つ鍛冶師がいるでしょ。なぜ私にそんな“名誉な”仕事が回ってくるのよ? まさかとは思うけど、また誰かの尻拭いを私に押し付けるつもりじゃないでしょうね?」


  バルドゥッチは、レナータの皮肉に顔を歪めた。


「口の減らない女だ。いいか、レナータ、お前はアルティに所属させてもらっている“恩義”というものを忘れたわけではあるまい? お前のような“半端者”が、一人前に鍛冶場を構えていられるのは、我々アルティの寛大さがあってこそだということを、ゆめゆめ忘れるなよ」


 その言葉は、レナータの出自を的確に、そして残酷に抉った。レナータの肩が微かに強張るのを、カイは見逃さなかった。 カイは、思わず一歩前に出そうになる。


「…カイ、手を出さないで」


 レナータの静かだが芯の通った声が、カイの動きを止める。彼女はカイを見ることなく、ただ真っ直ぐにバルドゥッチを睨みつけていた。


「私の工房は“穴倉”かもしれない。でも、私はアルティに“所属させてもらっている”のではなく、私の技術でアルティに“貢献している”のだと、そう自負しているわ。その“緊急の仕事”とやらは、他を当たってくれない?私は今、それどころではないの」


  レナータの言葉は、凍てつく刃のように鋭かった。バルドゥッチの顔が怒りで赤黒く染まる。


「…ほう、この私に逆らうというのか、この半魔風情が。いいだろう、そこまで言うなら、今後アルティからお前の工房への素材の融通がどうなるか…まあ、せいぜい楽しみにしているがいい。お前がどれだけ腕が立とうと、素材がなければ何も作れんだろう?」


  それは、職人にとって最もたちの悪い脅しだ。レナータの顔から血の気が引いた。彼女は唇を噛み締め、数秒間の重い沈黙の後、不本意ながらも、絞り出すような声で言った。


「……分かったわ。その仕事は受ける。でも、量は半分よ。それ以上は物理的に不可能だから」


 バルドゥッチは、勝ち誇ったように鼻を鳴らし、嫌味な笑みを浮かべた。


「最初からそう言えばいいものを。まあ、せいぜい腕を振るうんだな、“半端者”」


  そう言い残し、バルドゥッチは供の若い職人を顎で促し、工房から出て行った。若い職人は、最後に一度だけ、申し訳なさそうにカイたちの方を振り返ってから、慌てて役人の後を追った。


 残された工房には、重苦しい沈黙が支配した。炉の炎がパチパチと音を立てるのだけが、やけに大きく聞こえた。 カイはたまらず声を上げた。


「レナータ…!なんであんな奴らの言うこと…!」


  その瞬間、まるで堰を切ったように、レナータの抑え込んでいた感情が溢れ出した。


「……いつものことよ……慣れてる」


  彼女の声は震えていた。瞳には、怒りと、悲しみと、そして深い絶望の色が浮かんでいた。


「私は……“ラスナの血を引く女”だから。父さんもそうだったの……ただの腕の良いラスナの鍛冶師だった。誰よりも真摯に鉄と向き合い、魂を込めて槌を振るっていたのに……“異端”の血は、どれだけ腕を磨いても、どれだけ誠実に仕事をしても、決して認められはしなかったわ」


 レナータは一度言葉を切り、苦い記憶を辿るように目を伏せた。


「昔、アルティが年に一度開く大きな祝祭があったの。その年の最も優れた作品を称える、華やかな祭典よ。父も、渾身の作である剣を出した。それは……本当に見事な剣だったわ。月光を編み込んだような、静かで、力強い輝きを放っていた。父は少しだけ、期待していたのかもしれない」


 カイは固唾を飲んでレナータの言葉に耳を傾けた。彼女の声は、淡々としているようでいて、その奥に抑えきれない感情の揺らぎがあった。


「けれど、父の剣が披露された途端、アルティの幹部たちの顔つきが変わった。彼らは剣を直接手に取ろうともせず、遠巻きに眺めては囁き合ったわ。『この剣は、我らの伝統から外れる』『清い炎で鍛えられたものとは思えぬ』『ラスナの血が、鉄に何か不浄なものを混ぜたのではないか』…そんな声が、次々と父に投げつけられた」


