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第20話 困難な仕事

 テッラローザの太陽が、工房の埃っぽい窓ガラスを通して斜めに差し込み、鍛冶炉(かじろ)の残り火と混じり合って、奇妙な琥珀色の光の帯を床に描いている。


 レナータの工房での共同生活が始まってから、半月ほどの時が流れていた。鉄と炎の匂いが染みついたこの場所も、カイたちの存在によって、以前ほどの厳格な閉鎖感は薄れ、どこか生活の温もりが漂い始めていた。


 工房の隅には、カイが運び込み、丁寧に整理した薪が壁際に積み上げられ、その隣には使い古された道具類が機能的に並べられている。さらにその片隅では、プリルがカイの古いシャツをベッド代わりに丸くなり、すやすやと寝息ともつかぬ微かな光の明滅を繰り返していた。


 レナータの作業場だけは、相変わらず彼女の聖域としての厳粛な雰囲気を保っている。しかし、その神聖さの中にも、彼女の苦闘の跡は隠しようもなく刻み込まれていた。


 床には飛び散った火花の焦げ跡が点々と残り、壁に立てかけられた金床には無数の傷が刻まれ、作業台の上には使い込まれた様々な種類の槌や金鋏が、まるで戦い疲れた古兵のように横たわっている。そして、その脇には失敗作とおぼしき歪んだ金属片の山が積み上げられていた。


 工房は、カイ、ベルクト、そしてプリルという三人と一匹が生活するには、決して広いとは言えなかった。むしろ、やや手狭なくらいだ。しかし、その物理的な近さが、かえって彼らの心の距離を縮めているようにも感じられた。


 工房の中央には、この場所の心臓とも言うべき巨大な鍛冶炉が鎮座し、その内部には常に熾火が赤い舌を覗かせている。その熱気は、工房全体の空気を乾燥させ、独特の緊張感を孕んでいた。


 テッラローザの天候は、特有のからりとした晴れ間が多いが、この半月の間には、何度か激しい夕立が工房の屋根を叩いた。そんな日は、雨音が炉の音や槌音と混じり合い、奇妙な協奏曲を奏でていた。


 カイは、日の出と共に起き出し、工房の掃除、薪割り、水桶の水を新しく汲み置きすることから一日を始めた。彼の動きは、この半月でずいぶんと手慣れたものになっていた。


 その後は、レナータやベルクトのために簡単な食事を準備する。カイが大きな鍋で煮込んでいたのは、野菜と古くなったパンのスープだった。人参と玉ねぎの甘い香りに、豆のほっくりとした匂いが混じり、工房に質素だが温かな湯気を漂わせている。傍らでは、干し肉の薄切りが熾火でじりじりと音を立てていた


 レナータが作業に没頭している間、カイは物音ひとつ立てぬよう気を配り、彼女の槌音や炉の燃える音に耳を澄ませた。彼女が「星詠みの涙」と格闘する姿には、畏敬の念と共に、日増しに強くなる心配の念を禁じ得なかった。


 レナータの銀灰色の髪は作業の邪魔にならないよう、無造作に革紐で束ねられている。額には汗が光り、頬は炉の熱で赤く染まっていた。だが、ふとした瞬間に覗く疲労の色はあまりに深く、カイの胸を締め付けた。


 何か彼女を手伝いたかったが、鍛冶の知識も技術もない自分が下手に手を出しても、彼女の集中を乱すだけだろう。


 そんな葛藤を抱えながら、カイはベルクトから課された魔法の訓練に黙々と取り組んだ。工房の隅で、指先に集まる微かな魔力の感覚を確かめる。プリルが時折、そんなカイの肩に乗り、彼の髪を弄って遊んだり、小さな声で応援したりするのが、唯一の息抜きだった。


 レナータは、カイのそんな献身的な態度を、不器用ながらも感じ取ってはいた。昼夜を問わず鍛冶炉の前に立ち、槌を振るう彼女の耳には、時折、カイが薪を割る音、水を運ぶ音が聞こえた。


