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寂しい

 


       ◯




 自分の吐き出す息の音が、やけに耳につく。


「はぁっ……、はぁっ……」


 月明かりに照らされたアスファルトの上を、僕はひたすら走っていた。


 先ほどの玉木との会話が、頭にこびりついて離れない。


 ――私があの猫を殺したんです!


 彼女の声が、頭の中で何度も再生される。


 猫を殺したのは自分なのだと、彼女は言っていた。


 例のニュース――猫の首の事件で犠牲となった、あの猫のことだった。


 予想はしていたけれど、やはりその猫は、鏡宮が飼っていた白猫のことだった。


 ――君が、犯人……だって?


 突然の告白に、僕は文字通り固まっていた。


 思考も、身体も、思うように動かせなくて。

 半開きになった口元だけが、わずかに震えているのがわかった。


 そんな僕には構わず、玉木はまるで懺悔をする人のように、悲痛な声で告白を続けた。


 ――……あの猫が、那智にとってどれだけ大切なのかはわかっていました。あの猫を殺すことで、那智がどれほど悲しむのかも……。


 わかっていながら、それでも彼女は猫を殺した。

 鏡宮が大切にしていた、その小さな猫の首を切断し、自らの通う中学の校門に、見せしめのように放置した。


 ――どうして、そんなことを……?


 彼女の異常な行動に、さすがの僕も顔が引き攣る。


 か弱い動物、それも幼馴染の大切にしている猫を、どうしてそんな風にできるのだろう?


 ――だって那智は、あの猫のことばかり可愛がって……私のことなんかほったらかしでっ……!


 その叫びを耳にしたとき、僕は愕然とした。

 まるで鈍器で頭を殴られたときのような、鈍い衝撃が胸を襲った。


 ――まさか、君は……猫に嫉妬したの?


 信じられない、と思いながらも、僕はそれを口にした。


 猫に鏡宮を取られたから。

 寂しかったから。

 だから、


 ――鏡宮を取り返すために、その猫を殺したって言うのか……?


 信じたくはなかった。

 そんな身勝手な理由で、鏡宮のことを傷つけただなんて。


 ――だって、私には那智しかいないんです! 那智がいなくなったら、私は……!


 ひとりになってしまう。


 孤独になってしまう。


 大切な人がいなくなってしまうことの悲しみは、僕も知っている。


 けれど、いくら寂しいからといって、それで相手を傷つけていい理由になんかならない。

 それも、生きている動物を殺すことなんて尚更。


 ――……私はただ、那智に、私のそばにいてほしかっただけなんです。なのに、こんなことになるなんて……。


 彼女曰く、猫殺しの罪が鏡宮に着せられたのは想定外のことだったらしい。


 ――事態が、大きくなりすぎたんです。あんなにテレビで大々的に報道なんてするからっ……だから那智は居たたまれなくなって、転校してしまったんです。


 こんなはずじゃなかったのに――と彼女は嘆く。


 その後悔はあくまでも鏡宮が転校したという結果に対するものであり、鏡宮が心に負った傷のことは、まるで度外視されているように僕には思えた。


 ――……玉木。君はやっぱり、鏡宮の友達なんかじゃないよ。


 僕が言うと、玉木は涙を流したまま、虚ろな目で僕を睨み上げた。


 ――君は、自分のことしか考えていない。鏡宮の気持ちなんてこれっぽっちも考えてない。そんな君の元へなんか、鏡宮はきっと帰ってこないよ。


 友達のいない僕が一体何をのたまっているのかと、笑われるかもしれない。

 けれど、それでも僕は玉木のことを、鏡宮の『友達』だとは思えなかった。


 ――あなたに何がわかるんですか!


 言いながら、玉木は細い両腕を伸ばして、再び僕の胸倉を掴んだ。


 ――あなたに那智の何がわかるっていうんですか。あなただって、那智に捨てられたくせに……っ!


 鏡宮を失ったのはお互い様だと、玉木は鬼のような形相で言い放った。


 アーモンド型の美しい眼光は、まるで刃物のように鋭く尖り、僕の目をまっすぐに射抜く。




 ……そんな彼女の姿を見たのはもう何時間も前のことなのに、未だ、その強烈な光景が網膜に焼き付いて離れなかった。


 互いの息がかかるほどの至近距離で見た、玉木の鬼気迫る表情を思い出したとき、僕は思わず身震いした。


 拍子に、それまで夢中で動かし続けていた足がもつれて、


「わっ……!」


 受け身を取る暇もなく、僕は顔面を強打しながら、その場に転がった。

 口元が砂まみれになり、砂利の味と、ほんのりと血の味がする。


 痛みに耐えながらゆっくりと顔を上げると、視線の先には、ぼんやりと鳥居のシルエットが見えた。

 小高い山の入口に、それはひっそりと佇んでいる。


 いつもの、あの神社だった。


 気づけば僕は、最寄りの駅で電車を降りてから、ここまで一気に走り続けていた。

 玉木と別れてから、一心不乱にこの場所を目指してきた。

 

