after that
「ミアン」
呼ばれて振り返ったミアンは愛しい声の主へ顔を向けた。
ちょうどフィリエリナが狩から帰ってきたところのようで、片手に野うさぎをぶら下げていた。
温かな笑顔を見てミアンも口元が緩んだ。
「おかえりなさい。わたしの方はまだかかりそう」
「そう? ほとんど終わってるみたいだけど」
フィリエリナが近づきつつ言葉を交わす。
ミアンは小川で洗い物をしていた。旅で汚れた衣服や鍋などをまとめてきれいにしていたのだ。
だいたいは終えていて近くの木の枝に干されている。陽射しが暖かなこの日は早く乾きそうだ。
ここは森を抜けた道さえない場所。林や岩場が点在して見通しが良いとは言えないが、狩にはうってつけだ。
野うさぎを近くに下ろしたフィリエリナは、ミアンのそばに寄ると整えられた髪をなでる。ミアンはくすぐったそうに微笑んだ。
怪物を倒し、黒い塔から抜け出すことに成功したミアンはフィリエリナの故郷へと旅をしていた。
黒い塔までは聞き込みをしながら回り道して来たフィリエリナだったが、故郷へは最短距離を目指して進んでいた。
旅の間、フィリエリナはミアンに自分たちの常識を教えていた。家族や民族、国や宗教など。それに日常についてのことも。
さらにフィリエリナはミアンに弓を教え、小剣を持たせた。
ミアンが一番驚いたことは鏡に映った自分の顔だ。黒い塔にいるときは鏡というものを知らなかったから。
小さな手鏡に映った顔。ガリガリに痩せて髪の長い少女。切長な眉に好奇心が強そうな目。まさかこれが自分とは思えなくて、何度も手で顔をさわってしまった。
フィリエリナと旅してからずいぶんと食生活も変わり、痩せて栄養失調気味だったミアンも多少ふっくらしてきて、年頃の少女の体型になっていた。
それでもなぜフィリエリナがこんなにも優しくしてくれるのがわからなかった。
最初の頃は、いろいろとへまばかりして迷惑をかけていたにもかかわらず、フィリエリナは罰を与えるどころか笑っていただけだ。
誰でも初めてはそうだよとフィリエリナは手取り足取りミアンを導いてくれた。
それに恋も。
妹たちとは違う感情に最初は戸惑っていたミアンだったが、いつしか受け入れていた。
フィリエリナを想うたびに温かい感情と胸が締め付けられる気持ち。あの笑顔を思い出すたびに自然と自分自身が笑みをたたえていた。
肌を重ねる喜びと快感。全身全霊で感じる熱い吐息。ミアンはすっかりフィリエリナの虜になっていた。
そんなフィリエリナと一緒にいられる幸せ。ミアンは生まれて初めて充実した生活を送っていた。
カン! カン! カン!
野原に響く金属を叩く音。
フィリエリナはへこんで使い物にならなくなった兜を槌で打ち付けていた。
「うーん。だめだね、これは。鎧はなんとかなったけど」
べこべこになった兜を放り投げたフィリエリナ。怪物の打撃によって損傷を受けていた鎧と兜を旅のあいた時間に修復していたのだ。
鎧はミスリル製なだけあってわずかなへこみを直せばよかったが、合金の兜はそうではなかった。
洗い物を終え、横でしゃがみ込んで見ていたミアンが首をかしげた。
「もう使えないの?」
「そうだね。私に腕がないのと思った以上にひどかったから」
「残念ね。フィリエリナが大切にしていたのに……」
「ふふ。別にいいさ。ミアンがいるしね」
ミアンを抱き寄せたフィリエリナが軽く口づけた。頬を赤く染めたミアンは嬉しそうに微笑む。
続きは夜だねとささやいたフィリエリナは立ち上がると夕食の準備を始めた。
二人が旅をしてすでに三ヶ月以上たっていた。
目指す北のノマイデ村はまだ先だ。
途中で村や町があれば寄って必要なものを購入していた。
荒野の壁に囲まれた町しか知らなかったミアンは、世の中にはいろいろな場所があると驚いていた。
見知らぬ人に話を聞き、言葉を交わす。こんな当たり前なことを自然にできることにミアンは喜びを感じていた。
それでも思ったのはフィリエリナの美貌はどんな町の人にも劣らないことだ。こんな素敵な人がそばにいる。なんだか居心地が悪く、むずむずするミアンであった。
結局、寄った町で使い物にならない兜は鍛冶屋に売り、小銭に変えた。
ついでに道中を共にしそうな商人に護衛の売り込みにいき、成功していた。
多少弓は扱えるようになったが、まだまだ不安なミアンはフィリエリナに迷惑をかけなければいいなと思っていた。
しかし、商人はまだ幼く見える女二人に危惧したようで、追加で二人の冒険者を雇っていた。冒険者はフィリエリナたちよりも年上で経験を詰んだ熟練者のようだ。
商人との道中は順調だ。追加で雇われた冒険者もフィリエリナたちを同等のように扱っていた。
これはフィリエリナの身に付けている鎧に残っていた模様を知っていたからだ。雪の結晶模様の戦士は強いと、彼らは噂を耳にしていた。
もし、この模様を知らなかったら、きっと侮って二人を見ていたに違いない。それほど名の知れた模様だったのだ。