 ベルクトは、工房の隅に置かれた古びた肘掛け椅子に深く腰を下ろし、そのほとんどの時間を革表紙の分厚い書物を読むことに費やしていた。彼の周囲だけが、まるで時が止まったかのように静かで、ページをめくる乾いた音だけが、時折、工房の喧騒に紛れて聞こえてきた。


 しかし、レナータが「星詠みの涙」の加工に苦戦している時、ふと気がつくとベルクトは書物から顔を上げ、その作業を静かに観察している時があった。


「何か用?今、邪魔されたくないんだけど」


 苛立ちを隠せないレナータであったが、ベルクトは飄々(ひょうひょう)とした態度を崩さなかった。


「いや、失礼。ただ、君の祝福と、その石の律動の相互作用が実に興味深くてね」


 レナータは睨むような視線をベルクトに向けたが、すぐに作業に戻った。ただ、その表情にはわずかな驚きが混じっていた。


 数日後の深夜。カイは離れの寝床で浅い眠りについていたが、ふと、工房の方から聞こえてくる微かな物音に気づき、そっと目を開けた。昼間の喧騒が嘘のような静寂の中で、その音は不気味なほどはっきりと耳に届いた。


 不安が胸をよぎり、カイは息を殺して起き上がる。足音を忍ばせ、工房へと続く扉をゆっくりと開けると、|鍛冶炉の前に、レナータが倒れ込むように座り込んでいる。その肩は荒い息に合わせて大きく上下し、月明かりに照らされた横顔は、まるで死人のように青白かった。額には脂汗がびっしりと浮かび、普段は力強く握られているはずの槌が、彼女の手から滑り落ち、床に転がっていた。


「レナータ!」


 カイは思わず叫び、彼女の元へ駆け寄った。その声に、レナータは弱々しく顔を上げる。焦点の定まらない瞳が、カイの姿を捉えるのに時間を要しているようだった。


 「大丈夫か!?」


 彼は自分の袖で彼女の額の汗を拭い、近くにあった水差しから水を汲んで、震える手で彼女に差し出そうとした。


「…ああ、カイ…ちょっと、ね…」


 レナータの声はかすれていた。


「この石…まるで、生きているみたいに…強い『律動』を放ってるの…並の精神力じゃ…同調するだけで、魂ごと削り取られちゃう……」


 普段の彼女からは想像もできない弱音が、その唇からこぼれ落ちる。カイは、何も言えなかった。気の利いた言葉など、何一つ思い浮かばなかった。ただ、彼女のそばにいて、その冷たい背中をさすったり、震える肩をそっと抱き寄せたりすることしかできなかった。まるでロウソクが尽きかけているかのように、レナータの生命力は弱々しく揺らめいていた。


 レナータは最初、「余計な世話を……焼かないで……」と、いつものように強がろうとしたが、その声には力がなく、カイの真摯な介抱に抵抗する気力すら残っていないようだった。彼女は、されるがままにカイの肩に頭を預け、荒い呼吸を繰り返した。その姿は、普段の厳格な職人の顔とは似ても似つかない、痛々しいほど脆く、儚げだった。


 彼女はカイの肩に額を押し付け、その表情を隠すように俯いた。震える指先が、戸惑うようにカイの服の裾を弱々しく掴む。


 その時、工房の奥の暗がりから、静かに人影が現れた。ベルクトだった。レナータの衰弱した様子と、作業台の上で依然として妖しい光を放ち続ける「星詠みの涙」を一瞥すると、彼は事もなげに言った。


「ふむ、やはり『星詠みの涙』は術者を選ぶか。その石の律動は清浄すぎる。故に不純な干渉を許さず、調和するには高い精神集中と純粋な同調が必要となる。君の祝福、『火魂の囁き』との相性は良いはずだが、これほどの代物となると骨が折れるだろうな」


 その冷静な分析は、カイの心に小さな反感を呼び起こした。


 だが、今はレナータのことが最優先だ。 カイはただ黙って彼女の背中をさすり続けた。


 カイの掌から伝わる温もりに、強張っていたレナータの肩から、ほんの少しだけ力が抜けていくのが分かった。


 工房の外からは、夜の虫の音が、二人の間の沈黙を埋めるように響いていた。

たくさんの作品の中からお時間をいただき、ありがとうございます!


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