 けれどいくら走っても、胸を覆っている嫌な気分を晴らすことはできなかった。


 荒い呼吸を整えながら、視線の先の鳥居を呆然と見つめていると、


 ――神社には、神様がいるから……。


 と、いつかの鏡宮の言葉を思い出した。


 ――神様はここにいて、私たちを見守ってくれてる。だから刀坂くんがお願いすれば、何か力を貸してくれるかもしれないよ。


 神様が助けてくれる。

 僕らを救ってくれる。


 彼女はそう言っていたけれど、僕は、


「……何が神様だよ」


 これで救われたというのか。

 鏡宮を失い、姉を殺されて。


「ねえ、神様。あんたが本当に、僕たちを見守っているのなら……鏡宮が消えた理由も、姉さんが自殺した理由も、全部知ってるんだろ……?」


 鏡宮の言った通り、神様は全てお見通しだというのなら、


「教えてよ、神様。二人はどうして、僕を置いていったの……?」


 僕だけを残して、消えてしまった。

 いなくなってしまった。


「僕、何か悪いことをした……? 姉さんや鏡宮の心を傷つけるようなことを……」


 二人に嫌われるようなことを、僕はしてしまったのだろうか。


「ねえ、神様。助けてよ。悪いことをしたのなら謝る。僕にできることなら、何でもするから……」


 だから、どうか。

 あの二人を返してほしい。


 僕はふらふらとその場に立ち上がると、土まみれの重い足を動かして、一歩一歩、社殿の方へと歩み寄る。


「僕はどうなってもいいから……だからお願いだよ。真実を教えてくれ、神様」


 やがて最奥の社殿の前に立つと、僕はそこに膝をついて、土下座をするようにして頭を垂れた。


「寂しいんだ。助けてよ。ねえ、神様……!」


 プライドなんて微塵もない。

 まるで子どもみたいに、僕は泣きついた。


 そのとき。



「なぁーお」



 聞き覚えのある鳴き声が、僕の耳を打った。


「……カミサマ?」


 僕は反射的に顔を上げ、闇に包まれた境内を見渡した。


「カミサマ、いるのか……?」


 久方ぶりに聞いた声。


 間違いない。

 どこか気怠げなその声は、この十年もの間、ほぼ毎日のように耳にした猫の声だった。


 すでに死んだものだと諦めていたその存在を確かに感じ取ったとき、僕はわずかに胸を躍らせた。


 と同時に、


「…………?」


 何か、異質なモノの気配を感じた。


 誰か、人に見られている――そんな感覚だった。


 その気配を辿って、僕は再び、目の前の社殿の方へと向き直る。


 すると、社殿の前にはいつのまにか、一匹の白い猫が鎮座していた。


「……カミサマ?」


 境内の社殿と同じく、かなりの年を取った……ように見える、覇気のないヨボヨボの猫。

 もともと真っ白だったと思しき毛並みは薄く黄ばんでボサボサになってしまっている。


 よろよろと覚束ない足取りで、そいつはゆっくりと僕の方へと歩いてくる。

 そうして僕の隣に腰を下ろすと、くっとアゴを上げ、ほとんど目の開いていない、まるで眠っているような顔でこちらを見上げる。


「カミサマ……」


 カミサマが、僕の前に現れた。


 十年前の、あのときと同じだった。

 大切な人を失って孤独に苛まれていた僕を、まるで慰めるかのようにして、この猫は現れたのだ。


「なぁーお」


 相変わらずふてぶてしい、間伸びした声。

 僕を見上げるその瞳はいつも、開いているのかいないのかさえわからない。


「……ほんとに、かわいくないな。お前は」


 苦笑しながら、僕はカミサマに手を伸ばす。

 そうしてボサボサの頭を撫でてやると、


「気安く触るな、小僧」

「…………へ?」


 突然どこからともなく、しわがれた声が聞こえた。

 低くて、渋い。

 およそ生きてきた年月の長さを思わせる老爺の声。


 一体どこから――と、僕がキョロキョロと辺りを見回していると、


「何を頓狂な顔をしておる」


 と、再び声が届く。


 けれど、周りには誰もいない。

 この狭い境内にいるのは今、僕と、このボサボサの白猫だけだ。


「こら。人の話を聞くときはちゃんと、相手の顔を見んか」


 そんなことを言われたって、どこを見ても、近くには誰もいない。


 けれど、わずかに苛立ちを滲ませるその声は、あきらかに僕のことを認識している。


「だ、だれ? どこにいるの?」

「ここじゃ、ここ」


 そう言って、自らの手を――いや、自らの肉球を僕の頰に触れさせたのは。


 他でもない、僕の隣に寄り添っていた、ヨボヨボの白猫だった。



 

第3章 (終)

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