二頭立ての馬車を操る商人。荷台には交易品が山のように積まれている。その荷馬車の左右に護衛が歩いて同行していた。
やがて目的地へ近づいたころに異変があった。
野営をしようと止まった一行の前に魔獣が現れたのだ。六本足の大きな狼のような黒い魔獣が五匹。この辺りでは滅多に現れない魔獣だ。
珍しい襲撃に商人は目を白黒させ、冒険者は遅れをとった。
「ミアンはここで弓を射って。狙えるなら遠慮しないでね」
そう告げ、フィリエリナは剣を抜くとミアンを置いて魔獣へ向かった。
魔獣は五匹の群れのようで、統率がとれた動きを見せていた。四匹が荷馬車を取り囲み、一匹が冒険者の注意を引いている。
こんな大物と対峙したことがない冒険者の一人が不意に足をかまれ絶叫する。
「ぎゃああああーーー! 足がぁああーーー!」
片足を噛みちぎられ倒れた冒険者に止めを刺そうとした魔獣をもう一人が牽制して突き放す。
「早く引け! はって逃げろ!」
盾をかまえた冒険者が仲間をかばい前に出るが状況は厳しい。
そこへ矢が魔獣を捉え、突き刺さる。ミアン渾身の一撃だった。ミアンは次の矢を番えるが、なかなか標的が定まらない。
だが、少しひるんだぐらいで魔獣は何事もないように振る舞っていた。
荷馬車を取り囲む魔獣に対してフィリエリナは二匹に魔法を使い凍らせ、一匹を斬り伏せた。
もう一匹を危なげなく一刀で屠ると冒険者の救援に向かった。
不利と悟った残った一匹は威嚇しながら後退り、身をひるがえすと逃げていってしまった。
「ちっ」
倒し損ねたフィリエリナは舌打ちして、矢の刺さったままの魔獣の後ろ姿を見送った。どうやら矢の回収ができなかったことが気に入らないようだ。
脅威が去った冒険者はもう一人の状態を確認して足を縛り止血する。
フィリエリナも手伝い、薬を手渡し失った片足を治療した。治療といっても足の傷の断面を焼いただけだが。
激痛に絶叫する冒険者をミアンは震えて見ていた。いままではフィリエリナが危なげなく獲物をとっていたが、もしものことがあれば同じような目にあうかもしれない。
あの怪物と戦ったときも血を流していたことを思い出していた。あのときは妹のこともあり、フィリエリナに気をかける余裕がなかったのだ。
治療を終えたフィリエリナはミアンの元へと来ると弓が上手くなったねと褒めていた。ミアンはフィリエリナに抱きつき無事を喜んだ。
片足の冒険者を荷馬車に乗せて少し離れたところで野営することにした。魔獣は適切に処理したが、血の匂いにつられて他の魔獣が来るかもしれないからだ。
無事に災いから逃れた商人は上機嫌だ。
「いやぁ〜。お二人がこんなに強いとは私は幸運だった。みなさんお疲れでしょうから今日は大判振る舞いしましょう!」
滅多に食べられない塩漬けの牛の肉を焼いて振る舞う商人。
片足の冒険者も苦笑しながら久しぶりの美味い食事に満足そうだった。
それからなにごともなく目的地へ着き、商人たちと別れた二人。お礼と料金を受け取り互いに笑顔だ。冒険者たちは儲けたとはいえず残念だったが命があってこそだ。
これからは険しい山を越えていかなければならない。
道のない岩山を登っていくミアンとフィリエリナ。
大きな岩場をフィリエリナが先に登り、ミアンに手を差し伸べる。細身だけど硬い手、いつも優しくふれてくれる手をミアンは愛おしく握った。
途中で休憩することになった。
荒く息をつく二人は岩壁に背をもたせている。水袋で水分を補給し、息を整えた。上を見ると岩場がずっと先まで続いている。
ため息をついたフィリエリナは身を預けているミアンを見た。
疲れているようだが、まだまだ大丈夫そうだ。
初めて見た時は痩せて熱にうなされていたのが嘘のようだ。ニコリと笑ったフィリエリナはミアンにささやいた。
「ねえミアン。私の村に着いたら連れ合いになってくれる?」
きょとんとしたミアンは聞き返した。
「連れ合いって?」
意味を聞かれて、まだ教えていなかったとフィリエリナは思い出した。頬を染めたフィリエリナは照れ臭そうに視線を合わせた。
「あ、うーん。えーと、つまり家族にならないかってことなんだけど」
「家族! 嬉しい! わたしフィリエリナと家族になりたい! ずっと一緒にいたいと思ってたの!」
嬉しげに抱きついてきたミアンにフィリエリナは手を回した。
いままで悲惨な生活を強いられてきた少女は決して弱音を吐かず、ずっと前を見て生きてきた。自分もそんなふうに強くなれるだろうか。フィリエリナはミアンを心から尊敬していた。
あの怪物の館で生活することは並大抵ではないはずだ。おばばのお告げでは『不幸な女』となっていたが、全然違う。ひたすら生きようと強くあり続ける女が不幸なわけがない。
だってこれからは二人で幸せになるのだ。何倍も何十倍も。
照れたように笑顔を向けたミアンにフィリエリナは情熱的なキスをした。