 レナータの言葉に、侮蔑と怒りが滲む。


「父は必死に何かを言おうとしたけれど、その声は誰にも届かなかった。そして、長老の一人が厳かに宣言したの。『この剣は、アルティの清浄さを脅かす“異質なもの”だ。よって、“聖別”し、永久に封じる』って」


「“聖別”…?」


 カイが訝しげに繰り返す。


「そう、“聖別”よ。聞こえはいいけれど、父の剣は、大勢の職人や街の人々が見守る中で、まるで呪われた遺物みたいに扱われたわ。白い手袋をした連中が、祈りの言葉のようなものを唱えながら、重々しい鉛の箱に納めて封印したの。父の魂そのものが、汚らわしいものとして葬られたようなものだった」


 その光景を想像し、カイは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。それは、職人にとってこれ以上ない屈辱だろう。


「それだけじゃないの」


レナータの声が、さらに低くなる。


「父自身も、『アルティの調和を乱す要注意人物』として、工房の作業を一部制限され、常に監視の目が光ることになった。彼らはね、自分たちがアルティの伝統と品位を守っていると、本気で信じているのよ。そのために、一人の職人の誇りも魂も、平気で踏みにじる。あの時の父の背中…何も言えず、ただ小さく震えていたあの背中を、私は一生忘れられない」


 彼女の瞳からは、大粒の涙がとめどなく溢れ落ちる。長年心の奥底に封じ込めていた、深い悲しみと怒りの奔流だった。


「あの日から、父は変わってしまった。酒に逃げ、炉の火も弱々しくなり……そして最期は自分の打った剣で……」


 レナータはそれ以上言葉を続けることができず、顔を覆った。


「私も、この工房で20年以上、槌を振るってきた。アルティの、ふんぞり返っているだけの親方連中なんかより、よっぽど魂を込めたものを作ってきた自信があるわ。でも…どんなに腕を磨いても、アルティの中じゃ、私はいつまで経っても一人前扱いはされない!」


  彼女の拳は固く握りしめられ、その肩は悔しさに震えていた。それは、長年積み重なった不当な扱いと、認められない才能への渇望の叫びだった。


「こんな……あんな連中のご機嫌取りみたいな、魂の抜けた仕事ばかりやらされて…いつか私のこの腕も、この“火魂の囁き”も、本当に錆びちゃいそうで……怖い……!本当は……もっと……!自分の限界を超えるような、誰も見たことのないようなものを……打ちたいのに……!」


 その言葉には、才能ある職人が抱える、純粋で切実な恐怖と渇望が込められていた。 そして、彼女はカイの方を向き、その潤んだ瞳で真っ直ぐに彼を見つめた。


「だから……カイ。あんたが、あの『星詠みの涙』を持ってきた時……どれだけ私の魂が震えたか、分かる……!?この街で、あんな希少で、挑戦しがいのある素材が、私のところに回ってくることなんて、絶対にないの……!」


  カイは、レナータの魂からの叫びに言葉を失い、ただ立ち尽くすしかなかった。彼女の苦しみ、彼女の情熱、そして自分に向けられた、あまりにも重く、しかし純粋な期待。その全てが、カイの胸に深く突き刺さった。


 レナータは、全てを吐き出した後、まるで糸が切れた人形のようにふらつき、倒れそうになった。カイが咄嗟に駆け寄り、その体を支える。レナータの体は、激しい感情の昂ぶりの後で、熱く燃えているようだった。


「…ごめん、らしくないことを…喋りすぎたわ…」


  彼女はカイの腕の中で、弱々しく呟いた。そして彼女はカイの手を振り払い、まるで何かに憑かれたように、再び鍛冶炉へと向かっていった。その背中には、悲壮なまでの覚悟が漂っていた。カイは、そんな彼女の後ろ姿を、ただ黙って見つめることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